みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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勝間田城登城!戦国期に改修・増築されたとされる中世の山城~

勝間田城

別名: 無し。

所在地: 〒421-0406 静岡県牧之原市勝田

城地種類: 山城

築城年代: 15世紀頃?。

築城者: 勝間田氏。

主な関連施設: 無し。

文化財史跡区分: 県指定史跡。

五重堀切

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 2019年11月24日(日)に静岡県牧之原市勝田において行われた、

勝間田城址543年祭」に行ってきました。

勝間田小学校の体育館で「牧之原の城」をテーマに講演会が開催され、

日本城郭協会の萩原さちこ先生・加藤理文先生による「城跡を生かした

地域づくり」の講演と、春風亭昇太師匠のトークショーが行われました。

 講演開始2時間前に到着し時間があったので勝間田城へ登城しました、

その様子をレポートしていきたいと思います。

勝間田城概要:

築城年代については定かではありませんが、勝間田氏によって築城され

たと考えられています。

中世の山城の姿をよく残した貴重な山城で、牧之原台地の丘陵地100

~130m程の山頂部分に今でも数多くの遺構が良好な状態で残っています。

1476年(文明8)に駿河守護の今川義忠の攻撃を受け勝間田城は落城、

勝間田氏の一族は現在の御殿場市の辺りに移りすみました。

勝間田城鳥観図

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出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/ 

こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図とても見やすいですね。

 

出曲輪(的場)

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場所については鳥観図を参照してください。(現在は茶畑)

駐車場(10台位)とトイレはここから徒歩で7~8分下った所にあります。

駐車場・トイレ 緯度経度:34.781542 , 138.159085 となります。

 

西三の曲輪

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こちらの曲輪では掘立建物跡や馬洗場、井戸などがあった事が確認さ

れています。

 

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こちらが、三の曲輪と二の曲輪とを隔てる土塁となります。

 

 

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こちらの土塁は三の曲輪と二の曲輪を東西に分け、その真ん中が現在

通路になっていますが、本来の入り口(虎口)は東の端の部分にひっ

そりと存在しています。

 

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こちらは三の曲輪の東側となります、この先に二重の堀切があります。

その堀切を早速見に行きましょう↓。

 

三の曲輪東端・二重堀切

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この辺りは500年以上放置されているらしく、凄い事になっています。

今後の整備に期待したいと思います。

二の曲輪

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こちらの二の曲輪 には多くの建物群が存在していた事が分かっています。

その中でも南端にあった建物は礎石建物で、かなり丈夫な建物であった

事が分かっています。(兵糧や武器等の貴重品倉庫だったのか?)

 

勝間田氏の説明

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勝間田氏についての歴史が書かれています。

 

掘立建物跡

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二の曲輪にはこの様に多くの掘立建物跡が確認されています。

掘立建物についての説明版があったので見てみましょう↓。

 

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礎石建物跡

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こちらが礎石建物跡となります、説明版があるので見てみます↓。

 

 

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この説明版の中では「中世の山城では…非常にめずらしく…」と、あり

ますが、日本城郭協会理事の加藤先生いわく、「大堀切から北東に展開

する二の曲輪と三の曲輪は戦国期に増改築された可能性大」との事。

自分もパンフの縄張図を見た時すぐに「あれっ!」って思いました。

 

大堀切

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先程の増改築の話に出てきた " 大堀切 " となります。

大堀切の南西にある北尾根曲輪と堀切の底は8m以上はあるでしょうか?

現在はこの堀切部分が本曲輪へと行く通路が通ってしまっている為、

往時の姿を偲ぶにはあまり適してはいません。

 

東尾根曲輪

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大堀切からみる東尾根曲輪となります、この曲輪の先(東南東)に

五重堀切があります。

 

 

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この先が東尾根曲輪となります、それでは行ってみましょう。

 

 

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こちらが東尾根曲輪の南側切岸です、いい感じの斜面となっています。

 

 

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こちらは東尾根曲輪の北側斜面となります、雑木が伐採されています。

今後は五重堀切を横から見られる様に、専門家と相談しながら(切り

過ぎると雨等で法面が崩落するため)雑木の伐採をしていきたいとの事。

 

東尾根曲輪からの景色

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この日はあいにくの曇天模様↷、晴れていればとても気持ちよかった

と思います。

 

五重堀切

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ちょっと前までは草ぼうぼうだったみたいですが、この日(勝間田城址

543年祭当日)の為に地元の方々が下刈りをしてくださったそうです。

(ありがたい事です)

 

その時!

