三春城
別名:舞鶴城。
城地種類: 山城。
築城年代:永正元年(1504)頃。
築城者:田村氏。
主な関連施設:三春町歴史民俗資料館(続100スタンプ)。
文化財史跡区分: 町指定史跡。
本丸裏門・北側の石垣
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました。福島県からは 向羽黒山城とここ ” 三春城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 三春城 ”をもって続日本100名城、登城60城目とします。2023.10.7.登城。
三春城概要:
三春町中心部の大志多山の山頂を中心に築かれた山城で、標高407m比高100m(麓から)中世から田村氏がこの辺りを治めていましたが、天正19年(1591)蒲生氏郷領となります。その後も加藤氏、松下氏、秋田氏などが城主をつとめました。明治1年(1868)戊辰戦争で秋田氏が新政府軍に降伏し無血開城。そして時は流れ、昭和58年(1983)町指定史跡に指定されました。
駐車場
役場の横にも駐車場がありますが、本丸西側にもこの様な駐車場があります。
先程の駐車場からこちらの本丸西側の切岸を見る事ができます。
本丸裏門北側の石垣
こちらの石垣は、蒲生氏が治めていた時代に造られたとされています。
往時、本丸を中心にこのような石垣が多用されていたはずですが、現在ではこのように一部の石垣が残るだけとなっています。
城址標柱と説明看板
地元では「舞鶴城」と呼ばれています。因みに甲府城、田辺城、福岡城、国分城、米沢城なども地元では「舞鶴城」と呼ばれ、親しまれています。
本丸
三春城の本丸は、思っていたよりも広かったです。こちらの本丸跡に色々な石が置いてあったので見てみます↓
矢穴がありますね、かつて本丸の周囲を囲っていたであろう、石垣の石材でしょうか?
こんな感じで何個も置いてあるので、興味がある方は見学されてはいかがでしょうか。
本丸のかつて三階櫓が建っていた場所となります。
その三階櫓跡からみた三春町となります。
門の礎石?
本丸の南側にこちらの表門の礎石があるのですが、柱を入れる穴が小さすぎやしませんか?
本丸虎口
こちらの虎口を通って本丸東側の台所、御座間と呼ばれる場所を見に行きます↓
腰郭と御座間との間の段差(切岸)となります。
山頂全体が本丸で、東側の一段高くなっている方と、西側の三階櫓があった方とで、二つに分かれている感じなのか。
御座間跡
かつて藩主がかかわっていたであろう場所には、現在このような藩主であった秋田氏を祀っていた建物の名残りを見る事ができます。このまま南下して、大手道を下ってみようと思います↓
こちらが本丸南側の切岸となります。
三の門跡
大手道なので、本丸に行くまでに幾つも門がありました。
こちらが本丸下段の(本丸西側)南側切岸となります。
門の上に土を被せた上土門の事かな。
二の門跡
ここに三春城の案内看板があるので、見てみます↓
かなり、ざっくりとした案内図…。
南側・竪堀跡
城域南側の、重巨屋敷と大手道との間にある竪堀となります。この竪堀には橋がかかっており、その上から撮影しました。ここでいったん本丸付近まで戻り搦手まで行きます↓
城の北側にあたるこちらが搦手門跡となります。ここからいま一度、蒲生氏時代に築かれた石垣を見に行きます↓
素晴らしいですね!こんな感じの石垣が、かつて本丸を囲むように積まれていたと考えると胸が熱くなります。
三春城ログ
ログをとる程ではなかったので、記録無し。
御城印
御城印販売場所:三春町歴史民俗資料館。
御城印のサイズ:通常サイズ。
御城印の値段¥:一枚300円。
陸奥・三春城
見所ポイント:石垣、本丸、二の丸、三の丸、屋敷跡、堀切、竪堀、切岸、残石、等
駐車場: 役場横駐車場、本丸下西側駐車場。
総評:現在の福島県三春町に位置し、標高407m(比高100m)の大志多山の山頂に築かれた山城。現在の郡山市と田村市の中間地点にあり、街道と三春の城下町を見下ろせる最適な場所とも言える場所に築城されています。現在の縄張りは、中世の山城に石垣などの近代的な防御施設を備えた近世城郭的な山城として機能していたであろう、かつての姿をわずかですが今日に残しています。こんな三春城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。