浜松城登城!続日本100名城27城目 三方ヶ原の戦いと出世城~其の壱
浜松城
別名:曳馬城、出世城。
所在地: 〒430 - 0946 静岡県浜松市中区元城町100-2
城地種類: 平山城
築城年代: 1570~1582年(元亀元年~天正10年)
築城者: 徳川家康
文化財史跡区分: 市指定史跡
復元された天守門
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を
発表しました、静岡県からはここ " 浜松城 " と 興国寺城 、諏訪原城、
高天神城が選ばれました。
スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。
今回の浜松城をもって続日本100名城、登城 27城目とします。
浜松城概要:
1504~1521(永正年間)に今川貞相が遠江曳馬城を築城、その後1560年(永禄3年)に桶狭間の戦いで織田信長により今川義元が討たれると、今川家のごたごたに乗じて家康が調略にて曳馬城を手に入れます。
1570年(元亀元年)に家康は本拠地を岡崎城からここ、曳馬城へと移し浜松城へと改名しました、その数年後の1573年(元亀3年)の三方ヶ原の戦いで惨敗した家康は、わずかな部下と共にここ浜松城へと逃げ帰っています。
幕末までの300年の間に徳川譜代の大名家が数多く入れ替わり、約26人が城主として入れ替わったとされています、その中から老中5人を筆頭に大阪城代、京都所司代、寺社奉行等の幕府の要職に就く者を多く輩出し、浜松城は " 出世城 " としてその名を広く知られる事になりました。
駐車場
浜松城専用駐車場で無料(約120台)となります。
駐車場緯度経度:34.713328, 137.726305
駐車場から天守のある天守曲輪(南西)へと進みます、現在は天守曲輪
と本丸の一部しか残っておらず、本丸も南東側半分は小学校の敷地と
なっています。
天守曲輪・南側
ここで本来なら天守門へと進むのですが、一旦南下し大通り沿いにある
「鎧掛松」を見学し、その後天守曲輪へと進みました。
" 鎧掛松 " とは? 三方ヶ原で惨敗した家康が休憩し、鎧を脱いでかけた
と伝えられている松の事です。(真偽のほどは不明)
屏風折石垣
こちらは天守曲輪南西にある" 屏風折石垣 " となります、これは横矢掛り
の変形型でまさに屏風が折れている様な姿で積まれています。
石垣説明看板
あ~確かに言われてみれば「鉢巻石垣」の様相を呈していますね。
こちらは天守曲輪南側の石垣となります。
因みにここ浜松城は、家康の時代には土で造られた土の城で、その後
1590年(天正18)に家康が関東に移ったあと、城主として入った堀尾吉晴
が石垣を築いたといわれています。
野面積の石垣
ここ浜松城の石垣は浜名湖北岸から産出される " 珪岩 " を主体に、石灰岩
や結晶片岩などで構成され、荒々しい感じの野面積で積まれています。
徳川家康の像
こちらの家康像は1981年(昭和56年)に建てられました。
手に何か持っていますね、調べてみると「勝草」と呼ばれた歯朶の葉
の事みたいです。
家康は兜に歯朶の葉形の前立がついている" 歯朶具足 " を作らせたとの
記録があります。
この様な感じで現在は浜松城公園として整備され、市民の憩いの場と
して機能しています。
本丸から天守門へ
本丸北側の家康像を見た後にいよいよ天守門へと向かいます。
でもその前に本丸と天守曲輪の石垣を一通り見てまわる事にしました。
本丸北側・石垣
本丸北側にあるこちらの石垣ですが、横矢掛の辺りをよ~く見てみると
石垣上部と下部とでは使用されている石材の大きさ等が違います。
修復したあとでしょうか?
ここ浜松城の石垣は約400年間もの間、その見た目に反してその原型を
よく留めていていると云われています。
(弱そうに見えるが、丈夫にできているらしい)
天守曲輪へ
本丸北側からこの階段を使って天守曲輪へと進みます。
天守曲輪石垣
見事の一言につきますね。(カッコいい石垣です)
ここ浜松城の石垣は裏込石を1m~1.5m程入れている造りとなっています。
ここで先程の階段部分が気になったので、戻る事にしました。
本来、このスロープ状の部分を使って天守曲輪に入っていたのではないか
?と思いました。
天守門南側の石垣
この辺りまで来ると石垣に大き目の石が使用され始めます、この部分
の石垣は昔からある物なのだろうか?
天守門
こちらの天守門は2014年(平成26年3月)に礎石や資料を参考に復元
されました。
この天守門を復元するにあたり木材は全て浜松市産の桧、杉、松を使用
したとの事。
また、天守門建築に当たり櫓の床材は浜松工業高校と天竜林業高校の
生徒が鉋(かんな)がけをするなどして天守門が復元されました。
門脇の鏡石
天守門の両脇に写真のような、大きな鏡石が2つ石垣に組み込まれて
います。
石垣の中に完全に埋め込まれている訳ではないので薄っぺらい石では
なく、そこそこの厚みがあります。
この様に門脇に鏡石を使用した例が説明看板に書かれていました。
彦根城太鼓門櫓、岡山城本丸不明門、松本城太鼓門、等が挙げられて
いました。
門下の排水溝
そういえば姫路城の門下にも同じ様な、瓦を使用した排水溝が存在して
いたのを思い出しました。
天守門礎石説明看板
これを読むといかに発掘調査が重要なのかが分かります。
いざ、天守へ!
今回(その壱)はここまで。
次回其の弐では天守門内部~天守内部~井戸~石垣~とレポートして
いきます。
其の弐へつづく~