みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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富山城登城! 続日本100名城 6城目 其の一

富山城

別名: 安住城、浮城、

所在地: 〒 930 - 0081 富山県富山市本丸1-62

城地種類: 平城

築城年代: 天文12年(1543)頃

築城者神保長職

主な関連施設富山市郷土博物館

文化財史跡区分: ?

千歳御門

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。富山県からは富山城、増山城が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、富山を登城 6城目とします。

富山城概要:

天文12年(1543)頃、越中西部の守護代神保長職が築いたとされるが、近年の発掘調査ではこれより以前の遺構も発見されている。戦国時代には上杉氏、一向一揆勢の争奪戦に織田信長が加わり、信長の家臣佐々成政が富山城を得た。

信長の死後、成政は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585)秀吉率いる7万の大軍に城を囲まれ降伏。富山城は破却された。江戸時代には加賀藩前田氏の分家が独立して富山藩を立藩し、富山城を居城として改修して、幕末まで存続した。と、手元の資料に書いてあります、城主がめまぐるしく変わる、そんな時代だったんですね。

駐車場

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こちらが「城址公園地下駐車場」です、城の入り口のすぐ横にあるので

こちらに駐車します。(100台位駐車可、料金:1時間320円

ちょっと料金が高くないか?

 

千歳御門

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東出丸にあった千歳御殿の門でした、明治維新後に払い下げられたが、

所有者の寄付により平成20年(2008)この場所に修復移築されました。

 

門左側の石垣

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先程の千歳御門、向かって左側にある石垣です。

ここの石垣、他の石垣よりも石がキレイで新しい感じがします。

器用に復元して積んだものです、感心させられます。

 

門右側の石垣

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先程の門左側の石垣とは明らかに違うこちらの高石垣、隅石に見られる

矢穴や、野面積に使用されている石の色合い等からかなり古い時代の物

と思われます。

 

千歳御門から望む

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門の向こう側に天守らしき建物があります、こちらは元々櫓があった

場所にある石垣の上に建てた模擬天守で、富山市郷土博物館となって

います。続100スタンプはこちらで押す事ができます。

 

野面積高石垣

 

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千歳御門と搦手門とをつなぐ野面積の高石垣です、丸みを帯びた自然石

から四角く加工された石など、石の種類は様々でよくぞここまで高く積

みあげたものだと感心させられます。

 

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先程の石垣の裏側です、こちらは外からは見えない分、積み方が若干

雑な感じがする事も、無きにしも非ずと、いった感が否めない感じです。

 

観光案内所

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千歳御門と搦手門をつなぐ石垣の目の前にある建物です、こちらでは

甲冑を着て写真を撮ったり、お土産を買ったりできます。

この日は写真左側の奥に「 」がいて、ニンジンのおやつを100円で

売っていました。

 

搦手虎口高石垣

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現在城の縄張りは本丸とその周囲を囲む水堀が残っているだけなので

往時の姿を現地にて想像するのは難しいです。

 

搦手虎口高石垣(2)

 

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写真だけ見ると本丸が石垣で囲まれているように見えるかもしれません

が、この富山城では石垣はここ搦手門付近と本丸南西隅櫓(模擬天守

付近と二の丸の西門付近ぐらいにしか石垣はなく、あとは土塁と濠で

構成されていたみたいです。江戸時代に描かれた絵図「富山城図」参照。

 

搦手虎口高石垣(3)

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こちらの櫓門(搦手門)ですが現在は櫓風の建物が石垣上に建てられて

います。(美術館)

それにしてもこの石垣、上に行くにつれて使用されている石がだんだん

小さくなっていきます、何か事情があったのか? 上段、中段、下段で

それぞれ積んだ感じがします。

 

櫓門北東高石垣

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一見すると「おっ、櫓があるっ」と思いますが、これが先程説明した

「佐藤美術館」です。こちらの石垣は江戸時代に描かれた縄張り図、

富山城図」にもその存在が描かれている事から年代的にも、とても

貴重な石垣だと思われます。

 

刻印石

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富山城石垣には、約90種類、250個以上もの刻印石がみつかってい

