増山城
別名: 和田城
城地種類: 山城
築城年代: 貞治元年(1362年)以前
築城者: 二宮円阿?
主な関連施設: 増山陣屋(休憩所)砺波市埋蔵文化センター(スタンプ設置場所)
文化財史跡区分: 国指定史跡
切岸
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表
しました。富山県からは富山城、増山城が選ばれました。
続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を
カウントしたいと思います、今回行った増山城を登城 7城目とします。
富山城概要:
築城年代は不明だが、文献によると南北朝時代には前身とされる和田城が存在していた。当時の越中は神保氏が守護代として、越中の実質的支配者となっていました。
神保氏は上杉謙信の越中侵攻を増山城に籠城して一度は撃退するも、再侵攻により落城。その後、織田信長の越中侵攻で城は佐々成政の手に落ち、豊臣政権下では前田氏の所領となるが、慶長年間(1596~1615)に廃城となった。と、手元の資料にあります。
其の二:
前回(其の一)は北西の増山陣屋から登城し、F郭、馬之背ゴ、一の丸、等を通り、二の丸と安室屋敷まで散策しました。ここで日が暮れてしまったため翌日の早朝に再登城となりました、2日目は二の丸の南側「無常」からスタートします。
無常
この郭の下(南西)に畝状竪堀群があると書いてありテンションがあ
がるものの、藪がすごくて先に進めない状態(この時短パンでした)
やはり山城は秋~冬に来るべきです、いつかリベンジしたい。
「無常」から見る鐘搗堂の切岸です、この郭の先に南櫓台があります。
石垣はありませんが、このように高低差のある土塁によって強固な防御
地形が構築されています。
三の丸北側付近の切岸
草が生い茂り写真では分かりにくいですが、高さもさることながらこの
ほぼ垂直に切り立った急角度の切岸がとても印象的です。
草が…。この草が無ければもっと伝えたい事が表現できたのに……。
写真向かって右と左のそれぞれ独立した郭は往時、木橋でつながって
いたのだろうか?守備兵の郭間の移動が橋でも無いととても出来ない
程、土塁の高低差と角度が凄いからです。
三の丸
ここは長方形の形をした広さもある大きな曲輪となっています。
こちらの「オオヤシキ」の周りにはコの字型の空堀が曲輪を取り囲む
防御がなされています。
足軽屋敷跡
三の丸を北東へと進み、御所山屋敷を下ると「足軽屋敷跡」が現れます。
写真では草木が生い茂り、その広さはわからないですが縄張図で見る
と南東~北西にかけ細長くとても広大な曲輪となっています。
井戸を目指す
七尾山山頂付近から一気に山肌を下っていきます。
神保夫人入水井戸
女数人で敵兵60人を斬ってって…。どんだけ強かったんだと……。
この井戸の中を撮る時が一番ドキドキします。
なぜなら(写真に貞子みたいなのが写っていたらどうしよう)
と、思って緊張してしまうからです。
池之平等屋敷
先程の井戸の道を挟んで向かい側にある曲輪です。
説明看板を見てみます。
池之平等屋敷の詳細はご覧のとおりとなっています。
急峻な山肌
この増山城、やまの周りを歩いて回ると分かるのですが何処も急峻な
崖のような斜面となっておりまさに天然の要害といった感じです。
この写真では分かりにくいですが。
亀山城へ向かう
よく整備された小道を進み「亀山城」(増山城の出城)を目指します。
亀山城登城口
こちらの看板が目印です。
この狭い小道を登っていきます。
土塁
しっかりと土塁が残っています。
亀山城主郭
ついに主郭へと到着です、登城口からは10分位でしょうか。
左隅に例の看板があります、早速見てみましょう。
独立丘陵なのでこの亀山城(出城)だけでも、ミニ山城のようになって
います。
広さ的には本当に小さな曲輪といった感じです。
増山城北側斜面
亀山城を後にし駐車場へ戻る事に、でも来た道を戻るのではとても大変
なので「法花坊谷」前の舗装道路を北西へと下り亀山橋から増山陣屋を
目指す事にしました。その途中で撮った増山城の斜面の写真がこちらで
す。(もはや崖といったレベルです)
和田川
和田川に架かる亀山橋からの一枚です、現在増山城の西側は増山湖と
いうダム湖になっていますが、往時はこの写真のような高低差のある
川が天然の濠となっていたのではないでしょうか。
増山大橋から
無事駐車場へと到着したので今度は車で西側の登城口へ向かう事に。
現在はダム湖に橋が架かっており、その橋を渡ると「七曲り」登城口
があります。
こちらのルートは駐車場が無いため(2台程度)徒歩でこの橋を渡り
登城する事をお勧めします。
スタンプは
続100名城スタンプはこちらの「砺波市埋蔵文化センター」にて押印
する事が出来ます。(女性職員さんの説明はとても分かり易かった)
パンフレットもあり、城跡へのアクセス方法なども親切に教えてくれ
るので増山城へ行く前にこちらに立ち寄る事をお勧めします。
県別来城者数
こちらが当館に貼りだしてある増山城の県別来城者数のデータです。
東京都と愛知県が群を抜いて来城者数が多いです、地元の富山県より
多い結果となっています。(2018.7.15現在)
因みに自分の出身県である山梨県は4人でした。(自分を入れて)
スタンプ押印
スタンプ設置場所:砺波市埋蔵文化センター(09:00~17:00)
スタンプの状態:" 良 " 新しいので状態はとても良い。
スタンプのデザイン:めっちゃ渋くてカッコ良い!
ご当地グルメ
鱒寿司:
「鱒寿司」は富山県の郷土料理で、鱒を酢で味付けした押し寿司です。
うどんと鱒寿司のセットが人気みたいでした。
増山城
見所ポイント: 一、二、三の丸、安室屋敷、馬之背ゴ、又兵衛清水、堀切、竪堀、切岸
駐車場: 増山陣屋と向かいの公園(20台程度)
総評: 和田川が天然の外堀となっており、また4本の尾根を切った深さ10mにもおよぶ堀切が300m以上も続いている、戦国の戦う城であると手元の資料に書いてあります。
まったくその通りだと思います。城山の周りは川や谷で天然の堀となっており、しかも
その山肌はほぼ全方位急峻な崖のようになっていて天然の要害となっています。
二の丸を中心とした曲輪群は、圧倒的な土木量で構築され、その各種土塁の高低差と切岸の角度に驚きと感動を隠すことができませんでした。山を切ったり、削ったり、掘り下げたりと、" 土 " を上手く活用しており、まさに一言で形容するならば「 土の要塞 」
といったところでしょうか。成るほど、春風亭昇太師匠が惚れ込むのもうなずけます。
山城として見た場合、続100名城ではなく日本100名城に選定されていてもおかしくは無いと思いました。こんな素晴らしき戦う土の城、増山城に週末あたり訪れてみてはいか
がでしょうか。