勝沼氏館
城地種類: 平城
築城年代:15世紀頃
築城者:勝沼氏
文化財史跡区分:国指定史跡
勝沼氏館概要:
史跡勝沼氏館跡は、15~16世紀に営まれた有力武将の居館跡で、武田信虎の弟信友が勝沼衆を率いてこの地を拠点としていたと考えられます。信友は天文4年(1535)に相模の北条氏との戦いで敗死してしまいますが、その後も武田氏による甲斐国支配の重要な拠点として、今井氏などの重臣がこの地を治めていったと考えられています。
と、パンフレットに書いてあります。
ここを右折
東京方面から行くと、国道20号線「上岩崎・原」交差点を右折。
少し進んで祝橋を渡ったら、写真の交差点を右折すると勝沼氏館
専用駐車場があります。(5~6台無料)
こんな感じの駐車場です。
勝沼氏館跡
駐車場から畑みたいな何もない野原を少し歩くと遺構がお出迎え。
いきなり巨大な土塁と空堀が出現!
東門木橋
写真奥にあるのが東門で、内堀と東門をつなぐ役目がこの木橋
でした。(現在木橋は撤去されています)
見事な土塁&堀
です、ここまでくるともはや城ですね。
木橋の土台です。
土塁&堀
写真左の土塁は高さ3mあるのだとか、実に見事です。
北側土塁&堀
内郭と北側と東側を囲んで高さ約3mの土塁が築かれ、その外側
には最大約15mにおよぶ空堀が設けられていました。
北門跡
大手口にあたる北門です、内郭の北西端に設けられ木橋で外部と
接続していました。
説明看板(1)
内郭部の詳細な説明が書かれています。
説明看板(2)
写真にうまく撮れませんでした。(字が読みにくい)
工房跡
鍛冶工房や木製品加工の工房が置かれ、郭の中で工人達が働いて
いた事が想定されています。
会所跡
ここで色々な事を話していたのでしょうか?
会所水溜
汚水や生活排水の排水枡の事でしょうか。
主屋跡
館の主はここで生活をしていたのでしょうか。
築地塀跡
昔ここには築地塀がありました。 へぇ~…。
半地下蔵跡
地下の収納スペースでしょうか。
櫓跡
内郭の南端にある「 櫓跡 」です、櫓の土台にしてはやけに小さい
ような気がするのですが気のせいでしょうか?
内郭からみる東門
東門を内郭から見るとこんな感じです。
木橋で堀の向こう側とつながっていました。
東門左側の土塁
見事な土塁に思わず声がでる、「うぉ~!すご~!」でも大丈夫、
周りに人は誰もいません。 (居るのはカラス一羽だけ)
見事な曲線美
内堀東端の堀の折れ部分、この曲線美がたまりません。
復元ではありますが、「いい仕事してます」。
山梨県立ワインセンターの建設候補地となったことで館跡の詳細
な調査が行われ、その全貌が明らかとなりました。
勝沼氏館は日川の北岸にある標高418mの河岸段丘上に築かれて
交通の要所であり、相模・武蔵方面への備えの役割を担っていた
と考えられます。
勝沼氏館跡
見所ポイント: 空堀、土塁、東門、北門、内郭、建物跡(主屋、御座所、工房、等)
駐車場: 勝沼氏館跡専用駐車場(5~6台無料)
総評: 昔この辺りに勝沼氏館があったと言われてきた推定地に、昭和48年、県立ワインセンターを誘致する計画が立てられ、建設予定地内を試掘調査したところ、礎石建物郡、石積水路等の遺構や中世陶磁器片、土師質皿(はじしつさら)等の遺物が検出されました。その後昭和52年まで断続的に調査が行われ、いま内郭と呼ばれている館跡の中枢部分の遺構配置などが明らかにすることができました。と、パンフレットに書かれています、とても素晴らしい事だと思いました。
特にここを訪れた者をいきなり魅了してしまう巨大な土塁と空堀は、まさに圧巻でここへ来て本当に良かったと思ってしまいます。それと建物跡群から当時の生活様式を垣間見る事ができ、とても貴重な遺構であることがうかがえます。
館跡の一部分ではありますが、こうして国指定の史跡として遺構を後世に伝えて行く事ができていて、本当に喜ばしいかぎりです。
この素晴らしい遺構の数々を週末にでも見に来られてはいかがでしょうか。