みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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遠江・諏訪原城登城!続日本百名城 37城目 武田の築城、徳川の改修~其の一

諏訪原城

別名:牧野城、牧野原城、扇城。

所在地:〒428-0037 静岡県島田市菊川1174 。

城地種類: 山城。

築城年代天正元年(1573)。

築城者武田勝頼徳川家康

主な関連施設諏訪原城ビジターセンター(続100スタンプ&御城印)

文化財史跡区分: 国指定史跡

二の曲輪中馬出

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました、静岡県からは ” 興国寺城 " 浜松城 " 高天神城 ” そしてここ” 諏訪原城 ”が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。

今回の ” 諏訪原城 ”をもって続日本100名城、登城37城目とします。

2022.1.9.登城。

諏訪原城概要:

天正元年(1573)、武田勝頼により遠江侵攻の拠点として、牧之原台地に築かれました。城名は城内に諏訪大明神を祀ったことから、諏訪原城の名がついたとされています。天正三年(1575)、長篠の戦いで武田氏が敗北すると、同年8月に諏訪原城落城、徳川家康が入城して牧野城と改名されました。その後、徳川氏により城は大きく改修されましたが、武田氏滅亡後暫くして廃城となりました。

諏訪原城縄張図

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諏訪原城のパンフレットに記載されているこちら↑の案内図を使用してレポートしていきたいと思います。

 

ビジターセンター・駐車場

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15年前に来た時には無かった、諏訪原城ビジターセンターです。(駐車場とトイレあり)こちらでパンフレットと御城印を入手する事ができます。

 

諏訪原城説明看板

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ビジターセンターの駐車場から城内へ入り、大手南外堀付近にこちらの説明看板があります。

 

二の曲輪大手馬出

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二の曲輪大手馬出を東側から撮った写真がこちら↑。早速、北西へと移動してこの大きな三日月堀が良く見える場所へと移動します↓

 

 

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訪れるたびに毎回声が出てしまう、「デカい馬出だな!」。もう少し先に行って違う場所から見てみます↓

 

 

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本当にデカい三日月堀で、その土木量に圧倒されます。ここと二の曲輪中馬出は徳川による改修で造られたといわれています。次に二の曲輪中馬出を見るために北側へと移動します↓

 

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二の曲輪中馬出へと移動するその途中(二の曲輪西側の外堀付近)に説明看板がありました。” 今川氏真 ” が在城していた事もあるんですね、勉強になります。

 

二の曲輪中馬出

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ホント素晴らしいですね、そしてこの土木量!もはや声がでません。少し移動して違う角度からも見てみます↓

 

 

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深さもさることながら、この堀幅が半端ないですね。重機が無い時代にこれを手作業で掘ったんですか…。

 

 

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クラウドファンディング(家康が見た絶景が見たいプロジェクト)のイベントではこちらの堀内に5名程が下り、上からみんなでボールで攻撃したという、楽しい思い出がよみがえりました。

 

 

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馬出内部がこちら↑。平に削平されている…、堀側に土塁は無いんだ…、往時はあったのかな?

 

 

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堀幅が結構ありますね、この距離には何か意味(射程とか)があるのでしょうか?

 

工事中

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本来であればそのまま北へと進み、二の曲輪北馬出と復元された門を見に行くのですが、当日は生憎の工事中で立入禁止でした。このまま進んで二の曲輪へと進みます↓

 

二の曲輪西側の堀

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場所は案内図の「8」の部分です。天気が良い日にはこの北端から富士山がかろうじて見えるそうです。二の曲輪に関する説明看板があったので見てみます↓

 

 

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発掘調査が進んで、色々な事がわかってきてますね、今後に期待したいです。

 

 

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結構広いですね、1月なので空気が澄んでおり、空が綺麗です。

 

二の曲輪・仕切土塁

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こちらの土塁、区画はもちろんの事、風除けや蔀土塁など色々な役目を担っていたのだろうか?

 

二の曲輪・西側の土塁

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ここ諏訪原城は本曲輪から扇状に広がる形で縄張が構成されており、二の曲輪は南北に細長い形で造られています。その西側にこのような土塁が巡られ、防御と風除けの役割を往時は果たしていたと思われます。

 

二の曲輪大手馬出裏側(北の外堀)

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場所は案内図の「16」の裏にある外堀北側となります。馬出の裏(北東)もしっかりと外堀が巡らされ、二の曲輪への進入を拒む縄張構成となっています。それでは土橋の上から南側の外堀も見てみましょう↓

 

 

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この辺りは、昔訪れた時はジャングルだった記憶があるが、現在ではご覧の通り結構整備されて綺麗になっています。そのまま東南へと進み、二の曲輪南馬出を見に行きます↓

 

二の曲輪南馬出

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城の南側を守るこちらの防御施設は、この南馬出と東馬出が並び、その後ろ(北)に東内馬出が配置された ” 重馬出 ” となっており、二の曲輪南側の守備の要となっています。

 

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発掘調査の結果、こちらの馬出周辺から大量の鉄砲玉が発見されたらしい。これが何を物語っているかというと、恐らくこの小さな馬出は武田氏が築城した初期の諏訪原城の遺構で、徳川との戦闘がここで行われた可能性が非常に高いという事です。

 

二の曲輪説明看板

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この説明を読むと、やはり発掘調査はとても意味があり、重要な事だという事が分かります。

 

 

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二の曲輪南馬出の裏側がこちら↑。土橋から二の曲輪へと入るのですが、すぐ正面に二の曲輪東内馬出が待ち構えています。この土橋から東側を見てみましょう↓

 

 

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往時は相当深かったみたいですが、現在ではご覧の通り。この先に二の曲輪東馬出があります。

 

二の曲輪東内馬出

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この辺りの小さな馬出群は、築城した武田氏の縄張がそのまま残っていると思われるが、堀の部分に関しては発掘調査の結果、改修の跡が見られたらしい。
今回はここまで、其の二では本曲輪~本曲輪東側切岸~水の手曲輪へとレポートしていきたいと思います。

其の二へつづく。

諏訪原城

見所ポイント:本曲輪、二の曲輪、空堀丸馬出三日月堀、土塁、井戸跡、等。

駐車場諏訪原城ビジターセンター駐車場(8台程度)第2駐車場あり。

中間報告:ここ諏訪原城は、武田氏の遠江支配の拠点となった山城で、本格的に徳川氏との対決に向けて築城されたと云われています。皮肉にもその後、徳川により攻め落とされ、改修を受けた事により現在の姿へと変わりましたが、その時改修された縄張が良好な状態で残っており、訪れる者を魅了してやみません。其の二でも、ここ諏訪原城の魅力を発信していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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