みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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八幡山城登城!続日本100名城 24城目     築城から10年で廃城になった山城~其の1

八幡山城

別名:八幡城、近江八幡山城、

所在地: 〒523 - 0828 滋賀県近江八幡市宮内町

城地種類: 山城

築城年代: 1585年(天正13年)

築城者羽柴秀次

主な関連施設近江鉄道八幡山ロープウェイ(山頂にスタンプ設置)

文化財史跡区分: まさかの指定無し(それで良いのか?)

秀次居館跡の石垣

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城

発表しました、滋賀県からはここ " 八幡山城 " と鎌刃城が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。

今回の八幡山城をもって続日本100名城、登城 24城目とします。

其の一では秀次居館跡とその周辺からレポートしていきたいと思って

います。

八幡山城概要:

琵琶湖南東の標高約285mの丘陵地に、近江など43万石の領主となった秀次(秀吉の甥)の居城として築かれた山城で、詰めの城と山麓居館部とに分かれている中世城郭の特色をもつ山城です。(それでいて総石垣造りという近世城郭の特徴も持っていた?)

その後秀次は1590年(天正18)小田原平定の後、清州城へと移封、秀吉の養子となり関白に就任するも秀頼の誕生により謀反の疑いをかけられ自刃させられ、1595年(文禄4年)に築城からわずか10年で廃城となりました。

秀次居館跡鳥観図

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出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/ 

こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図とても見やすく、素晴らしい

鳥観図なので毎回山城に持っていってます。

 

城下到着

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こちらの「日牟禮八幡宮」の鳥居をくぐり、橋を渡った先に駐車場

(無料)があります。

 

八幡堀

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風情溢れる運河の景色となります、こういう景色を見ると「旅ってい

いなぁ~」と思います。

この八幡堀の説明看板があったので見てみましょう。

 

 

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なるほど、琵琶湖から水を引き込み運河として多くの物資を運搬する

事により、城下町の経済的発展を図ったんですね。

 

日牟禮八幡宮

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読み方は(ひむれ はちまんぐう)

とても由緒ある神社で、七五三などの時期にはとても賑わいます。

この道路をはさんで向かい側が無料の駐車場(70台程)となっています。

駐車場の緯度経度:35.140999 , 136.089185 となります。

 

道路沿いの矢穴石

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八幡堀の鳥居~日牟禮八幡宮~八幡公園までの街道沿いには写真にある

ような矢穴の開いた石が数えきれない程あります。

 

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この他にも沢山ありましたが、キリがないのでこの位にしておきます。

因みに矢穴は1寸程度しかないので、城の遺構とは関係無いようです。

 

豊臣秀次銅像

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八幡山城へ行く前に " 豊臣秀次居館跡&石垣 " を見に行きます。

その途中にある秀次公の銅像となります。

(人気の無い場所にひっそりと立っています)

 

説明看板

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ここ八幡山城は主郭部の詰めの城と、山麓の居館がはっきりと分けら

れている中世城郭的な造りなので、やはりこの城跡を堪能するならば

山頂の詰めの城と山麓の居館跡をセットで見学する事を強くお勧めし

ます。

 

居館跡の大手道

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現在この秀次居館跡と家臣団館跡群は、個人所有の竹林となっている

ので敷地内(曲輪内)に入って見学する事はできません。

なので階段状の通路沿いに石垣等を眺めるだけとなります。

 

家臣団館跡の石垣

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山の斜面を掘削、整地し、雛壇状に高石垣によって仕切られた造りと

なっています。

 

 

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曲輪内は私有地で立入禁止なので、見学通路から石垣を見ます。

家臣の屋敷跡でもかなりの高石垣となっており、権力と資金力がかなり

のものであった事をうかがい知る事ができます。

 

鏡石

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秀次居館跡下には写真のような大きな石がいくつか存在します。

 

虎口東側の石垣

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秀次居館跡前には内枡形の虎口があり、その東側には4段の階段状に

積まれた石垣により曲輪と虎口が形成されていました。

 

虎口西側の石垣

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秀次居館跡の虎口西側の高石垣となります、こちらは虎口部分と被ら

ないので2段の石垣により各曲輪が構成されています。

南側(下段)の家臣館にある石垣とは、明らかに使用されている石の

大きさが違います。

 

山頂の主郭部へ

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本来であれば麓から徒歩で登るのですが、1泊2日での滋賀県遠征なので

時間がありません、なのでこちらのロープウェイを利用します。

尚、山頂のロープウェイ乗場に「続100名城のスタンプ」があります。

 