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講演会まであと80分位の頃でしょうか、12.3人位の団体さんが堀切を

見に来ました、その先頭を歩いていたのがなんとビックリ!春風亭昇太

師匠で、その後に加藤理文先生萩原さちこ先生が続いて来られました。

 

先生方と共に…。

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昇太師匠に挨拶をして軽く世間話を交わした後、さちこ先生にも挨拶。

「五重堀切を見に行く」というので自分もついて行く事にしました。

その時、昇太師匠の歩き方がとても面白かったので思わず一枚!

噺家さんはさすがです、歩き方一つで笑いを誘ってきます!

 

 

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この後、こちらの堀切上で3人の先生方が広報と思われるカメラマンさん

に手を振って写真撮影をされておられたのですが、その時の先生方の

笑顔がとても素晴らしい笑顔だったのを今でも覚えています。

その時近くから撮った写真は非公開です。

 

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五重堀切で見た春風亭昇太師匠の最高の笑顔は、" 笑点 " の番組内で

は見た記憶がありません。(個人的な感想です、すみません)

 

北尾根曲輪

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場所については鳥観図を参照して下さい、本曲輪のすぐ横(北東)の

曲輪です。

この場所にも建物が2棟ほど建っていたらしいです。

 

本曲輪

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こちらが勝間田城の本丸、本曲輪でここを守るように西に堀切1条&

腰曲輪、北を守る為に北尾根曲輪×2 &大堀切、東を守る為に東尾根曲輪

&五重堀切&物見曲輪、南を守るために南曲輪&堀切1条&堀切2条。

決して大きくはないがしっかりとコンパクトにまとめられた山城で

その遺構が良好な状態で現在まで残っているとても貴重な山城です。

 

 

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本曲輪の囲み土塁となります、本曲輪を造る際に出た残土を盛り土に

し高さ2mの土の壁にしていると言われています。

 

城址看板

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たしか 横地城では桜の咲く時期に「横地」の苗字の人達が集まるイベ

ントがありましたが、ここ勝間田城でも「勝間田、勝又、勝股」の苗字

の人達が集まるイベントがあるそうです。(詳細は不明)

 

腰曲輪の堀切

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本曲輪の西側に位置する腰曲輪の堀切となります、草木が邪魔でよく

分かりませんが、黄色のラインのような感じで尾根切りして各曲輪間

を分断しています。

 

南曲輪

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本曲輪の南(正確には南西)に位置する南曲輪となります。

敵の侵入方向(堀切側)に土塁を設置しています。

 

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南曲輪の堀切となります、ただし500年以上経過しているのでほぼ埋ま

りかけてます。(往時は凄かったはずです、往時はきっと……。)

 

下城

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勝間田城の散策を終え、講演が行われる勝間田小学校へと行くとまだ

開演1時間前だというのに長蛇の列です!(写真は講演終了後のもの)

どうやら皆さん、春風亭昇太師匠がお目当てのご様子。(凄い人気です)

14:00に講演開始、そこから約2時間ほど昇太師匠、加藤先生、さちこ先生

のためになるそして面白いトークショーが行われました。

 

スタンプは

ありません。(今後できるかも?)

 

ご当地グルメ

食べる時間がありませんでした。

 

勝間田城

見所ポイント:三の曲輪、二の曲輪、本曲輪大堀切、南曲輪、五重堀切、その他。

駐車場:勝間田城址専用P(約10台)緯度経度:34.781542 , 138.159085 

総評:ここ勝間田城は1476年(文明8)に今川義忠により落城させられ廃城となりました、その後この城が使用されたという正式な記録は無いのですが、城の遺構(三の曲輪、二の曲輪等)をよく見るとどうやら戦国期にこの辺りを掌握していた勢力によって改修・増築がなされた可能性が大きいとの事。(その勢力が武田か徳川かは?)

