御坂城
所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町の山奥(山梨県笛吹市御坂町上黒駒)
城地種類:山城
築城年代:不明
築城者:不明
文化財史跡区分:不明
御坂城概要:
天正10年(1582年)織田・徳川連合軍によって武田氏は滅亡します、同年6月に織田信長が本能寺の変に倒れると甲斐の国を統治していた織田家の河尻秀隆が一揆勢により打ち取られてしまい甲斐の国は空白地となりました。この武田氏の旧領を巡って相模の北条氏、三河の徳川氏の間で戦が始まります。御坂城には北条氏がその守備につきました、北条・徳川間で和睦が成立すると北条氏は撤兵し、甲斐の国は徳川家康のものとなり、城もそのまま廃城となったと思われます。
御坂城の所在地は長らく不明でしたが、昭和43年(1968年)、御坂城の古地図が発見され、調査の結果遺構も発見されました。(まさに幻の城)
北側の横堀
雪が降る前にどうしても行っておきたかった城があり、それがここ「御坂城」です。
標高1575m / 680mの高地にあり、実に約390年もの間その所在が分からなかったという
とてもレアな山城だからです。
では前回(其の一)に続き御坂城をレポートしていきます。
南側にある帯郭?
自然の地形ではなく、人工的に平にされた敷地が数十メートル程
東西に延びています。
峠の茶屋跡
この辺りから城の中央部になっていきます、そうですこの城は両脇が
高くなっており城の中央部が低いという造りになっているのです。
横堀
横堀も地形に合わせて向きが変わるために途中から斜めに下りだして
竪堀へと変化していくとても面白い構造となっています。
横堀からの ~ 竪堀!みたいな感じです。
横堀&切岸
写真右側は山の急峻な斜面で左側が切岸らしくなっています。
現在ですらこの感じなので往時はさぞかし " エグイ感じ " (鉢形城で教えてもらった)
だったんだろうと思います。
道みたいだった瞬間!
長い年月の間に溝が埋まり、現在は「道」のようになっています。
カーブする横堀
其の二の表紙に使用した写真です、北東から延びる横堀が竪堀へと
変化していく形で土塁が形成されています。
竪堀
土手の部分から見て分かるとおり、かなりしっかりと造られている感じの
竪堀です。地形をうまく利用しているので真っ直ぐではありませんが。
トイレ
城跡の中央部分にあるトイレです、やはり自然や遺構を大切にする
という観点からもこのトイレは助かります。(ドアは無く丸見えですが…。)
ある事に気付く!
トイレで用を済ませふと見ると看板があるではないですか、よく見てみると。
自分が来た往路は看板右の「天下茶屋」、これは定番コースと言われている道で
健脚の方なら1時間30分、普通にゆっくり休みながらだと2時間かかるコースです。
ここである事に気付きます、それは看板にあるように道が一本下に(南側)に下りている事です。そうです、この現在使用されている御坂トンネル脇から登ればもっと早く
来られたのではないかという事です。(やはり下調べは大切です)
南側横堀
南側の横堀です、なぜかこの城跡は北側の土塁はしっかりとした角度と深さ
があるのに南側は角度も深さもあまりありません。
太陽が良く当たると遺構の劣化が早いのでしょうか?
二重土塁
城の中央から少し西側に行った所にある北側斜面の二重土塁です。
おそらくはこの御坂城において一番の見所ポイントではないでしょうか!
しかし、こんな山奥にこのような土木量の土塁をみる事ができるとは
全くもって驚きます。
さらに西へ
先程の二重土塁はまた後でゆっくり見るとして、とりあえず城の全容を
確認する為に西へと移動します。
溝が埋まり道みたいになっている横堀を歩いて進みます。
切岸と堀
390年も経っているのに左側の土塁はしっかりとその姿かたちを今に残しています。
まるで道のようになっている横堀も写真の奥まで続いているのが分かります。
どんどん先へ進んだ所で斜面を登り西側の上段部分へと到達。
これで御坂城を北東端から南西端まで散策完了です。(マジで700m位あるかも?)
帰りながら
先程の二重土塁を再度見学します、それにしても凄い。
標高1575mのこんな山奥にこのような土塁が390年もの間
隠れていたのだから…。
感動的だった瞬間!
ここで暫くの間、この二重土塁に見入ってしまいました。(凄いっ、そして美しい)
そしてある事に気が付く、それは土塁から生えている木々達の根っこです。
このような形状の土塁が390年もの間、風雨にさらされていたらもっと崩れていてもおかしくはありません。写真からも見てとれるように木々の根っこが土塁に蔓延りしっかりと土塁を支えていたからこそ現在その形状を維持できているのではないでしょうか。
山の木々達よ、「ありがとう」。
帰路に就く
本来ならここで最短距離で下れる南側(現御坂トンネル)から下るのですが
生憎車が天下茶屋に停めてあるので来た道を戻ります。
(往復で3時間30分)+(見学に1時間30分)=5時間歩きました(膝ガクガクです)
最後に富士山を
帰路の途中でまた富士山を見ました。
そこで自分はこう思いました、「あれっ? ここから見る富士山が一番絵になるなっ!」
ご当地B級グルメ
かっぱ飯:
河口湖にまつわる″かっぱ伝説″から生まれた名物「かっぱめし」。
キュウリの浅漬けと長芋(または大和芋)のすりおろしに調味料を混ぜる。これを炊きたてご飯にのせる。刻みのりやごまを添えるのもいい。お店ごとにオリジナリティーあふれる「かっぱめし」が用意されています。
ここで食べました↓ Ctrlキーを押しながらクリックするとジャンプしません。
http://www.kawaguchiko.or.jp/manpuku/
御坂城
見所ポイント:御坂山&鉄塔から見る富士山、堀切、横堀、竪堀、二重土塁、馬出、等
駐車場:天下茶屋前にある駐車スペース4~5台、天下茶屋駐車場6~7台、路駐20台位
総評:ある城好きの人が言っていた「 山城好きなら一度は見ておけ御坂城 」この言葉を聞いてからというもの、毎日悶々とした日々を過ごしてしました。
いかん、このままでは仕事も手につかないし、夜も眠れない。
それで今回御坂城に来た訳ですが、正直ここまで巨大な山城だとは思っていませんでした。東西に約700mはあろうかという細長い縄張りに張り巡らされた竪堀、横堀の数々。この御坂城の圧倒的な土木量ともいえる土塁の数々を目の当りにした自分は感動を通りこし驚愕してしまいました。
鎌倉古道を中心に東西に長く伸びるこの縄張りは、おそらく元々は峠の関所のような所であったものを武田氏や北条氏が東西に拡張し、巨大な山城へと変貌させたのではないでしょうか?(あくまでも個人的憶測です)
なぜなら城として見た場合、本丸は何処にあるのか?もし城跡の中央付近だとしたら
両脇の高い部分の郭から攻撃されたら守る側が不利なのは一目瞭然だからです。
あと、廃城から390年もの間その所在が不明であったというのも不思議です。
ここは登山コースとしてそこそこの人数のハイカー達が通ります、これだけの土塁が目に入らないとは思えないのですが…。
(ハイカー達は土塁に興味ないから目に入らないのか?)
謎多きこの御坂城で日本一ではないかと思えるポイントが幾つかありました。
① 標高の高さ1575m. ② 城跡までのアクセスの悪さ ③ 気温の低さ
城跡まで行くのは大変ですが苦労して行く価値はあります、週末にでも訪れてみてはいかがでしょうか。(雪が降ったらやめた方がいいです、遭難して死にます。)