石垣山城
別名: 一夜城、石垣山一夜城、
所在地: 〒 250 - 0021 神奈川県小田原市早川1383-12
城地種類: 山城
築城年代: 天正18年(1590)
築城者: 豊臣秀吉
文化財史跡区分: 国指定史跡
井戸曲輪石垣
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表
しました。神奈川県からは小机城と " 石垣山城 " が選ばれました。
続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を
カウントしたいと思います、今回行った石垣山城を登城 10城目とします。
石垣山城概要:
関東を支配する北条氏の小田原城を攻略するために、豊臣秀吉の命でこの石垣山城は築城されました。小田原城からわずか2.6kmの距離にある笠懸山の山頂に、約80日間の日数と のべ4万人~5万人の人員を動員し、主要部分が総石垣造の近世城郭を完成させました。小田原城落城後は石垣山城もその役目を終え廃城となりましたが、多くの遺構とともに「一夜城伝説」が現在も残っています。
縄張図
前回(其の一)では看板の現在地から南曲輪→西曲輪→天守台下→東口門
下とレポートしました。今回はそこから二の丸、本丸、井戸曲輪と、
レポートしていこうと思います。
二の丸広場
本丸北側にある、石垣山城において一番広大な曲輪となります。
曲輪の北側には櫓台跡があります、大きさは約13×10m程の規模で
こんもりとした小さい丘みたいな形で残っています。
本丸石垣
本城曲輪(本丸跡)の北側にある石垣跡です、残念ながら崩れてしま
っていますが、石材の大きさや量から考えると立派な石垣がそこにあ
ったんだと思われます。
この石垣の近くに写真にあるような看板がありました、とても興味深い
内容で見入ってしまいました。
本城曲輪(本丸)へ
先程の看板から、本丸北口門跡を通り石垣の上へとやって来ました。
そこから二の丸広場を一望します、風が心地よく気持ちいい。
こちらが本丸跡となります、現在は公園のようになっており遺構として
は写真奥にある「天守台跡」が残っています。
物見台
本丸東㟨にある「物見台」からみる相模湾と小田原の街並みです。
本来ならここから小田原城天守を見る事ができるのですが、樹木の影
に隠れて見る事が出来ませんでした。(とても残念)
物見台に展示してある、小田原城包囲の陣形図となります。
こうして見ると織田信雄の所だけ手薄に見えます、孫子の兵法にある
逃げ道を……。みたいなやつか?その場合織田信雄の部隊は……。
説明看板
本丸を散策していたところ、こちらの看板を発見しました。
とても詳しく書いてあります。
天守台跡
往時、ここには穴太衆が積み上げた高さ15mにも及ぶ高石垣の天守台
があったとされています。(現在においてその面影はあまり無い)
天守台に使用されていた多くの石材は何処へ行ってしまったのか?
江戸城築城の際に持って行かれてしまったのか?
展望台
北曲輪と二の丸の境界付近にある展望台です、早速行ってみましょう。
雑木で何も見えません! 何も見えないのに展望台とはこれ如何に…。
左に顔を向けてみる、やはり何も見えません。
先程の物見台といい、(小田原市さん、頑張って下さい)
井戸曲輪へ
先程の展望台の近くにこちらの井戸曲輪に通じる入口があります。
看板が小さいので見逃さないように。
井戸曲輪石垣
階段を下りてしばらく進むとご覧の光景が目に飛び込んできます。
す、素晴らしい! 因みに陽があたり光っている部分が沢をせき止めた
部分となります。
真ん中の井戸をぐるりと囲むような形で、石垣が展開されています。
まさに圧巻ともいえる迫力の石垣群です。
約430年もの間、幾多の大地震にも耐え、現在まで残る井戸曲輪の姿
に驚きと感動を隠す事ができませんでした。
井戸曲輪説明看板
構造的な特徴から「さざゑの井戸」は理解できるのですが、
「淀君化粧井戸」とは、どういう事なのでしょうか?
もう一枚看板があるので見てみましゅう。
とても良く出来ている看板で嬉しくなります。
穴太衆って本当に凄い人達の集団ですね、尊敬します。
井戸曲輪の北東部分の写真です、平な小道みたいなのが本来の道で、
スロープになっており、そのまま螺旋状に井戸まで下っていく構造に
なっていたんですね、説明看板のとおりなら。
昔は井戸の底まで下りられたそうですが、現在ではここまでしか進め
ません。(バリケードがあり立入禁止)でも遺構を守る為なので問題
無しです。
こちらの素晴らしい野面積の石垣を眺めていた時、ふとある言葉を思い
だしました。それは 穴太衆の口伝として代々伝わっている石積の極意で
「石の声を聴き、石の行きたいところへ持っていけ」という言葉です。
ここから井戸曲輪を見たときに思いました。ここにいる石達は皆、自分
の行きたい所に行かせてもらい、喜んでいるんだと。だから約430年経
った今でもその雄姿を残しているんだと。
本丸西側
名残惜しいですが井戸曲輪をあとにして、下城する事にしました。
まだ通った事が無かった本丸西側の天守台下を通るルートです、この
辺りには石垣の石材が多く散らばっていました。
駐車場へ戻ると…。
60台近く駐車できるのに満車になっていました、3年前に来たときは
同じ時間帯でも半分埋まるかどうかだったのにまったく驚きです。
理由は主に2つあると思います、1つ目は石垣山城が続100名城に認定され
た事。2つ目は駐車場にあるスイーツ店が人気でそれ目当てのお客さん
が増えたこと。どちらにせよ人が大勢訪れるのは良い事です。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:石垣山城駐車場トイレ前
スタンプの状態:状態は良いのですが、力んで押すと↑の様になります。
スタンプのデザイン:この城で一番の見所ポイントが印影となります。
昼食
小田原と言えば「かまぼこ」?そこで、" かまぼこ定食 " で検索してみる
がヒットしない。そんな時ふと、目にとまったのがこちらの蕎麦。
ご当地グルメとは言えないが、美味しそうだったのでこちらにする事に。
宿場そば
食べてみて驚いたのが蕎麦のコシでした、しっかりとした噛みごたえで
食べている感が凄く、美味しかった。そして何より9種類もの味が楽し
めるので最後まで飽きる事なく美味しく頂けました。
ここで食べました↓
https://tabelog.com/kanagawa/A1409/A140901/14001703/
石垣山城
見所ポイント: 本丸、二の丸、井戸曲輪、大堀切、石垣、景色、早川石丁場群、等。
駐車場: 石垣山一夜城歴史公園駐車場(無料)58台
総評: 小田原攻めの陣城として、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命で築城されました。石垣山城は一夜城で有名ですが、実際には昼夜を問わずの突貫工事で約80日間を4万~5万人掛けて築城されました。秀吉はここで茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。つまりそれだけ大きく、しっかりとした造りの近世城郭だったことが伺えます。近江の石工集団「穴太衆」に積ませた穴太積の野面積石垣は現在でもその姿を良く残している箇所が幾つかあり、とても見所があるポイントとなっています。
特に南曲輪の南西方向に伸びる高石垣と、井戸曲輪の螺旋状に積まれた石垣は必見で、
この2カ所の穴太衆によって積まれた石垣は小田原市の宝だと個人的には思います。
こんなお宝級の歴史的遺構を真近で見る事ができる石垣山城へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。