良好な状態で残る、中世の古代山城部分と戦国期に増築という形で付け足された部分とが共にはっきりと分かる形で現在まで残っているとても珍しい城跡です。

しかも東尾根に展開する " 五重堀切 " なる全国的にもとても珍しい堀切まで備えていて

城好きにはたまらない城跡となっています、こんな貴重な山城、勝間田城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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八幡山城登城!続日本100名城 24城目     築城から10年で廃城になった山城~其の2(完)

八幡山城

別名:八幡城、近江八幡山城、

所在地: 〒523 - 0828 滋賀県近江八幡市宮内町

城地種類: 山城

築城年代: 1585年(天正13年)

築城者羽柴秀次

主な関連施設近江鉄道八幡山ロープウェイ(山頂にスタンプ設置)

文化財史跡区分: まさかの指定無し(それで良いのか?)

西の丸・眺望

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城

発表しました、滋賀県からはここ " 八幡山城 " と鎌刃城が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。

今回の八幡山城をもって続日本100名城、登城 24城目とします。

其の2では、石垣でのある再会~二の丸~本丸~北の丸へとレポート

していきます。

八幡山城概要:

琵琶湖南東の標高約285mの丘陵地に、近江など43万石の領主となった秀次(秀吉の甥)の居城として築かれた山城で、詰めの城と山麓居館部とに分かれている中世城郭の特色をもつ山城です。(それでいて総石垣造りという近世城郭の特徴も持っていた?)

その後秀次は1590年(天正18)小田原平定の後、清州城へと移封、秀吉の養子となり関白に就任するも秀頼の誕生により謀反の疑いをかけられ自刃させられ、1595年(文禄4年)に築城からわずか10年で廃城となりました。

八幡山城鳥観図

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出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/ 

こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図はとても見やすいので、

毎回山城に持っていってます。

本丸付近の石垣

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西の丸のすぐ東側、本丸近くのこちらの石垣上部には3寸~4寸位と思

われる矢穴があり、注目し写真を撮っていました。

 

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写真ではそのサイズ感がいまいち伝わりませんね。

ここで撮影をしていると何やら声が聞こえました。

ちょっとした再会があったのでご紹介↓(場所は鳥観図①)

のぞき込む猫!

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自分「矢穴が良い感じだぜ!」と、写真を撮っていると…。

「フゥー、ニャァ~!」 猫語翻訳(あれ~!下に変な奴いる~!)

自分「あれっ、石垣の隅石上部から何かがこっち見てるっ!」

ここで画像を拡大し、明るさを修正してみます。

 

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先程、西の丸に居たであろう、そうです!あの濃いめのサバトラ猫です!

猫は石垣に張り付いて写真を撮っている人間がとても気になる様子。

人間は石垣上部から、こちらを覗き込んでいる猫が気になる。

お互い気になる者同士、目と目が合って見つめ合う2人(1人と1匹)。

 

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5秒程見つめ合っただろうか?下にいる人間が、先程西の丸にいて写真

を撮っていた人間だと分かったみたいで、尻尾を上げながら甘えた声

で「にゃぁ~ん」猫語翻訳(おっちゃぁ~ん!遊ぼぉ~)と泣きなが

ら隅石をスルスルと降りてきました。

自分「悪いな坊主、おっちゃん石垣の写真を撮るのに忙しくてなっ!」

自分「また今度にしてなっ!」

 「そんニャアァァー!」猫語翻訳(そんなぁ~!)

遊んでもくれず、またおやつもくれないと分かると信じられない速さで

その場からいなくなりました。(まさに疾きこと風の如く!

