諏訪原城
別名:牧野城、牧野原城、扇城。
城地種類: 山城。
築城年代: 天正元年(1573)。
主な関連施設:諏訪原城ビジターセンター(続100スタンプ&御城印)
文化財史跡区分: 国指定史跡
本曲輪・東側の眺望
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました、静岡県からは ” 興国寺城 " 浜松城 " 高天神城 ” そしてここ” 諏訪原城 ”が選ばれました。
スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。
今回の ” 諏訪原城 ”をもって続日本100名城、登城37城目とします。
2022.1.9.登城。
諏訪原城概要:
天正元年(1573)、武田勝頼により遠江侵攻の拠点として、牧之原台地に築かれました。城名は城内に諏訪大明神を祀ったことから、諏訪原城の名がついたとされています。天正三年(1575)、長篠の戦いで武田氏が敗北すると、同年8月に諏訪原城落城、徳川家康が入城して牧野城と改名されました。その後、徳川氏により城は大きく改修されましたが、武田氏滅亡後暫くして廃城となりました。
諏訪原城縄張図
其の二(完)でも、パンフレットに記載されている、こちらの案内図をもとにレポートしていきたいと思います。
今回、其の弐では本曲輪~本曲輪東側の内堀~本曲輪南側~水の手曲輪~竪堀~カンカン井戸へとレポートしていきます。
尚、前回(其の一)の記事はこちら↓
本曲輪西側の虎口
二の曲輪から内堀越しの東に位置する曲輪で、囲み土塁と内堀で守られた城の中枢部となります。それでは早速、土橋部分から内堀を見てみましょう↓
虎口の土橋部分から、南側の内堀を見たのがこちらとなります。発掘調査の結果、往時の堀幅は約20m、深さは10m、あった事が分かっています。と、いう事は相当堀底が埋まってしまっている事になりますね。
虎口の土橋部分から北側を見たのがこちらとなります↑。発掘調査の結果、堀底は「箱堀」形状となっており、その幅は6.75mであったと説明看板に書いてありました。
本曲輪
この本曲輪東側からは富士山と大井川があり、天気の良い日には見える事があります。
本曲輪の東側は鋭い切岸と空堀で防御されており、まさに ” 後ろ堅固 ” の様相を呈しています。
本曲輪からの眺望
クラウドファンディング「家康が見た絶景が見たいプロジェクト」で多くの寄付が集まり、本曲輪内と東側斜面の木々が伐採され、本曲輪周辺がとても綺麗になりました。欲を言うともう少し写真左側の木々をさっぱりしてもらいたかったのだが……。
後ろ堅固
本曲輪の東側に展開する、鋭い切岸と横堀、そしてまた切岸と横堀、の2段構えの防御構造となっています。(下からの高さは2段分だと数十メートルにも及びます)
16号堀南から
「この切岸と横堀を下から見たい」と、ビジターセンターの職員さんに申し出たところ、「ここに物凄く目立たない小道が、下まで続いているので是非行ってみて下さい」と教えてくれたので、早速その目立たない小道(場所は案内図の①)を下りてみました。
先程の横堀から、更にもう一段下りた所にある一番下の横堀となります。もっと近づいて見てみます↓
本曲輪の東側は、切岸と横堀がそれぞれ二段構えになっており、更に横堀の下(東)は山の急斜面として麓まで続いています。
横堀脇の通路から切岸を見上げたのがこちら↑。麓から急斜面を登ってきた攻め手は、この切岸の上に更に高い切岸があるようには見えないので、この切岸をクリアしたその時に絶望感を味わうという、何とも手厳しい防御構造となっています。
横堀を南端から
クラウドファンディングのおかげで、とても綺麗になっています。ここから一旦、横堀の上段まで登り、そこから横堀を本曲輪沿いに進んで水の手曲輪へと進んで行きます。
16号堀(上段の横堀)から見上げた本曲輪東の切岸となります↑。素晴らしいですね!
この様に本曲輪の南側も見事な切岸と横堀が施されています。木々が伐採された事でより一層、切岸と横堀の存在感が強調され、見る者を圧倒する景観となっています。
更に進んで、南側からも見てみます↓
廃城から400年経った今でもご覧の通り、素晴らしい切岸の姿を今に遺しています。
少し進んで、この素晴らしい切岸をもう少し違った角度から見てみます↓
ホント素晴らしいですね、この切岸と横堀のコラボレーションがたまりません!まさに「良い仕事してますねぇ~」。ここから更に西へと進み水の手曲輪を目指します↓
水の手曲輪・南側の竪堀
ここ諏訪原城はとにかく横堀が多く、竪堀はあまり見かけませんが、こちらの竪堀は400年以上経過してなお、その形状をよくとどめています。この竪堀の起点を見てみましょう↓
場所は案内図の②となります。竪堀の起点となる部分で、横堀まで繋がっている構造のようです。
堀切
先程の竪堀起点部分のすぐ先は、この様に堀切のような構造になっており、水の手曲輪と区切られている感じでした。ここから更に西へと進み水の手曲輪へと進んで行きます。
水の手曲輪・井戸跡?
このへこみは井戸跡でしょうか?
水の手曲輪周辺は、確かに地面が湿っている感じで、場所と掘りかた次第では、水が出ても不思議ではない感じでした。このまま北へと移動して「カンカン井戸」を目指します↓
張られたロープの外側から中を見てみると、井戸の側壁には玉石がキレイに積まれていました。
諏訪原城ログ
時間:1時間34分、まあまあの規模の城跡です。
距離:2.1kmで消費カロリーが712㎉、平地が多いから体力的には楽です。
標高・比高:標高は220m、駐車場からの比高はほとんどありません。
広域
意外にも駅近物件の城ですね、金谷駅からは徒歩でも訪れる事ができそうです。
御城印
御城印販売場所:それぞれの販売所でお求め下さい。
御城印のサイズ:通常サイズ。
御城印の値段¥:一枚300円。(限定品はそれぞれの値段、もしくは寄付)
こちらの限定御城印の他にも、数種類の御城印が販売されています。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:諏訪原城ビジターセンター。
スタンプの状態: " 普通 " 少し力んでしまった。
スタンプの印影:横堀、土橋、馬出、三日月堀と見事なラインナップ。
遠江・諏訪原城
見所ポイント:本曲輪、二の曲輪、空堀、丸馬出、三日月堀、土塁、井戸跡、等。
駐車場:諏訪原城ビジターセンター駐車場(8台程度)第2駐車場あり。
総評:ここ諏訪原城は、武田氏の遠江支配の拠点となった山城で、本格的に徳川氏との対決に向けて築城されたと云われています。落城後、徳川氏の手により大幅な改修が行われ、巨大な丸馬出(二の曲輪中馬出・二の曲輪大手馬出等)が現在でもその姿を遺していて、実に見所のある城跡となっています。これ程見事にして巨大な丸馬出は、そうは見られるものではない貴重な遺構なので、週末あたり訪れてはいかがでしょうか。