出羽・要害森舘
城地種類:ー。
築城年代:元亀元年(1570)年頃か?。
築城者:東海林昌盛。
歴代城主: 東海林氏。
文化財史跡区分:不明。
山形県西村山郡西川町に、メジャーではないが、単郭の縄張りに19条もの畝状竪堀群が施された、見事な城があるというので行ってきました。2023.5.5.登城。
要害森舘概要:
水沢川の東岸丘陵上(標高517m)に築かれており、北側と南側の岩根沢集落周辺をよく見渡せる立地となっています。主郭を中心に東側~南側を畝状竪堀群が施され、その横(西側)に虎口、腰郭、北西側に段郭が連なる造りとなっています。城の詳細については不明な点が多く、これからの発掘調査や情報公開に期待したい。
説明看板
こちらの説明版に書かれている情報が、全てと言っても過言ではありません。因みに専用駐車場は無いので、この看板の前が少し広くなっているので停めさせてもらいました。
現場到着
先程の説明看板から細い山道を登って行くと、現れましたっ!主郭部とその裾に広がる畝状竪堀群が!さっそく竪堀下の副郭と呼ばれる藪の所から見てみます↓
こちらの畝状竪堀群はその長さが約15m程で短い。その下方は副郭と呼ばれていますが、水平がとられていない藪の斜面となっています。
主郭内部
主郭の規模は南北約23m、東西約34mの小さな規模の主郭となります。土塁や虎口も確認できますが、虎口周辺は若干改変されている様な感じがしました。まずは西側の腰郭から見てみます↓
腰郭の北側となります。この北側に小さい段郭群があるのですが、ご覧の通り藪に埋もれていました。ここで再び主郭へと戻ります↓
主郭からの景色
主郭から北側を見たのがこちら↑。眺望という程ではないので景色と表現しました。そしていよいよ、待望の畝状竪堀群を見ていきます↓
東側の畝状竪堀群
竪堀の長さは短いですが、主郭を取り囲むように畝状竪堀群が配置されているのが見てとれます。
主郭のRに合わせて竪堀群も放射状に展開しています。
上から見るとその全貌が良く見えます、せっかくなので動画も撮影しておきました↓
主郭東側・畝状竪堀群の動画
南東~南南西側の畝状竪堀群
ここからは南東~南南西部分の畝状竪堀群を見ていきたいと思います。
見事ですねぇ~!ウネウネ祭り開催中です。この日、久しぶりに良いものを見させていただきました。
主郭部を取り囲む形で、隙間なく畝状竪堀群が配置されています。(長さは短いですが)
主郭西側・腰郭
主郭の西~北東までを囲む腰郭となっています。このまま北側へと進みます↓
主郭の北側、この先には小さな段郭群があるのですが、ご覧の通り藪が酷かったので今回はパスしました。
主郭の北側に、この様な土のスロープがあるのだが、これって主郭とを結ぶ道(遺構)なのか?それとも近代に造られた整備用の道か?後者のほうが可能性としては高いか…?。
郭はこの先で終了で、そこから畝状竪堀群が始まります。いちおうその畝状竪堀群が始まる部分まで行ってみます↓
主郭北東の畝状竪堀群が始まる部分となります。ここから先には進まないで、来た道を戻り反対側(南側)へと移動します。
主郭南側・畝状竪堀群
主郭南側・畝状竪堀群の始まる部分から、撮影したのがこちら↑。ウネウネの長さが短いので、でっかい芋虫みたいで可愛い。竪堀群が短いので、竪堀下の藪の中から畝状竪堀群を見てみます↓
畝状竪堀群の先に主郭の切岸が見えます、とてもいい光景だ。(これで竪堀が長かったら凄いんだけど、短いんだなこれが…)
この立っている部分は平な藪なので、この畝状竪堀群がいかに短いかが分かると思います。
この畝状竪堀群が始まる部分は特に短いですね、5m位でしょうか?それでもこの光景はまさに圧巻の一言で、はるばるここまで足を運ぶ価値があると感じさせます。最後に主郭へと戻り、上からこの部分を動画撮影してみます↓
主郭南側・畝状竪堀群
当日はこの様に除草されており、とても見学しやすい状態でした。城跡を整備してくださっている方々に感謝申し上げます。以上で要害森舘のレポートを終了します。
スタンプは…
ありません。
要害森舘ログ
ログをとるまでもない…。
出羽・要害森舘
見所ポイント:主郭、虎口、段郭、土塁、畝状竪堀群、等
駐車場: 駐車場はありません。(説明看板前が広くなってます)
総評:現在の山形県西村山郡西川町に位置し、標高517m(比高100m)の水沢川東岸の丘陵上に築かれた丘城。眼下に流れる水沢川と、南側の岩根沢集落を見渡せる場所であるこの要害な地に要害森舘は造られました。シンプルな縄張りではあるが、主郭を取り囲むように配置された畝状竪堀群はまさに圧巻の一言で、終始感動を抑える事ができませんでした。こんなにも見事な畝状竪堀群を見に、週末あたり訪れてみては いかがでしょうか。