みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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要害山城登城!続日本100名城 25城目   武田氏・躑躅ヶ崎館の詰城~

要害山城

別名:要害城、積翠山城(せきすい さんじょう)

所在地: 〒400 - 0011 山梨県甲府市上積翠寺町

城地種類: 山城

築城年代: 1520年(永正17年)

築城者武田信虎

主な関連施設甲府市藤村記念館(スタンプ設置場所)

文化財史跡区分: 国指定史跡

主郭北東・土橋

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城

発表しました、山梨県からはここ " 要害山城 " と新府城が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。

今回の要害山城をもって続日本100名城、登城 25城目とします。

要害山城概要:

1519年(永正16)に甲斐の武田信虎は石和の川田館から甲府躑躅ヶ崎館へと居館を移し、その詰城として翌年に要害山城を築いたとされています。

甲府市積翠寺町の丸山に築かれ、標高755m、比高250mの要害堅固な山城でした。

1520年(永正17)に今川氏の家臣といわれた武将福島氏(詳細については不明)が甲斐へと侵攻、その祭に信虎の正室大井夫人を要害山城へと非難させました、その時生まれたのが後の武田信玄であったと伝えられています。

要害山城鳥観図

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出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/ 

こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図はとても見やすいですね。

 

藤村記念館

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 こちらの建物が甲府市藤村記念館で、続100名城のスタンプを押す事が

できます、縄張図もあるので登城前にこちらへ来る事をお勧めします。

駐車場緯度経度:35.6671706,138.5704114 (甲府駅北口第2駐車場)

30分までは無料なのでとても助かります。

 

要害山城駐車場 

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登城口のすぐ近にある駐車場となります、10台程度停められます(無料)

駐車場緯度経度:35.704031, 138.593015 

バスは一日に数本しか運行されていないので、アクセスはよくありません。

 

登城口

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こちらの看板と石碑の脇を登っていきます、登り始めてすぐに石積に

よって区画された曲輪のようなものが出てきますが、遺構かどうかは

わかりません。

 

見張り台跡?

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登山道を登り始めてすぐにあるこの場所、北側の街道を監視するのに

適している感じです、往時ここには " 見張り台 " があったのかもしれま

せんね。

 

門跡

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ここ要害山城は主郭を中心に、西側へと幾つもの曲輪を連続して配置

する連郭式の縄張でこの様な門跡が8つ程確認されています。

場所は鳥観図の(1の門)

 

不動曲輪

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なるほど、この曲輪の名前は江戸時代後期に付けられたんですね。

 

 

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こちらが不動曲輪となります、場所は鳥観図を参照して下さい。

 

井戸曲輪へ

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先程の不動曲輪から、諏訪水と呼ばれる井戸がある井戸曲輪へと移動を

開始しました、その途中に現れたこちらの道……。

" 藪漕ぎ " 一歩手前の状態です!藪の高さはおよそ170cm!

 

帯曲輪

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諏訪水と呼ばれる井戸がある、井戸曲輪となります。

山の北西斜面を削平し造られた曲輪で、場所は鳥観図の諏訪水の部分

です。

 

井戸跡

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「この井戸は、一年を通して水の絶える事がありません。築城の際、

諏訪明神に祈って水を得たため、" 諏訪の水 " と名付けられたと伝えら

れています。」と、脇にある看板に記されていました。

 

大竪堀

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先程の井戸跡から足場の悪い地面を東に移動し、6の門から北北西へと

落ちる(鳥観図参照)大竪堀を見に行きました。

竪堀というより、ここまで大きいと もはや " 沢 " ですね。

 

門跡の石積

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門跡の虎口辺りにはこの様に石積が見られます、この石積がどの年代に

どの勢力によって積まれたか詳細は分かっていないようです。

看板があったので見てみましょう。

 

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このように随所に説明看板があるのですが、" 竪土塁 " に関しては看板

も土塁も確認する事ができませんでした。(何処にあるのか?)

 

城塁の切岸

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急峻な山頂に築かれた小規模な山城を想像していたので、正直ここ要害

山城を訪れてみて驚きました。

東西に細長く約400m、幾つもの曲輪を配置しそれぞれの曲輪が段々畑

みたいに連なり、その曲輪間を仕切る土塁・切岸もしっかりと造られて

いるからです。

 

主郭虎口

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こちらが主郭の入り口(虎口)となります、ここに来るまでにいったい

幾つの曲輪を通過してきただろうか?(とても堅固な山城です!)

