みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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津山城登城!日本100名城54城目      一二三段の高石垣に魅せられて~其の二(完)

津山城

別名: 鶴山城

所在地: 〒708 - 0022  岡山県津山市山下

城地種類平山城

築城年代: 慶長9年(1604)

築城者:  森忠政

主な関連施設:津山郷土博物館

文化財史跡区分: 国指定史跡

城西側高石垣

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2011年4月にここ津山城へと訪れた時はまさに、日本100名城のスタンプ

を集める事に一生懸命になっている頃でした。

なので撮った写真も5枚程度、これではブログが書けないので2019年

に再訪する事にしました。

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津山城概要:

関ヶ原の戦いのあと森忠政が信州川中島から19万石で入封し、約13年

の歳月を費やして築いた要塞堅固な城がここ「津山城」となります。

鶴山全体を高石垣で囲んだ総石垣造りの平山城で、まるで雛壇のよう

に曲輪を重ねて築いた「一二三段」の構えが特徴のひとつとなります。

その後明治4年(1871)に廃藩となり、明治7年(1874)に天守・櫓な

どが取り壊されましたが、平成17年(2005)に築城400年記念行事の

一環として備中櫓が復元され今日に至ります。

辰巳櫓跡

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位置的には城の南東になります、切手門を進み突き当りの右側に位置

します。

石垣天端から下を見ると、この石垣の反り具合が分かると思います。

 

 

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石垣の天端から東の方向を見てみます、東津山の町が眼下に広がります。

往時建っていたであろう櫓の上からなら東津山の町を一望できたと思い

ます。

 

包櫓と十四番門

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城の東側に位置する、帯曲輪への入り口(門)となります。

 

表鉄門跡

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 この表鉄門は、櫓門上階の西端が御殿の入口として使用されていたと

いう事が伝えられています。

 

表鉄門絵図

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この表鉄門の門扉は全て鉄板で覆われていたそうです。

 

 

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表鉄門の説明看板となります、詳細に記されていて参考になります。

 

長局・高石垣上から

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素晴らしい高さですね!この辺りの石垣は勾配があまり無く、垂直に

近い形で積まれています。

 

長局説明看板 

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ここ津山城には御殿や櫓等がひしめき合っていたのが伝わってきます。

 

 

備中櫓内部

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備中櫓の2階部分となります、櫓なのに畳敷きになっています。

これはこの備中櫓が御殿の一部として機能していたからだといいます。

 

 

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ご覧ください、釘隠しや襖の金具が金色となっていてまるで御殿の内部

のようです、櫓なのに…。

 

ハートの石ではない?

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ここ津山城にはパンレットにも紹介されている「ハートの石」なる物

があるのですが、ここ五番門跡にあるこちらの石はそれに該当しません。

紛らわしい…。

 

多聞櫓説明看板

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こちらの説明看板で注目したのは、最下段の2行部分の文言です。

石垣裏の栗石が実に6mもの幅で入れられていたという事実です、これは

天守の重量と高石垣部分の土の重量が土圧として石垣を圧迫する事を想定

し、クッション材の役目も果たす栗石層の幅をここまでの幅にした先人

の知恵・技術の表れではないかと推測しました。

(あくまでも個人的憶測です)

 

津山城天守

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 資料によると天守台の高さは3間(5.4m)で天守の高さは約22mであっ

たと書かれています。

 

 

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1604年から森忠政が本格的な築城を開始したといわれており、実際に

天守台を見ると表面を整えた " 打込接ぎ " に隅石は " 算木積 " となって

います。

 

天守台説看板

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因みにこの「張りぼて」の天守には破風がいくつも付いていたそうです。

 

 

七番門跡

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 本丸の北西にある七番門跡となります、二の丸から本丸(天守曲輪)

へと繋がるこの津山城においての最短ルートとなっていました。

説明看板があったので見てみましょう。

 

 

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 高さ3mの石垣を、ハシゴを使用して乗り越えていたんですね。

 

穴蔵構造

 

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津山城天守は、こちらの地階から天守内部へと入っていく穴蔵方式で

造られていました。

正面に何やら立札のような物があります、近づいてみましょう。

 

愛の奇石?

