みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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多気北畠氏城館・霧山城登城! 続日本100名城35城目 北畠氏・栄華の痕跡~

多気北畠氏城館・霧山城

別名:北畠氏館。

所在地: 〒515 - 3312 三重県津市美杉町上多気1148。

城地種類: 城館・山城。

築城年代: 14~15世紀頃。

築城者: 不明。

主な関連施設:美杉ふるさと資料館(パンフレット)北畠神社社務所(スタンプ)。

文化財史跡区分: 国指定史跡・名勝

北畠氏館跡庭園

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表し

ました、三重県からは 津城、赤木城、田丸城、そして" 多気北畠氏城館 " が選

ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。

今回の多気北畠氏城館 をもって続日本100名城、登城35城目とします。

2021.5.3登城。

多気北畠氏城館・霧山城概要:

北畠氏城館群は現在の三重県津市美杉町多気にあり、山頂の詰城である霧山城と麓にある北畠氏館跡から構成されています。この地は北畠氏が8代、実に230年余りにわたって本拠としていましたが、1569(永禄12年)に織田信長の侵攻により開城、信長の次男信雄(のぶかつ)を養子に迎えたが、その信雄の謀略により北畠具教以下、旧北畠氏一族は謀殺され北畠家織田家に乗っ取られてしまいます。現在では山麓の城館跡と庭園、山頂には霧山城が残り、その遺構も良好な状態で残っています。

北畠神社と駐車場

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この鳥居の前に神社参拝者用の駐車場がありますが、数台しか停められません

なので、その横にあるJAの駐車場に駐車させていただきました(土日、祝日)

なら問題ないとの事。(駐車場緯度経度:34.517576, 136.299076 )

北畠氏城館・説明看板

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 鳥居の近くに北畠氏城館跡にかんする説明看板があったので読んでみます。

なるほど、城館跡と庭園、そして霧山城が見所ポイントのようですね。

北畠顕家銅像

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この人は誰だろう?早速調べてみる…。

なんでも後醍醐天皇に命じられ、足利尊氏の軍勢を破り九州まで退けた活躍

をしたが、その後再び攻め込んできた足利尊氏勢との戦いで負け、21歳の若

さで戦死したという悲しい経歴の持ち主らしい。

 

日本最古の石垣

 

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先程の銅像の近くにこちらの説明看板がありました。

なんでも中世館跡では、日本最古の石垣との事、期待に反してこの石垣は何処

にもありませんでした。(現在は土の中に埋め戻されています)

他にも、石垣に関する説明看板があったので見てみましょう↓

 

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現在は完全に埋め戻されている為、どの場所の事を言っているのかさっぱり分

かりませんでした。

礎石建物跡

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北畠氏館跡では、礎石建物と呼ばれる石の上に柱を建てる構造の建物が数棟

確認されています。

面積が小さな建物であるにも関わらず、礎石を使用し全面に束柱を持つという

構造から格調の高い建物であったと考えられています。(説明版より抜粋)

 

いざ霧山城へ

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この日朝一で訪れた為、北畠神社社務所はまだ開いてなく、当然ながら北畠氏

館跡庭園も見学できないので、先に詰城と呼ばれる場所と霧山城を見に行きま

す。

 

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 先程の神社入口から、少し登った所にこの登城口があります。

 「霧山城址1350m」とあります、往復で2700m、さらに遺構を見るのにあち

こち歩き回ると約3000mは歩く事になるな…。 

 

詰城説明版

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登城口から山道を登って行くとすぐにこちらの詰城跡へと到着します。

郭Bと呼ばれる場所を中心とした、小さい縄張構造の詰城となります。

本格的に籠って戦うという感じのものではない感じです。

 

眺望?

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資料では、「この郭Aから館跡周辺が見渡せる」と書いてあったのですが、実際

にはこんな感じでした。

 

 

 

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主郭の東側にある郭Aとなります、この北側(正面)に竪堀があるはずでした

が、目視で確認できませんでした。

 

郭Bの切岸

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先程の郭Aから郭Bを見上げた写真がこちら↑

説明版には道が描かれていたのですが、ご覧の通り道がありません。

なので直登します↓

 

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この郭Bは東西に細長く35m余りあると記されていますが、大人数で籠る程の

広さではないので、この詰城と呼ばれている防御施設の利用目的はどの様な

ものであったのか?とても気になります。

 

郭B西側の堀切

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杉の木が密集して生えているので、とても見にくいですが、郭B西側の堀切と

なります。

これで館裏の詰城散策は終了、霧山城へ向かうためにひたすら山道を登ります。

 