 

信玄公誕生の地

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石碑には信玄公誕生の地とありますが、ここ(主郭)で生まれたので

しょうか?

 

主郭広場

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この主郭の両脇斜面がこれまた凄い急斜面で、甲冑を付けた状態では

まず登ってはこられないと思います。

 

主郭土塁

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本丸にある囲み土塁の一部が現在でも残っています。

因みにこの主郭部は東西約73m、南北約22mの規模となっています。

ここで主郭裏(東側)の堀切&竪堀&土橋を見に行きます↓。

 

主郭東側の堀切

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主郭のすぐ裏、(東側)にある堀切とそこにかかる土橋となります。

特徴としては堀切からそのまま竪堀として斜面を下っていく構造となっ

ており、その更に後ろ(東側)の堀切も同様の造りとなっています。

 

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土橋の上から堀切の北側を見てみます、この尾根部分はほぼ平らですが

その先は角度にして約60度はあろうかという崖の斜面に竪堀が続きます。

場所は鳥観図のEと書かれている部分です。

土留めの石積

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この堀切にかかる土橋には、土留めの為と思われる石積が見られます。

土橋の部分と主郭側の部分としっかりと補強されている感じです、

早速近づいて見てみる事にします↓

 

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こちらは土橋の部分の石積です、土橋が崩れないようにしっかりと補強

されているのがわかります。

 

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こちらが土橋と結合している主郭側の城塁で、その下の部分を石積で

しっかりと補強してあるのが見てとれます。

この石積をアップで見てみましょう↓

 

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土橋に使用されている石材と比べると、こちらで使用されている石材

はひと回り小さい物が使用されています。

 

堀切北側

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この堀切からの竪堀部分が、超急斜面との情報を事前に入手していた

ので早速見に行く事にしました。

 

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急斜面というより崖といったほうが適切な竪堀を写真に撮るが、上手く

撮れない、そう、斜面が急角度すぎて写真で表現できない(自分の撮影

技術の無さを痛感しました)そこで横を向き撮ったのがこの写真。

 

城北東にある土壇

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先程の堀切から北東へ進んだ場所がこちら、場所は鳥観図のFとなります。

この場所は尾根上の平らな部分(狭い)に土を盛って造ったかのような

盛り上がりがあり、その下が石積によって補強されています。

 

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この土壇がこの部分だけに使用されているので、とても気になる。

要害山城と、その支城とよばれている熊城にもこのような構造のもの

はここだけにしか確認できない。

 

北東尾根の竪堀

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先程の土壇がある尾根の北側斜面には竪堀が数条掘られています。

見ての通り両サイドは急峻な斜面(崖)となっており、北東側の防御

の要となっています。

 

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竪堀を見てみます、急角度すぎて上手く撮れません。

ここで足を滑らせると下まで滑落する事間違いなし!

 

いざ、熊城へ!

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この要害山城には " 熊城 " と呼ばれる支城があり、この尾根伝いにUの

字を描くようにグルっと回り込んだ南東側に存在します。

熊城のレポートは書きあがり次第アップしたいと思っています。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所甲府市藤村記念館(09:00~17:00休刊日は月曜、年末年始)

スタンプの状態: " 普通 " 屋内管理だが、上手く押せなかった。

スタンプの印影: この建物は何?

 

ご当地グルメ

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ほうとう

山梨県を中心とした地域で作られる郷土料理。

武田信玄が陣中食に用いたといわれていますが、真意のほどは定かでは

ありません。(とにかく美味しいので細かい事は言いません)

 

 

要害山城

見所ポイント主郭、各曲輪、竪堀堀切、石積、虎口、土橋、切岸、急斜面。

駐車場:緯度経度:35.704031, 138.593015 (10台程度・無料)

総評:要害山城は甲府市上積翠寺町にある丸山と呼ばれる山の山頂に築かれた山城で、標高775m、比高250m、東西の長さ400mにもなるとても要害堅固な山城です。

大手から主郭まで幾つもの曲輪が連なり、尾根の両脇(南北)は急峻な崖で立地条件といい縄張構成といい、ホント良くできた山城だなと思わせてくれます。

中世の山城なのに石積が多様されている点など、武田氏滅亡後もこの土地を制した勢力によって修繕・改修がなされたような箇所も随所に見られる等、見ていてまったく飽きがきません、なので今後の更なる発掘・調査等を期待してやみません。

こんな要害堅固にして、それぞれの勢力の痕跡が残る不思議な山城「要害山城」へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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