みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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土佐・岡豊城登城!続日本100名城52城目 長宗我部氏の本拠・四国統一への道~

岡豊城

別名:無し。

所在地:〒783-0044 高知県南国市岡豊町八幡字岡豊山

城地種類: 山城。

築城年代:15世紀頃か?

築城者:長宗我部氏。

主な関連施設高知県立歴史民俗資料館。

文化財史跡区分: 国指定史跡。

歴史民俗資料館

2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました。高知県からは ここ ” 岡豊城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 岡豊城 ”をもって続日本100名城、登城52城目とします。2023.1.2.登城。

岡豊城概要:

国分川の北岸に位置する岡豊山の山頂に築かれた山城で、標高97m比高80m、城域は東西約1km南北約500mの大きな山城でした。長宗我部氏は元親の代で土佐を統一、その後四国全土をも統一しますが、豊臣秀吉の四国平定で領土を没収され、土佐一国に減領されます。その後元親は天正19年(1591)頃に浦戸城を築いて本拠を移し、岡豊城は廃城となりました。

長宗我部元親

年末年始に行った四国遠征、この日(一月二日)夕方に到着。こちらの高知県立歴史民俗資料館で、マップ付きの資料と続100名城のスタンプを無事ゲット。

 

岡豊城案内図

詰と呼ばれる本丸部分からすると、こちらの資料館のある場所も何らかの遺構があったはずです。

二の段

二の段は、堀切によって詰から隔てられた曲輪で、長さ45m最大幅20mの三角形で、南部には高さ60cmの土塁が30mにわたり残っていました。昭和60年(1985)と昭和63(1988)に行われた発掘調査により、土塁は幅が3m、高さが1mであったことが分かりました。現地説明版より抜粋。

 

詰下段の堀切

詰と二の段を隔てる堀切となります。資料によるとこの堀切の中央付近に井戸があるとの事だったが、柵が設置してあり中に入って確認することができませんでした。

 

 

こちらは、詰から先ほどの堀切を見た写真となります。わりと高低差があり、ここに築地塀等が加われば堅固な防御施設となる感じです。ここで一旦堀切まで戻り、詰の東側にある帯曲輪へと向かいます↓

 

現在は通路として使用されている「帯曲輪」となります。ここからぐるっと回りこみ、詰へと入ります。

 

詰東側の眺望

標高が97mなので、それ程高さはありませんがなかなかの眺望となります。国分川を見ることができますね。

 

 

詰は岡豊城跡の中心となる曲輪で、標高97mの岡豊山の頂上部にあります。1辺40mのほぼ三角形状で、東には二の段、南から西にかけては三の段、四の段が詰を取り巻くように造られています。発掘調査では、石敷遺構(建物の基礎)と礎石建物跡が発見されました。西部には土塁が残されていますが、築城当時は周囲に巡らされたいたものと考えられます。(説明看板より抜粋)

 

礎石建物跡

詰にある礎石建物跡となります。説明版があったので見て見ます↓

 

 

2層以上の建物だったとすると、天守のようなものが建っていたのでしょうか。これで詰の散策は終了、三の段へと進みます↓

 

三の段・石積み

こちらの三の段は面積は約134㎡で、南北に二つの礎石建物跡が確認されています。説明看板があったので見てみましょう↓

 

なるほど、石積の半分は近代による積み直しなんですね。礎石建物跡の説明看板もあったので見てみます↓

 

 

細長い曲輪の幅いっぱいのサイズの建物が、建っていたんですね。これで三の段の散策を終え、四の段へと向かいます↓

 

四の段

こちらの四の段は三の段を囲むように造れた曲輪で、北部は約14m四方の方形となっており、礎石建物跡、土塁、土杭、集石遺構が確認されたそうです。

 

三の段を囲むような形状のため、このように細長い形状となっています。

 

 

四の段の切岸です、高さと角度がしっかりとしています。このまま進み、四の段の曲輪南部へと進みます↓

 

 

こちらが四の段南側となります。こちらの曲輪南部は南北約32m、東西約16mで土塁裾部の割石が確認されています。これで四の段の散策は終了、このまま南西へと進み伝厩跡曲輪へと進みます↓

 

四の段西側・竪堀群

何もしなければ竪堀は全部、藪に埋まっていて見る事ができません。ですが、このように幾つかの竪堀は草が刈ってあるので確認することができます。それではどんどん竪堀を見ていきましょう↓

 

浅いですが、竪堀跡となります。

 

 

草が刈ってなければ確認できません。

 

 

何とか竪堀と認識できる感じ。ここで竪堀に関する案内看板を見つけたので見てみましょう↓

 

これら全てを見る事はできません(藪で見えない)が、草が刈ってある部分は見ることができるので、皆さんも確認してみて下さい。

 

 

熊笹は厄介ですね、何もしなければ絶対に竪堀として認識できない事でしょう。竪堀を堪能したので、さらに進んで伝厩跡曲輪へと向かいます↓

 

伝厩跡曲輪

こちらが伝厩跡曲輪となります。近くに説明看板があったので見てみます↓

 

 

南側の畝状竪堀群と二重堀切は藪で見ることができませんでした。残念ですが、仕方ありません、でもここからの眺望は良かったので、これで良しとします。

 

 

こちらが伝厩跡曲輪からの眺望となります。これで岡豊城の散策は終了!下城して宿泊施設へと向かいました。

スタンプ押印

スタンプ設置場所高知県立歴史民俗資料館。

スタンプの状態: " 普通 " 。

スタンプの印影:三の段。

土佐・岡豊城

見所ポイント、二の段、三の段四の段、切岸、土塁、畝状竪堀群、堀切、等。

駐車場高知県立歴史民俗資料館に数十台。

総評:現在の高知県南国市に位置しており、国分川と浦戸湾を見渡せる岡豊山山頂に築かれた山城。岡豊の街並みを一望できる広大な城域に、階段状に造られた曲輪が存在し、山肌を畝状竪堀群が執拗に走る、まさに戦国の山城といった感じの防御施設を見る事ができる山城となっています。こんな長宗我部氏の本拠となっていた山城 ” 岡豊城 ” に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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