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面白そうなので早速見てみる事にします。

 

 

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そういえばこの津山城に来る前に行った、姫路城にもハートの石があり

ました。

ここである事に気が付きます!そうです、ハートの石に矢穴の跡がある

ではありませんかっ!(良い物を見させていただきました)

 

天守台穴蔵の礎石

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等間隔で配置されているのかと思いきや、意外と線上に連なって配置

されているんですね。

 

 

天守台からの景色

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天守台から西側の津山市街を眺めます、良い眺めですね~。

 

 

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こちらは天守台から北西を写した写真です、往時この天守台の上に高さ

22mの天守がそびえ立っており、その最上階からみた景色はこれ以上の

ものであったであろうと容易に想像がつきます。

ここで天守台周辺の散策を終え、本丸の東側へと移動します。

 

合坂

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城の北東部分にある矢切櫓跡の石垣&階段となります。

説明看板には「合坂」と書いてあります。

それにしても見事な造りで、思わず見とれてしまいます。

 

 

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写真左下の石の残骸みたいな物がとても気になります。

石垣が崩れたのでしょうか?

 

裏鉄門

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 この裏鉄門は文化6年(1809)の火災で焼失してしまい、その後門は

再建されなかったようです。

 

大戸櫓跡高石垣

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 城の北北東に位置する大戸櫓跡の高石垣となります、この部分の石垣

は高さもあり通路も狭いせいか簡素な安全柵が設けられています。

 

粟積櫓跡・高石垣

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城の北側に位置するこちらの " 粟積櫓跡 " は小天守と呼ばれていました。

石垣も高さと勾配があり、大戸櫓と粟積櫓で防御の要としていたと言わ

れています。

粟櫓の説明看板があったので見てみましょう。

 

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食料として粟を貯蔵していたから、粟積櫓なのかと思ったら違うんで

すね。

 

粟積櫓からの眺望

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粟積櫓跡の高石垣から北西方向を眺めます、ここの石垣は高さがあるの

で石垣天端まで近づくと高さで足が震えます(これがたまらんのです)

 

粟積櫓跡・北東の眺望

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せっかくなので北東側も見てみます、良い眺めですね。

往時建っていた粟積櫓の最上階から見た城下町の風景は、どれ程素晴ら

しいものだったであろうか… 。

 

もみじの小道

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パンフレットに書かれているこちらの「もみじの小道」は城の北東で

矢切櫓跡西側にある合坂の反対側に位置します。

 

瓦櫓跡

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写真の奥に見える横矢掛けの所が櫓跡となります。

このまま南東へと進み、駐車場へと向かいました。

 

石垣の繋ぎ目

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位置的には城の東端となります、鼓櫓と太鼓櫓のちょうど中間辺りで

しょうか、石垣(曲輪)を拡張した跡が見られます。

 

津山城絵図

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 現在では石垣のみが残る城跡ですが、この絵図が書かれた頃はさぞや

凄い要塞堅固な巨大城郭だったんだろうと、もはや妄想が止まりません。

 

津山城古写真

 

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こちらは明治初期に、旧津山藩城代家老の松平国忠が取り壊し前に撮影

した在りし日の津山城となります。

確かに破風をもたない天守が写っていますね。

 

下城

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津山城を堪能し、とても満足したのでここで下城する事にしました。

駐車場へ行く途中で見つけました。(まるで親子のよう)

この様にここ津山城は石垣好きにはたまらない、一日中いても飽きない

最高の城跡となっています。(この後、大谷の石切場を見に行きました)

 

ご当地グルメ

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津山ホルモンうどん

岡山県津山市発祥の「津山ホルモンうどん」は、熱した鉄板で牛ホルモン

と野菜、うどんを焼き合わせ、辛めのタレで味をつけた料理です。

このお店で大盛りの津山ホルモンうどんを頼んだのですが、写真が美味し

そうに撮れなかったのでこちらのメニュー写真でご勘弁を。

 ここで食べました↓

 https://tabelog.com/okayama/A3304/A330401/33006591/

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所津山城備中櫓受付。

スタンプの状態: " 普通 " 押し方は良かったが真ん中辺りが白くぼやけた。

スタンプの印影津山城の高石垣を印影の主体としています。

 

津山城

見所ポイント:本丸、二の丸、三の丸、備中櫓高石垣天守台、合坂、各櫓跡、等。

駐車場鶴山公園専用P(無料20台)津山観光センター(無料30台)等。

総評関ヶ原の戦いのあと、その戦功により入った森忠政が13年の歳月をかけ造り上げた総石垣造りの城、津山城。雛壇のように曲輪を重ねて造られた石垣の一二三段は圧巻の一言で、訪れる者を魅了してやみません。

往時、本丸に建てられた五重の層塔型天守を筆頭に縄張り内に(外郭を含む)実に77基もの櫓が存在していたとも言われています、それに加えてあの高石垣ですからその防御力といったら国内でも屈指のまさに要塞堅固な巨大城郭だったと思われます。

こんな石垣好きにはたまらない、見所満載の津山城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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