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ロープウェイを降りた所にある現在地看板です。

ここ八幡山城は史跡としての整備があまりされていないので、(残念)

ある程度自分の頭の中で、往時の縄張構成を想像しながら散策するの

がいいと思います。

 

石垣

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先ほどの看板からすぐ先が二の丸となり、そこから石垣が現れてきます。

 

 

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石垣は野面積みで、隅石は算木積になっていません。

織豊期の石垣でも、まだ過渡期のものでこれから急速に石垣の技術が

発展していく事になります。

 

 

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隅石を下から見てみます、稜線を見ると石垣が孕んでいるように見え

ます。(山頂で400年も経てば当然か)

このままではいずれ「石垣が崩れてしまうのではないか?」と、心配

になってしまいます。

 

西の丸跡

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本丸の西側に石垣で囲まれた曲輪で、北側に琵琶湖を望む事が出来ます。

この曲輪には猫が棲んでいるみたいです、何匹か写っていますね。

 

 

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母猫を入れて5匹はいたでしょうか?

写真左端にいる濃いめの " サバトラ模様の子 " を覚えておいて下さい。

其の二で印象的な再会を果たしますので……。

 

西の丸からの眺望

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全体的に雑木が生い茂っているここ八幡山城において、眺望の良さから

解放感が得られる数少ないスポットの一つとなっています。

 

本丸付近の石垣

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西の丸から移動し、本丸付近の石垣の隅石をみていました。

矢穴の開いた石もあり、しばらくの間ここで写真を撮っていると……。

今回はここまで。

其の2ではこの場所でのある出会い~二の丸~本丸~北曲輪へとレポート

していきます。

八幡山城

見所ポイント秀次&家臣居館跡の石垣、本丸、二の丸、西の丸、高石垣、その他。

駐車場:緯度経度:35.140999 , 136.089185 

    日牟禮八幡宮の向かい側に無料の駐車場(70台程)。

中間報告豊臣秀吉の甥である秀次の居城で、山頂の詰めの城と山麓居館部からなる縄張りで構成されており、現在においても割とそれらの遺構が残るとても貴重な山城だと思いました。

最初に行った秀次居館跡と家臣団居館跡の曲輪と高石垣は、鬱蒼とした竹林と化してはいましたが、高石垣がよく残っており見る価値はあります。(今後の整備等に期待)

其の2につづく…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

津久井城登城! 武田氏・北条氏 二大勢力の国境の城~

津久井

別名: 筑井城

所在地: 〒252-0153 神奈川県相模原市緑区根小屋

城地種類: 山城

築城年代鎌倉時代頃。

築城者: 筑井氏?

主な関連施設: 根小屋パークセンター、津久井湖観光センター。

文化財史跡区分: 指定無し。

本城郭から

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この下にある津久井湖国道413号線は日頃からよく利用しているので、

いつかの日かちゃんと訪れなければと思っていました。

家から割と近いので、「いつでも行けるから…」とついつい後回しに

なっており、今日まで訪れる事がありませんでした。

2019.11.17に、はれて登城と相成りました。

津久井城概要:

津久井城は筑井氏によって鎌倉時代に築かれたとされていますが、定かではないようです、その後北条氏の家臣団である津久井衆の内藤氏が城主を長い間努めます。

津久井城は武田・北条の国境に位置する城で、しばしば戦場の舞台になったと多くの記述があります、位置的にもとても重要な場所に位置しており北は武蔵、西は甲斐に隣接し八王子道や津久井往還などにも近くまさに政治・軍事においてとても重要な城だった事がうかがえます。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原平定で徳川家康の軍勢によって落城し、その後廃城となりました。

津久井城鳥観図

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出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/ 

こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図とても見やすく、素晴らしい

鳥観図なので毎回山城に持っていってます。

 

駐車場

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津久井湖城山公園パークセンター駐車場(40台無料)。

緯度経度:35.578839 139.272878

 

パークセンター

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こちらの建物でパンフレットやその他観光資料等が頂けます。

トイレや自動販売機もあるので、出発前ここに立ち寄りましょう。

 

散策開始

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神奈川県によってしっかりと管理されているので、登山道や案内表示

は充実しています、特に遺構を破壊しないように特製の通路まで設けて

あり神奈川県の実力に脱帽です。

 

 

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鳥瞰図①の地点で分かれ道となります、今回は東側から登る男坂(車坂)

から登り、女坂経由で下山するルートをとりたいと思います。

 

竪堀

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ここ津久井城には元々沢であった部分を掘削&拡張したロング竪堀が

数条みとめられ、現在においてもその形状を確認する事ができます。

 

