笠間城
別名:桂城、
所在地:〒309-1611 茨木県笠間氏笠間3616 。
城地種類: 山城。
築城年代: 1219(承久元年)。
築城者: 笠間時朝。
主な関連施設:かさま歴史交流館 井筒屋 (スタンプ、パンフレット、等)
文化財史跡区分: 市指定史跡
本丸北虎口の石垣
017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本百名城を発表しました、茨木県からは ” 土浦城 " そしてここ” 笠間城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 笠間城 ”をもって続日本百名城、登城39城目とします。
2022.3.20.登城。
笠間城概要:
1219(承久元年)に、現在の茨木県笠間市にある、佐白山の山域に築かれた山城で、笠間氏が築城したと云われています。1590年(天正18)、秀吉の小田原征伐の際に北条方についた笠間氏は、本家の宇都宮氏に攻められ滅びてしまいます。その後1598年に蒲生郷成が城主となり、その祭に織豊系の近世城郭へと改修し、現在の姿になったと云われています。
かさま歴史交流館・井筒屋
こちらの " 井筒屋 " で続日本100名城のスタンプとパンフレット、そして御城印を入手する事ができます。
千人溜駐車場
車で来られる方は、こちらの千人溜駐車場から登るのが一番早いと思います。(数十台駐車可)
大手門跡
正面にある石垣の裏から登って行きます。
笠間城説明看板
少し見ずらいですね、説明分の部分を拡大してみましょう↓
国指定史跡に向けて頑張ってください。
矢穴石
二の丸東の階段に、このような矢穴の跡がある石が幾つか見られました。さすがは石垣を多用する近世城郭なだけあります。
本丸北虎口の石垣
写真左側に階段があり、そこが枡形虎口となっています。
この辺りはまさに、近世城郭の改修といえますね。
本丸
本丸と言いながらも、天守曲輪とは離れた位置関係にあります。この広さなので居館などが建てられていた可能性がありますね。
本丸切岸
本丸へと行く途中で、二の丸から本丸の切岸を見たらとても見事だったので、早速本丸北側上から見てみました。
宍ヶ崎櫓跡
本丸の西端に位置するこの場所に「宍ヶ崎櫓跡」があります。ここで面白い石を見つけたのでご紹介↓
見事な矢穴石ですね、矢穴痕の風化具合が数百年の時間の流れを感じさせます。
ここで本丸の南にある " 八幡台 " へと進みます↓
八幡台櫓跡
こちらにあった八幡台櫓は現在移築されており、真浄寺の七面堂として使用されているそうです。
南西隅櫓跡
この場所の東側には土塁が盛ってあり、そのまま櫓門跡まで続いています。
櫓門跡付近で見つけました。櫓門があったという事は、それに付随する石垣もあったと考えられ、この辺りに散在する石材はその名残りかもしれませんね。
櫓門跡東側の堀切
櫓門跡の東側には、この様に堀切が存在します。この先の階段を登って行くと、いよいよ天守曲輪へと到着です。
天守曲輪へとつづく階段に、こんなんありました。
天守曲輪手前にある「笠間城天主跡」の標柱です。この階段を登りきった所に天守曲輪があります。
天守曲輪の石垣
地震で崩れてしまっているので、写真左側の石垣辺りは立入禁止となっています。ですが、石垣の隅石に矢穴跡があったので近寄って見てみます↓
いい味出してますね、この石は!せっかくなので、更にアップで見てみます↓
矢穴石はいい味出しているのですが、このワイヤーと塩化ビニールパイプがよろしくない…。何とかならんかな…。
佐志能神社・立入禁止
天主曲輪の最上部にある佐志能神社(標高205m)ですが、地震の影響を受け、崩れた箇所がある為に2022.3.20.現在、立入禁止となっています。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:かさま歴史交流館「井筒屋」。
スタンプの状態: " 普通 " 少し滲んでしまった。
スタンプの印影:天守曲輪の石垣。
笠間城ログ
時間:51分、やはり千人溜駐車場からだと早いです。
距離:1km、全ての遺構を見ると、この倍以上はかかります。
標高・比高:標高は205m、登り始めた千人溜駐車場からの比高は59mでした。
広域
山城としては決して大きくはない笠間城ですが、実際に歩いてみるとそこそこの規模の山城に感じてしまう、とても不思議な感覚を覚えました。
笠間城
見所ポイント:天守曲輪、本丸、二の丸、石垣、矢穴、櫓跡、堀切、土塁、等。
駐車場:千人溜駐車場(数十台)。
総評:現在の茨木県笠間市にある佐白山に築かれた山城で、当初は山の地形を利用した土の城でした。その後、蒲生氏の手によって山城に織豊系の技術(石垣、櫓、天守)を取り入れ、近世城郭的な山城へと変貌させ、その姿を現在まで見事なまでにとどめています。こんな、山城なのに近世城郭的な姿を見せ、楽しませてくれるここ笠間城に、週末あたり訪れてはいかがでしょうか。