みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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竹田城登城!日本100名城49城目 天空の城と呼ばれた山城~

竹田城

別名: 虎臥城(とらふすじょう)

所在地: 〒 669 - 5252 兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169

城地種類: 山城

築城年代: 1440年頃?

築城者: 太田垣氏?

文化財史跡区分: 国指定史跡

南千畳

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 4月の下旬、桜が咲く気持ちの良い週末、3連休になったので兵庫県

岡山県岐阜県、の名城 7城(100名城)を巡る旅に出る事にしました。

1城目(最初)のお城はここ「 竹田城 」へ。

竹田城概要:

竹田城は嘉吉年間(1441~44)に山名宗全が家臣太田垣氏につくらせたのが始まりである。羽柴秀吉の但馬攻めで落城した後は赤松広秀が入り、数年の歳月をかけて現在見られるような総石垣の壮大な山城に修築した。しかし、広秀は鳥取城攻め失敗の責により徳川家康から切腹を命じられ、城も廃城となった。と、手元の資料に書いてあります。

この山城をめぐる、激しい争奪戦が当時繰り広げられていたんですね。

竹田城山門

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この時はまだ、竹田城の人気と認知度がまだそれ程では無かったため

山腹の駐車場まで車で行く事ができ、そこから歩いて20分位で本丸ま

で行けました。(現在ではこの形での登城はできません)

 

竹田城縄張図

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 縄張り図を見ると本丸を中心に三方向に曲輪が展開されています。

形的には三枚羽のブーメランのような形に見えます。

注目すべきはここに描かれている「竪堀群」です、この頃はスタンプ

を押すのがメインだった為、城跡を入念に探索していませんでした。

今となっては後悔しかありません、いつの日かリベンジ登城したいと

思っています。

 

本丸天守台から

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この当時(2011年)はまだ天守台や花屋敷など全て立入OKだったので

このアングルの写真も撮る事が出来ました。

貴重な遺構を守るためなので立入制限等の措置は仕方がないと思います。

 

天守台からの南千畳

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城は山陰道播但道を見下ろす標高約354mの古城山(虎臥山)山頂に

築かれていました。生野銀山を抑えるべく高石垣や建物群が立ち並び

周囲に睨みきかせていたらしい。

 

本丸天守

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写真左側に写る天守台には階段が設けられていません。

(見学用に後からつけた簡易階段は当時ありました)

資料によると、天守が門と付櫓と連続する構造で、天守台横の石段を

登ると、付櫓へ上がる施設があり、付櫓の2階を経由して西側から天守

へ入る構造だったのではないか。と書かれていました、本当によく考え

て造られているんだなと感心させられました。

 

石垣からみる街道

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山の山頂によくぞこれだけの石垣を積んだものです、労働者たちの苦労

が容易に想像でき、とても感心させられます。

それにしても眼下の街道がよく見渡せます、良い位置に城を造ったと

これまた感心させられます。

 

南東から見る本丸石垣

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写真中央やや左に人影が見えると思います。

その人影と比較すれば分かると思いますが、いかにこの野面積の石垣群

が巨大で広大に築かれているか一目瞭然です。

こんな山頂にこれだけの物を…。驚きと感動を隠す事ができません。

 

三の丸・北千畳

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この時、時間は05:00位だったと思います、4月とはいえ山頂でこの時間

だとやや寒い感じだったのを覚えています。

それにしても美しい、こんなに神秘的で美しい山城が現代まで残って

いた事に感謝です。

 

アクセスマップ

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2018年現在ではかつてのように山頂まで車で行き、山門からすぐに本丸

というルートは利用できないようです。

なので竹田駅(裏側)から徒歩で山頂へ行くルートが最適かと思われます。

 

登城ルート

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アクセスマップを見ると4つのルートが確認できますが、

どれも徒歩で40分~60分かかります。

どのルートで登るかは、自分の体力や健康状態で判断して下さい。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所:JR竹田駅、情報館「天空の城」、山城の郷、竹田城料金所

スタンプの状態:登城当時(2011年)はご覧のとおりの状態でした。

竹田城

見所ポイント: 本丸、二の丸、三の丸、北千畳、南千畳、花屋敷、天守石垣

駐車場: 竹田まちなか観光P(駅まで徒歩5分)竹田城下町観光P(駅まで徒歩10分)

総評: 古城山山頂に巡らされている壮大かつ精緻な石垣群は圧巻である。天守台を中心に北千畳、南千畳など放射状に設けられた縄張の全てに見事な石垣が今なお累々とのこっている。と、手元の資料に書いてあります、まさにその通りで御座います。

天空の城」と呼ばれ、まさにブームの時には年間50万人が訪れた事もありました。

自分が登城したときはまだ年間5万人位の時で、立入制限もなく駐車場からすぐ本丸へと行く事ができました。観光客が増え過ぎた事で遺構が傷つき、立入が制限されるという事態になった事もありました。これだけ素晴らしい山城なので人気が出るのは当然です、これからもこの素晴らしき山城を後世に残す為にも皆で力を合わせて「天空の城竹田城を守っていきましょう。こんな素晴らしき山城、竹田城へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富山城登城!続日本100名城6城目 其の二(完)

富山城

別名: 安住城、浮城、

所在地: 〒 930 - 0081 富山県富山市本丸1-62

城地種類: 平城

築城年代: 天文12年(1543)頃

築城者神保長職

主な関連施設富山市郷土博物館

文化財史跡区分: ?