ると言われています。こちらの刻印石は本丸の北東にある櫓門の下の方

にありました。

 

城址公園

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本丸北西部分は現在、池のある庭園を中心に公園となっています。

池の水が濁っているのが残念でした。

(某局の池の水全部抜くに応募すればいいのに…)

 

公園風景

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当日は2018.7.15 そうです、まさに猛暑真っ盛りのなか登城したのです。

当日の富山市はかなり暑く、車の外気温度計は37℃を記録していました。

気のせいかカメラも若干へばっている感じ、カメラが熱もってました。

 

本丸西側

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本丸の西側は現在、一面芝生が敷かれており、とても綺麗な公園となっ

ています。その中に一本巨大な木があり、その木陰でしばし休憩をしま

した。

 

本丸南西から

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本丸西から昔あった西出丸付近を通り、濠の外へでました。そのまま

濠沿いに南西へと進み、撮影ポイントに到着です。

 

 

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同じ場所から左(西)を見ます、濠と土塁が続いています。この様に

ここ富山城は基本的に石垣は虎口にある櫓部分に石垣を使用していまし

た。

 

模擬天守と石垣

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昭和29年に鉄筋コンクリート構造による模擬天守が記念に建てられまし

た、同年4月3日に完成し、通称「富山城」と呼ばれることになりました。

 

逆さ模擬天守

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この日は猛暑で無風状態、なので濠の水面に天守と石垣が映っていまし

た。思わず一枚、濠の水が濁っていなければ…。

 

本丸南大手

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現在内堀で残っているのはこの南側だけで、あとは全部埋め立てられて

います。濠を渡り城内へ入れるのは現在ではこの部分だけとなります。

なかなかの面構えで、雰囲気でてます。ここである親子に出会いました。

母親:〇〇君、ここから入るとお金取られるかもしれないから裏側へ

   まわろう。

息子:えっ?そうなの? わかった…。(暑いからここから入りたい様子

自分:あっ、大丈夫ですよ!城内に入るだけなら無料で天守内が有料です。

母親:そうなんですか、〇〇君、無料だって、良かったね~

以上がその時のやり取りです、自分が思うに園内や城内が有料の場合、

表からだろうが裏だろうが料金所があって有料でしょ!と思いましたが、

大人なので口には出しませんでした。 

定番ショット

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7年前に来た時もここから写真を撮った事を思い出しました。

もうあれから7年も経ったのか…。

どうでもいいが天守が右に傾いているような感じが…。

天守が傾いているのか、この暑さで自分が傾いているのか?

富山城

見所ポイント: 本丸、西出丸、高石垣、濠、千歳御門、刻印石、二の丸礎石、鏡石等

駐車場: 城址公園地下駐車場(100台位駐車可・1時間320円)

中間報告:四周を水堀と河川で二重に囲み、特に北面は天然の要害である神通川を守りとした後堅固の梯郭式の平城。と、手元の資料に書いてありますが、残念ながら現在ではその姿をまったくといっていい程残してはいません。なので城内にある看板で往時と現在とを比較し、縄張りを意識するしかありません。でも本丸東の搦手付近の高石垣と本丸南側の鉄御門付近の高石垣はとても貴重な高石垣で見所があります。文化財史跡区分ナシでもここまで頑張っている富山城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

其の二につづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丸岡城登城!日本100名城48城目 現存12天守の城

丸岡城

別名: 霞ヶ城

所在地: 〒 910 - 0231 福井県坂井市丸岡町霞1 - 59

城地種類平山城

築城年代天正4年(1576)

築城者: 柴田勝豊

主な関連施設: 丸岡歴史民俗資料館

文化財史跡区分重要文化財1件(天守

天守

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4月の春麗らかな日、平日ではあるが仕事が3日ほど休みになったので 

岐阜県、愛知県、滋賀県福井県の名城 8城(100名城)を巡る旅に出

る事にしました。8城目(最後)のお城はここ「 丸岡城 」へ。

丸岡城概要:

