武蔵日尾城
別名: 無し
城地種類: 山城
築城年代: 不明
築城者: 不明
文化財史跡区分: 県選定重要遺跡
牛首峠の岸壁
比企城館跡群の菅谷館・杉山城・松山城・小倉城を攻略したあとに、花園城
も攻略しました、そこから30km程の所にある " 日尾城 " がとても面白いという
ので行ってきました。(2021.1.2.登城)
日尾城概要:
築城年代は不明ですが、ここ日尾城は文明10年(1478年)に太田道灌に攻められて鉢形城を追われた長尾景春が一時的に籠もったとも伝えられています。伝承によれば、1569年(永禄12年)に武田氏の武将、山県昌景に攻められた際、諏訪部定勝が泥酔していたため、奥方が代わりに陣頭指揮をとり撃退したと云われています、その後1590年(天正18年)の「小田原征伐」で北条氏滅亡とともに廃城となりました。
日尾城・南側ルート
秩父霊場31番札所の観音院駐車場(36.041016,138.951718)に車を停め、駐車
場の端にあるこちらの木橋から日尾城を目指しました。
沢沿いの景色
ここ日尾城へは東側と南側の2つのルートがあるのですが、今回は(南側)
のルートをとりました。
理由は「秘境感溢れる景色で、非日常を楽しめるから」です。
駐車場から沢沿いを登っていくのですが、このように大きな岩盤がそこら中に
点在しており、なかなかの景観となっています。
案内看板
駐車場から10分程登るとこちらの案内標識が現れます。
とりあえず「牛首峠」、これを目指します。
この辺りの岩盤っぷりも凄いですね!
この時自分は昔テレビでやっていた「川口浩探検隊」の事を思い出しました。
" 猿人・バーゴン " とか出てきたらどーしよーか?
ここは本当に埼玉県なんだろうか…?
牛首峠付近
駐車場から30分位で牛首峠に到着します、地形の構造上城跡への直登はでき
そうにありません、つまり尾根筋さえ抑えてしっかりと守れば難攻不落という
わけです。
牛首峠の岸壁
こちらが牛首峠の岸壁です、中央部分が切通しみたいになっていて、通路兼
堀切として機能していたのでしょうか。
岸壁を北西からみた写真がこちら、この割目はある程度人の手が入っていると
思われます。
ここで城跡へ行く前に、西側にある出郭へ向かいます↓
牛首峠の西端には岩盤堀切があり、その手前に削平された郭らしきものがあり
ます、そこに張り出し部分があるのですがそれがこの写真となります。
正面を落ちると下まで滑落する事間違いなし!
西端出郭の堀切
深さといい、角度といい、素晴らしい堀切です。(自然の物に手を加えたか)
これ以上前へ出ると落ちてしまいます。
これで出郭付近の散策は終了、牛首峠の岸壁調査へと向かいます↓
岸壁の西端部分
牛首峠にある岸壁の西端となります、この部分が見ての通り低くなっているので
、ここから岸壁の上へ登る事が出来ます。
では早速登ってみましょう↓
この岸壁は幅が約1.2m~1.3m程度あり、綺麗にその幅で東西に細長く展開し
ています。(とても自然に出来たものとは思えない…)
岸壁の中央部分がこちら、下から見上げた時は「飛び越えられるかも?」と
思ったのですが、間近で見ると「こりゃ無理だ!」となります。
この割目上部から下を見てみる、意外と高くて足がすくむ。
岸壁上からの景色
岸壁の割目上部から北を向いて撮った写真がこちら↑
木が無ければ見事な眺望が広がっていた事でしょう。
来た道(岸壁上部)を戻り、割目の脇から城跡を目指します↓
岸壁の割目の脇に階段があり、そこから岸壁の脇を通って(狭いですっ!)
北東へと進みます。
岸壁上部・東側から
せっかくなので、東側からも岸壁上部へ登って割目まで来ました。
やはり飛び越えるのは無理そうです…。
曲輪へ到着
岸壁から北東へ進んで行くとこちらの郭跡へと着きます、ここは高低差を利用
して3段の段郭があります。
こちら↑が真ん中の郭(上から2段目の郭)となります、基本的に尾根上に造ら
れた日尾城においては、この3段の郭はかなり広い郭となります。
そしてこちらが3段の郭の上から1段目の郭となります、恐らくこの日尾城に
おいて兵の宿舎や建物等があったのではないかと思われます。
東端の帯郭
土地の有効利用で、このような場所にも郭を配置しています。
この向かい側(南西)には東出郭と呼ばれる郭があるので見に行きます↓
東出郭
こちらの郭は南端に位置していて、先程の3段の段郭の次に広い郭となってい
ます。
主郭と思われる郭
城域において1番高い場所にあり、背後(北側)を深い堀切で守られているこの
郭が主郭だと思われます。
下城
以上で日尾城の散策は終了、登城口~牛首峠~城跡ととても見応えがあり、
楽しめました。
武蔵日尾城
見所ポイント:南側ルートの景観、牛首峠の岸壁、堀切、郭、出郭等。
駐車場:秩父霊場31番札所の観音院駐車場(36.041016,138.951718)。
総評:1569年(永禄12年)に武田軍に攻められたが、見事に撃退したと伝わるここ日尾城ですが、実際に訪れてみてその意味がよくわかりました。城域の周りは険しい斜面と岸壁で囲まれ、城へと行く道はとても狭く、1列にならないと進軍できない程の山道なので大軍を効率的に展開できません。なので人が通れる部分だけ防御すれば屈強な武田軍が相手でも撃退できたのだと思いました。こんな秘境感に満ち溢れ、非日常を楽しめる山城、" 武蔵日尾城 " へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。