男坂ルート分岐点

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鳥瞰図②の分岐点となります、西に行けば本城郭ですがここは一旦東の

飯縄郭(いいづなくるわ)と鷹射場へと進みます。

 

津久井の大杉

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水の手の確保の定石として「大木切るべからず!」という物があるそう

です。(地中の水の流れが変わる恐れがある為といわれています…)

御神木として存在していましたが、2013年(平成25年)の落雷による

焼失で現在の姿になってしまっています。

 

 

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樹齢900年という事はここに城が築かれる前からこの山に自生していた

んですね。

(ここに城が築かれる様子と、この場所での幾多の戦をこの木は見ていた)

まさに生き証人です。

 

宝ヶ池

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ここ津久井城にて重要であったであろう「水の手」の一つ、宝ヶ池と

なります、現在でも水が枯れることなく水を湛えています。

 

 

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標高的には山頂と変わらないのにこの様に現在でも水を湛えています。

この他に本城郭北側と御屋敷跡に井戸跡が確認されています。

 

井戸東側の堀切

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鳥瞰図③の場所となります、鷹射場と飯縄曲輪との間にあります。

 

 

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現在では土橋的な造りとなっていますが、往時は堀切に引橋のスタイル

であった可能性が高いと言われています。

 

 

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堀切の両サイドはこの様になっています、400年前はどの位凄かったで

あろうか?その姿を見てみたいものです。

 

鷹射場からの景色

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鳥瞰図④の場所からの景色となります、現在では木々が生い茂り眺望

とは言えませんが、往時は北、東、南の三方向見渡せる見張り台の役目

を果たしていたはずです。

 

家老屋敷跡

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この家老屋敷跡の城塁に残る「石積」を見るためにここに立ち寄りま

した。(ここにあります的な看板が無いので必死に探しました)

 

 

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この曲輪の城塁の何処かに石積が存在する!

端から端まで探しました、そして発見しました!

それがこちら↓

 

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400年前の遺構にしてはやや新しい感じの石に見えますが……。

役目としては " 土留め " の石積といった所でしょうか?

石積も見たので、いよいよ本城曲輪へと進んで行きます。

 

本城曲輪下の堀切

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ここは岩盤を切り崩した堀切となります、たとえ岩盤でも一旦ここで

堀切り、防御の一端としたかった事がうかがえます。

 

 

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家老屋敷や太鼓曲輪が敵の手に落ちたとしても、ここから先には行か

せないという築城者の想いを感じます。

 

 

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鳥瞰図⑤の場所となります。

現在では写真のような土橋になっていますが、往時においては堀切は

全て " 引橋 " のような防御施設を伴っていたと伝えられています。

 

 

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堀切の両サイドはこの様になっています。

 

本城曲輪

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標高357m(180m)に位置する山頂、本城曲輪です。

 

本城曲輪土塁

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城山山頂に今も残る、本城曲輪の囲み土塁です。

今はこんなですが、往時は……。

 

 

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こちらが本城曲輪をとりまく周辺の鳥観図となります。

土塁に囲まれた虎口に関してはいまいちよく確認できませんでした。

 

本城曲輪の眺望

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基本的に木々の伐採等は余り行われていないので、本城曲輪下のこの

場所ぐらいしか良い景色(眺望)は拝めません。

因みに眼下に見える津久井湖は人工のダムなので400年前にはありま

せんでした。

 

軌道

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稼働時間:2時間9分。

移動距離:4.4km。

消費カロリー:1101kcal。(登山で登録したのでハイカロリーになりました)

比高180mはなかなかの運動量となり、健康増進とダイエットに効果的かと。

(スタート地点が途中なのは単純にログ開始が遅れたから)

 

 

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こちらの城山は山城ではありながら、登山道が整備されているのでスニ

ーカーでも登山可能な「気軽に登れる山城」となっています。

  

津久井

見所ポイント:御屋敷跡、竪堀、堀切、宝ヶ池、大杉、本城曲輪、石積、その他。

駐車場:緯度経度:35.578839 139.272878

    津久井湖城山公園パークセンター駐車場(40台無料)。

総評:戦国期において武田・北条の二大勢力の国境地に築かれた山城は、その位置的な重要度から度々戦場と化し、歴史にその名を刻んできました。

現在においても御屋敷跡や竪堀、堀切、石積、土塁、井戸等遺構が残っており、訪れる者に往時の姿を伝える貴重な城山公園として整備され現在に至ります。

武田・北条と二大勢力に挟まれ、激動の戦国期を通り過ぎた国境の城「津久井」に

週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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