丸岡城天正4年(1576)、柴田勝家の甥・勝豊が築いたとされ、天守は現存する最古のものであると言われていました。(天守の一部を解体し年代測定をしたところ江戸期の物と判明)小高い丘に位置し、五角形の内堀に囲まれた中に、本丸や二の丸があった。天守の屋根瓦は笏谷石製(しゃくだに いし)で、天守に石瓦を使用した現存例はここだけである。創建以来火災にあう事は無かったが、昭和23年(1948)の福井地震によって倒壊、可能な限り倒壊前の建材を活用して再建された。と、手元の資料に書いてあります、今日に至るまで色々とあったんですね。

駐車場から

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駐車場に車を停めると、早速天守が目に入りました。

お~、これがあの現存12天守の一つに数えられる「丸岡城」かぁ~ と、

しばし見入ってしまう。

 

看板

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ここである事に気が付く、それは城の " 縄張り" がよくわからない、

そうです水堀も無ければ曲輪も門も無いのです。

残っているのはあの現存天守ぐらいで、それ以外は皆破却されたり

埋められたりで、ほとんど遺構は残っていません。

 

いざ登城

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現在の天守は礎石建物となっていますが、当初は掘立柱建物で、地下

に埋まる部分を根巻材と漆喰によって固めていたそうです。屋根瓦は

笏谷石製の石瓦を使用。通常の瓦では、寒暖差によって割れてしまう

ためこの様な仕様になっているそうです。

 

天守

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現在は写真左側の石段から直接天守内部へと入りますが、かつてはこの

入口の手前に付櫓があり、その付櫓からの入り口であったみたいです。

 

 

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写真右下部分の張り出した窓は「 出格子窓 」といい、石落としと同じ

機能を持ち合わせていて、左右に横矢を掛ける事ができたそうです。

 

天守内部(梁)

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福井大地震によって天守は崩壊、国は天守を解体し倉庫に保管しました。

その後、保管していた木材等を再利用し、新規の材料と組合せて天守

再建しました。

 

最上階から

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こちら丸岡城天守は1979年に公開された角川映画、「 戦国自衛隊 」の

ロケで使用されました。内容は自衛隊員が演習中に戦国時代にタイム

スリップし、暴れまわるという内容だったと思います。

 

 

天守台石垣

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こちらの野面積天守台は、福井大地震の際に大きく崩壊してしまいました。

なので現在の石垣は、大地震後に積みなおされた石垣です。

この天守台石垣には伝説があります。

初代城主柴田勝豊が丸岡城築城の際、天守の石垣が何度も崩れるので人柱を入れること

になりました。シングルマザーで貧しい生活をしていた「お静」は、子を侍に取り立て

てもらうことを条件に人柱となりました。
その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江へ転勤することとなり結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。(あの世でお静さんが怒ります)
それから、田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、

人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。(悲しく切ないお話です)

この話、信じる信じないもあなた次第です。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所:一筆啓上茶屋(霧ヶ城公園内)

スタンプの状態: " " スタンプの状態も悪いが、押し方も悪い。

        (強く長く押すとこうなります)

丸岡城

見所ポイント現存天守天守台石垣、石瓦、石鯱、等

駐車場丸岡城専用駐車場アリ、140台駐車可。

総評:二重三階の望楼型天守と野面積の天守台石垣が残るだけであるが、天守の各階の外壁の様子や出窓、破風など古風な姿を細部までじっくりと見ておきたい。と、手元の資料に書いてあります、確かにその通りでございます。

柴田勝家の甥・勝豊によって築かれたここ丸岡城は、当時の水堀や曲輪等は現在、まったくといっていい程、何も残っていません。それでも本丸にある現存天守は度重なる災害にもめげず、現在までその雄姿を残し続けています。こじんまりとした望楼型天守はとても趣きがあり、大地震で崩壊した後によくぞここまで直したものだと感心させられます。こちらの天守、実はとても見所が多くて石垣の天端部分にある「腰屋根」や、外に張り出した「出格子窓」、寒暖差等による割れを防ぐ「石瓦」、ちょっと不自然な所に設けられた「狭間」等、飽きることなく何時間でも見ていられます。こんな素敵な現存12天守の一つ、丸岡城へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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