佐柿国吉城
別名:国吉城、佐柿城。
城地種類: 山城。
築城年代: 1556年(弘治2年)頃。
築城者:粟屋勝久
主な関連施設:若狭国吉城歴史資料館。
文化財史跡区分: 町指定史跡。
Ⅱの郭からの眺望
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました。福井県からは 玄蕃尾城・福井城・越前大野城・ そしてここ” 佐柿国吉城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 佐柿国吉城 ”をもって続日本100名城、登城44城目とします。2022.5.3.登城。
佐柿国吉城概要:
若狭国守護大名武田氏の重臣であった粟屋勝久が標高197mの通称「城山」に築いた山城で、1556年(弘治2年)には在城していたとされています。幾度となく朝倉氏による侵攻を受けるがそれらをことごとく撃退、城は難攻不落を誇り粟屋勝久はその名と武勇を広めました。織田信長の朝倉氏討伐後には、多数の城主が入れ替わり努めますが江戸時代初期の1615年頃に廃城になったと云われています。
国吉城縄張図
若狭国吉城歴史資料館で頂いたパンフレットの縄張図を参考にして、若狭国吉城をレポートしていきたいと思います。
駐車場&歴史資料館
まずこちらの若狭国吉城歴史資料館でパンフレット(縄張図付き)と続100名城のスタンプを入手しましょう。トイレや自動販売機もあるので安心です。
礎石建物群跡
平成13~20年度に実施された城主居館跡の調査では、各段(写真の段々部分)から石垣や礎石建物跡が発見されました。
急峻な山肌
先程の居館跡から山道を登っていくとすぐにこんな感じの急斜面となり、このままの角度で山頂まで続いていく、とても急峻な山肌となっています。(難攻不落の要因の一つですね)
山肌が急峻なので登山道もご覧の通り、" 九十九折り " になっており、かなりキツイ感じの登りとなります。
伝二の丸跡
場所は縄張図の①となります。土塁が見事ですね、その先に虎口らしき盛り上りがあるので見に行きます↓
ここ国吉城において一番の高土塁がここ二の丸跡にあり、その土塁続きの先にこちら↑の食違い虎口があります。この二の丸の造りで気になったのは、郭を中心に東西に尾根があるのに堀切が入れられていない事です…。
本丸下帯曲輪段石垣
伝二の丸は土造りで、それ以外は石垣造りであったのですね。
Ⅱの郭・帯郭間の堀切
主郭とⅡの郭間には帯郭があり、その間にこちらの堀切跡があります。堀切の両サイドは石が積まれており、正面には転用石が並べられています。説明看板があったので見てみます↓
墓石まで使用していたんですね…。
本丸北西虎口
現在では、石が散見する状況の虎口ですが、往時は立派な石垣造りの虎口だったのでしょう。説明看板があったので見てみます↓
ここでも転用石が…。
本丸跡
こちらの本丸跡は北西と東にそれぞれ虎口を設け、南東の尾根には大堀切が入れられる構造となっています。しかもここからは麓の街道も丸見えで、敵の動向がよく分かるようになっていました。
本丸東虎口
場所は縄張図の②となります。本丸の東虎口は、尾根伝いに腰越坂を経由して国吉城の砦である岩出山砦跡に繋がっているとされています。本丸の南側に一段盛り上がった基壇状土塁があったので見に行きます↓
本丸南隅櫓台
位置的にここにあったであろう櫓は、天守の役目も果たしていた可能性もありますね。この櫓台跡の説明看板があったので見てみます↓
この辺りも石垣造りだったのですね。
本丸からの眺望
たしかにここ(本丸南側)からなら麓の様子が一目瞭然となりますね。
本丸南の大堀切
場所は縄張図の③となります。本丸の南側にはこちらの大堀切があり、南尾根と本丸とを隔てる防御構造となっています。これで本丸の散策は終了、 " 連郭曲輪群 " を見るために北側へと向かいます↓