南郭手前の削平地

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登山道を延々と延々と(2回も言った)登って行くと、鐘突き堂と呼ばれる南郭

の手前(東側)にある削平地に着きます。

この南郭の東尾根には3つ程の削平された郭がありました。

 

南郭(鐘突堂)入口

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この向かって右手の道を進んで行くと主郭方面へ行くことができます、まずは

左手の南郭から見ていきます。

 

南郭

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この南郭は、3つの尾根が合流する形の山頂部分を削平して造られており、周囲

を急峻な切岸で囲み、北西と南西の尾根筋に堀切を設ける等、しっかりとした

造りの防御構造となっています。

 

南郭南西の堀切

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数百年経っているので、だいぶ埋まってはいますが立派な堀切です。

ここ霧山城の遺構は人為的に破壊されていないのか、比較的良好な状態の遺構

を見学する事ができるので、とても見応えがあります。

これで南郭の散策は終了、いよいよ北郭へと向かいます↓

 

北郭・主郭虎口

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この主郭には東側と南西側に虎口がありますが、こちらは東側の虎口。

なにしろ土で造られているので、だいぶ崩れてしまってはいますがはっきりと

虎口だと判断できます。

 

霧山城・主郭

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先程の東側虎口付近から主郭の内部を撮ったのがこちら↑

ここ主郭は囲み土塁となっており、周囲の急峻な切岸と合わせて堅固な造りの

防御施設となっています。(土で造られているのである程度劣化してますが)

 

主郭北東の堀切

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 こちらは主郭と副郭とを隔てる堀切となります、実物の堀切は写真で見るより

も大きく深さもあり、とても迫力がある堀切となっています。

 

副郭

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北郭群は主に主郭と副郭を中心に、北東~南西へと細長い形で縄張が構成され

ており、ここ副郭は広さは主郭と同等かそれ以上で、囲み土塁(南側は無い)

と急峻な切岸で、主郭に負けず劣らずの防御構造となっています。

 

副郭からの眺望

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副郭からの景色がこちら↑、この霧山城のある場所が、いかに山奥にあるかを感

じてもらえると思います。

(当日霧山城には十数人の人が来ていましたが、自分以外はほぼハイカーの

人達でした)

 

副郭北東の堀切

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こちらは副郭の北東にある堀切で、これまた見事な堀切となっています。

現在でこれだけの代物なので、往時はきっと大迫力の深い堀切であったに違い

ない。

 

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見事な堀切ですね、麓の館跡から延々と何も無い山道を登って来ただけに、

喜びもひとしおです。

これで北郭群の北東は散策終了、一旦主郭へと戻ります↓

 

 

霧山城の標柱

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ここ霧山城の主郭には、この標柱の他にも城址碑などがあるのですが、この山奥

までどうやって運んだのだろうか?

これで霧山城の散策は終了、時間的に神社社務所が開いているはずなので、下山

してスタンプと庭園見学をします。

 

北畠氏館跡庭園

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 室町時代伊勢国司・北畠晴具の義父だった管領細川高国が作った池泉観賞

様式の武家書院庭園となります。

 

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こちらの庭園は「日本三大武将庭園・日本名園五十撰」に選定される程の格式

高い庭園となっており、ここ北畠氏館跡の見所のひとつとなっています。

開園時間:09:00~17:00。 

見学料:¥300-。

年中無休となっています。

 

霧山城ログ

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距離3km、比高240m、消費カロリー1108kcal、久しぶりに良い運動(山登り)

をさせていただきました。

 

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ここ霧山城がどれだけ山奥にあるか、分かってもらえると思います。

どれだけ山奥にあろうとも、霧山城の遺構は見応えがあるので是非行かれる

事をお勧めします。

スタンプ押印

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スタンプ設置場所:北畠神社社務所

スタンプの状態 " 管理状態は良いが、ふちに付くインクに注意。

スタンプの印影:ここはどこですか?。

多気北畠氏城館

見所ポイント:館跡、館跡庭園、霧山城南郭群北郭群堀切土塁、虎口、等。

駐車場:北畠神社専用駐車場(数台)神社隣のJA(休日のみ)20台程度。

総評:北畠氏城館・詰城・霧山城は、北畠氏が8代、230年にもわたりこの地を収めてきたまさに北畠氏の「栄華の痕跡」ともいえる遺構で、その貴重にして見応えのある文化財と遺構を間近で見る事ができます。特に北畠氏館跡庭園霧山城は見応え抜群なので是非見学される事をお勧めします、その霧山城はかなり山奥にあり起伏が激しい箇所もあるので、山登りの装備で挑んで下さい。こんな貴重な遺構を間近で堪能できる多気北畠氏城館・霧山城へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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