模擬天守

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。富山県からは富山城、増山城が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、今回行った富山を登城 6城目とします。

富山城概要:

天文12年(1543)頃、越中西部の守護代神保長職が築いたとされるが、近年の発掘調査ではこれより以前の遺構も発見されている。戦国時代には上杉氏、一向一揆勢の争奪戦に織田信長が加わり、信長の家臣佐々成政が富山城を得た。

信長の死後、成政は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585)秀吉率いる7万の大軍に城を囲まれ降伏。富山城は破却された。江戸時代には加賀藩前田氏の分家が独立して富山藩を立藩し、富山城を居城として改修して、幕末まで存続した。と、手元の資料に書いてあります、城主がめまぐるしく変わる、そんな時代だったんですね。

本丸南東へ

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前回(其の一)は二の丸と本丸とを結ぶ土橋入口で終了しました。

今回(其の二・完)はそこから内堀沿いを南東~東へと進んで行きます。

 

 

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石垣上の木々は桜の木で、満開の時にはとても綺麗に咲き乱れるそう

です。そして桜の木の下にある石垣ですが、見た目がとても面白い。

 

 

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江戸時代に描かれた「富山城図」によると、当時ここには東南隅櫓が

土塁の上に建っていたみたい(詳細は不明)で、石垣は無かったみた

いです。

 

庭園から

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本丸内北東にある美術館の前にある庭園からの一枚です。

このように本丸内は城址公園として、とても綺麗に整備されています。

 

鏡岩

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先程の庭園から本丸内を南へと進み、天守(博物館)の下にある鏡岩

を見に行きます。

 

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見た目はとても大きく迫力があります、ただ奥行きはあまり無いそう

です。(薄い石版のような感じか?)

 

南西隅櫓台石垣

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こちらの南西隅櫓があったとされる櫓台の石垣にも鏡岩があります。

目的としては本丸の入り口として、ここを通る者に対して権威や威厳

を示すのが目的だったのかもしれません。

 

 

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大きな岩にかなり " こだわって " いる感じがします。

 

鏡岩のアップ

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こうして近くで見ると、とても迫力があります。

重機が無い時代の事だから、その苦労が容易に想像できます。

 

 

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この大きな岩の形に周りの石が合わせてあり、とても上手く積まれて

います。

 

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こちらは周りの石と質感が同化しています。

 

武者走り

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大手鉄御門の渡り櫓に素早く昇り降りができるような造りになっていま

す。

 

天守からの景色

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入口で入場料¥210を支払い中へ入り、続100名城のスタンプをゲット。

天守最上階に来たが、安全の為の金網が邪魔でご覧のとおりの状態。

ここである作戦を思いつく。それがこちら↓

 

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金網の中にコンデジのレンズを入れてみると……!なんとっ、ピッタリ

収まるではありませんかっ。

 

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落下防止の金網が無ければ本来、この様な景色が最上階から楽しめる

のです。(実にもったいない)

 

千歳御門説明看板

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東大の赤門と共にとても貴重な江戸の城門です。と、あります。

東大の赤門と同じ位、貴重な代物だとは知りませんでした。

 

前田正甫公銅像

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前田正甫(まえだ まさとし)越中富山藩2代藩主 慶安2年(1649)

前田利次の二男として生まれる。

江戸城腹痛事件

ある日、江戸城内で三春藩の殿様が激しい腹痛で苦しみだします。

その時たまたまその場に居合わせた富山藩の2代藩主である前田正甫

(まえだまさとし)が、反魂丹(はんごんたん)という薬を飲ませた

ところ、たちどころに腹痛は治まったそうです。その効き目に周囲に

いた諸大名達は驚いて、「わが藩でも販売してほしい。」と口々に頼

んだと伝えられています。

 

富山城新旧比較図

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こちらの看板はとても見やすく、新旧の状態がよく分かります。

まさに作り手のセンスとでも言いましょうか、素晴らしい出来の看板

です。(この様な看板をどんどん作ってもらいたいものです)

 

刻印石

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天守(模擬)入口の石垣右上に " 刻印石 " を発見しました。

小さくて見ずらいのでアップしてみます。

 

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この刻印は 卍(まんじ)ですね。因みにこの刻印の意味は分かりません。

すご~い、 マジ卍

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所富山市郷土博物館(模擬天守2F)

スタンプの状態:使用頻度が高いせいか状態はイマイチ。

        使用する前に一度拭き取ることをお勧めします。

ご当地グルメ

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富山ブラック: 富山県富山市中心部発祥のご当地ラーメン

富山市中心部で食べ盛りな若者や汗をかく肉体労働者のための塩分補給

として、醤油を濃くしたスープのラーメンを作ったのが起源。スープの

色が黒かった事から「富山ブラックラーメン」の名が付き広まった。

富山城

見所ポイント: 本丸、西出丸、高石垣、濠、千歳御門、刻印石、二の丸礎石、鏡石等

駐車場: 城址公園地下駐車場(100台位駐車可・1時間320円)

総評: 富山藩10代藩主、前田利保(まえだ としやす)の隠居所であった千歳御殿の正門「千歳御門」は、創建当初から残る唯一の建造物。本丸鉄御門跡の石垣にある鏡石にも注目したい。と、手元の資料に書いてあります。まさにここ富山城においての見所ポイントとなっており、見逃さずに見学していって下さい。

神通川に守られ、「後堅固の梯格式」と資料にありますが現在ではその面影はまったくと言って良い程残ってはいません。残念ですが本丸と一部の内堀だけが残っている状態です。それでも城址公園としてとても手入れがされており、綺麗に整備されているため家族連れや小さい子供でも気軽に立ち寄れる公園となっています。こんな気軽に来られるお城、富山城に週末あたり気軽に訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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