北側へと移動する際に本丸の切岸を見ると、このように切り立った見事な切岸を見る事ができました。このように尾根以外は全方位切り立った崖のような斜面となっており、まさに天険の要害であると感じさせられました。
連郭曲輪群・Ⅱの郭
北尾根上に展開する段郭群は5つ連なる構造で、その郭間の高低差もあり、とても厳重な防御構造となっています。この「Ⅱの郭」北東側の木々が伐採されており、若狭湾が見える眺望スポットになっているので早速見て見ます↓
場所は縄張図の④となります。本丸南側の眺望も良かったが、こちらの眺望も最高です。しかも季節がら(訪問日は5月)最高に気持ちいい風が吹いていました。
Ⅲの郭
こちらの「Ⅲの郭」と「Ⅱの郭」間の段差(切岸部)は見事なものだったのですが、訪問時はド逆光だったので写真は掲載できません。(ご自分の目でご確認ください)
その代わりにこちらをご覧ください↓
こちらはⅢの郭とⅣの郭との間にある段差(切岸)となります。ここの段差(高低差)はあまり無い感じです。
Ⅳの郭
こちらの「Ⅳの郭」の北西部には枡形虎口があったとされていますが、虎口らしき物はあったのですが、その形状が劣化しすぎていてよく分かりませんでした。
こちらが「Ⅳの郭」と「Ⅴの郭」間の段差(切岸)となります。さすがに400年以上経過しているので劣化は避けられませんが、現在でもこれだけの形状を維持しています。
Ⅴの郭
こちらがⅤの郭となります。右側の写真が、「Ⅴの郭」と「Ⅵの郭」間の段差(切岸)となります。
Ⅵの郭
こちらがⅥの郭となります。ここである事に気が付く、資料に「連郭曲輪群」とあるが連郭=(連なった郭)曲輪群=(曲輪の集合体)なので、連なった郭の曲輪群という事になる?。ほ~う、なるほど! 例えるなら、「連続堀切堀切群」とか「連続竪堀竪堀群」みたいな感じでしょうか?勉強になりました。これで佐柿国吉城の散策は終了、下城して次の城へと向かいました。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:若狭国吉城歴史資料館。
スタンプの状態: " 良 " スタンプはヘタっていません。
スタンプの印影:礎石が描いてあるので、本丸北西虎口でしょうか。
御城印
御城印販売場所:若狭国吉歴史資料館。
御城印のサイズ:通常サイズ。
御城印の値段¥:一枚300円。
国吉城ログ
時間:1時間31分とありますが、パパっと見学すれば1時間で行けます。
距離:1.7km、とありますが、山の傾斜度が凄いのでかなり疲労します。
標高・比高:標高は197m、比高は156m(資料館駐車場からの比高)。
注意事項:山の傾斜度が凄いので、真夏の登城に関しては特に注意が必要です、水分と塩分をこまめにとりながら熱中症対策を忘れずに登ってください。
広域
近代でも城山の北、東、西の平坦地は田んぼなので、当然ながら往時も田んぼ(泥濘地)だったはずです。朝倉軍がいくら数で上回っていたとしても、尾根筋と平坦地で大軍を効果的に運用できなければ苦戦を強いられるのは必定で、ここ国吉城が難攻不落であった事になんの疑問も持ちません。
佐柿国吉城
見所ポイント:本丸、伝二の丸、連郭曲輪群、居館跡、石垣、虎口、土塁、眺望、等。
駐車場:若狭国吉歴史資料館(10台位か)。
総評:現在の福井県三方郡美浜町に位置し、国境の地に築かれた国吉城。越前の朝倉氏による度重なる侵攻を全て撃退し難攻不落を誇りました。現在でもその要害堅固な姿は健在で、本丸の他にも北尾根に展開する連郭群や素晴らしい眺望など、見所は多い。かつて三英傑(信長、秀吉、家康)が短期間ではあるがここ国吉城に集結、入城したこともあるなど、歴史的にも貴重な難攻不落の山城 ” 佐柿国吉城 ” に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。