ここで一旦二の丸まで戻り、右ルートの山門から本丸を目指す事に。

 

山門

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 こちらは瑞龍寺の山門で村雲御所と書かれています。

 

 

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村雲御所:

秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が、秀吉に自刃させられ

若くして果てた秀次の供養のために、京都の村雲に創建したのが村雲御所

昭和36年(1961)に現在地に移されたとされています。

 

山門脇の高石垣

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本丸の虎口でもあるこの山門脇の石垣は実に見事な高石垣となってい

ます。(かなり丁寧に積まれている印象を受けます)

 

多角形型の高石垣

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ここ八幡山城において自分がもっとも注目したのが、こちらの石垣で

城塁の形に合わせ石垣が多角形的に積まれているという、とても珍

しい構造の石垣となります。

 

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この様に多角形のように石を積んである石垣を自分は今まで見た記憶

がない。

全国的にみても稀有な事例と思われ、この石垣には計り知れない程の

価値があると、感じずにはいられませんでした。

(石垣から生えている木をなんとかしないと、このままでは石垣が…)

 

本丸南東の高石垣

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本丸南東に位置するこちらの石垣は、荒々しい感じの野面積でつまれ

ています。

 

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400年以上経過してもご覧のとおり孕む事もなくそこに

存在しています。(修復とかしていないのか?)

さらに本丸を東側、北東へと進んで行きます。

 

本丸東側高石垣

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表面が割と整えられた石を使用した見事な野面積みです。

ただ残念な事に石垣から木々が生えています、この木が成長していくと

その根が少しづつではあるが石垣を破壊していきます。

 

 

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こちらの隅石ですが、石垣の上部と下部で使用されている石が違う感じ

がします、下の部分は自然石そのままで上部の石は加工された石が使用

されている気がします、石垣上部は修復されているのでしょうか?

 

 

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このように本丸部分の石垣はしっかりとした状態で残っているので、

とても見応えがあります。(石垣から生えている木は切らないと…)

 

北の丸からの眺望

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本丸の北に位置する「北の丸」からの景色となります。

じつに気持ちの良い景色ですね。

ここで来た道を戻ります。

 

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来た道を戻る途中の本丸東側の高石垣となります、素晴らしいですね

ただ、何度も言ってしつこいですが、石垣から生えている木の根が石垣

にダメージを与えているかと思うと「何とかならんのか?」と、悲しい

気持ちになります。

 

瑞龍寺(村雲御所)

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秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が、秀吉に自刃させられ

若くして果てた秀次の供養のために、京都の村雲に創建したのが村雲御所

昭和36年(1961)に現在地に移されたとされています。

 

 

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瑞龍寺からの景色ですが、この時間帯(11:30)は逆光となります。

 

下城

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素晴らしい石垣群と、猫との楽しい時間を満喫し下城する事にしました。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所近江鉄道八幡山ロープウェイ山上駅。

スタンプの状態: " 普通 " 屋外管理ではないので悪くはない。

スタンプの印影: 場所の特定は困難↷。(陰影が複雑)

 

ご当地グルメ

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鯖そうめん:

焼鯖素麺(やきさばそうめん)とは滋賀県長浜市周辺の湖北地方に伝わる郷土料理。

鯖素麺(さばそうめん)とも呼ばれる。

農繁期である5月に、農家へ嫁いだ娘を持つ親が忙しい娘を気遣い、実家から嫁ぎ先に焼鯖を届ける「五月見舞い」という湖北地方独特の習慣に由来する。

Wikipediaより引用。(サバの出汁がインパクトありました)

八幡山城

見所ポイント秀次&家臣居館跡の石垣、本丸、二の丸、西の丸、高石垣、その他。

駐車場:緯度経度 35.140999 , 136.089185 

    日牟禮八幡宮の向かい側に無料の駐車場(70台程)。

総評豊臣秀吉の甥、秀次の居城で1585(天正13年)に築城され、総石垣造りだった

とても珍しい山城で山頂の主郭部と山麓の居館部をもって構成されていました。

この総石垣造りの石垣が現在においても割と現存しており、訪れる者にその威厳ある容姿を見せつけてきます、とくに多角形型の高石垣は全国的にも珍しく、「この石垣の現存的価値は計り知れないものがある」と感じずにはいられまんでした。

こんな素晴らしい石垣群を現在に伝える八幡山城に週末あたり訪れてはいかがでしょう

か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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