富山城
別名: 安住城、浮城、
所在地: 〒 930 - 0081 富山県富山市本丸1-62
城地種類: 平城
築城年代: 天文12年(1543)頃
築城者: 神保長職
主な関連施設: 富山市郷土博物館
文化財史跡区分: ?
模擬天守
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表
しました。富山県からは富山城、増山城が選ばれました。
続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を
カウントしたいと思います、今回行った富山城を登城 6城目とします。
富山城概要:
天文12年(1543)頃、越中西部の守護代神保長職が築いたとされるが、近年の発掘調査ではこれより以前の遺構も発見されている。戦国時代には上杉氏、一向一揆勢の争奪戦に織田信長が加わり、信長の家臣佐々成政が富山城を得た。
信長の死後、成政は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585)秀吉率いる7万の大軍に城を囲まれ降伏。富山城は破却された。江戸時代には加賀藩前田氏の分家が独立して富山藩を立藩し、富山城を居城として改修して、幕末まで存続した。と、手元の資料に書いてあります、城主がめまぐるしく変わる、そんな時代だったんですね。
本丸南東へ
前回(其の一)は二の丸と本丸とを結ぶ土橋入口で終了しました。
今回(其の二・完)はそこから内堀沿いを南東~東へと進んで行きます。
石垣上の木々は桜の木で、満開の時にはとても綺麗に咲き乱れるそう
です。そして桜の木の下にある石垣ですが、見た目がとても面白い。
江戸時代に描かれた「富山城図」によると、当時ここには東南隅櫓が
土塁の上に建っていたみたい(詳細は不明)で、石垣は無かったみた
いです。
庭園から
本丸内北東にある美術館の前にある庭園からの一枚です。
このように本丸内は城址公園として、とても綺麗に整備されています。
鏡岩
先程の庭園から本丸内を南へと進み、天守(博物館)の下にある鏡岩
を見に行きます。
見た目はとても大きく迫力があります、ただ奥行きはあまり無いそう
です。(薄い石版のような感じか?)
南西隅櫓台石垣
こちらの南西隅櫓があったとされる櫓台の石垣にも鏡岩があります。
目的としては本丸の入り口として、ここを通る者に対して権威や威厳
を示すのが目的だったのかもしれません。
大きな岩にかなり " こだわって " いる感じがします。
鏡岩のアップ
こうして近くで見ると、とても迫力があります。
重機が無い時代の事だから、その苦労が容易に想像できます。
この大きな岩の形に周りの石が合わせてあり、とても上手く積まれて
います。
こちらは周りの石と質感が同化しています。
武者走り
大手鉄御門の渡り櫓に素早く昇り降りができるような造りになっていま
す。
天守からの景色
入口で入場料¥210を支払い中へ入り、続100名城のスタンプをゲット。
天守最上階に来たが、安全の為の金網が邪魔でご覧のとおりの状態。
ここである作戦を思いつく。それがこちら↓
金網の中にコンデジのレンズを入れてみると……!なんとっ、ピッタリ
収まるではありませんかっ。
落下防止の金網が無ければ本来、この様な景色が最上階から楽しめる
のです。(実にもったいない)
千歳御門説明看板
東大の赤門と共にとても貴重な江戸の城門です。と、あります。
東大の赤門と同じ位、貴重な代物だとは知りませんでした。
前田正甫公銅像
前田正甫(まえだ まさとし)越中富山藩2代藩主 慶安2年(1649)
前田利次の二男として生まれる。
「江戸城腹痛事件」
ある日、江戸城内で三春藩の殿様が激しい腹痛で苦しみだします。
その時たまたまその場に居合わせた富山藩の2代藩主である前田正甫
(まえだまさとし)が、反魂丹(はんごんたん)という薬を飲ませた
ところ、たちどころに腹痛は治まったそうです。その効き目に周囲に
いた諸大名達は驚いて、「わが藩でも販売してほしい。」と口々に頼
んだと伝えられています。
富山城新旧比較図
こちらの看板はとても見やすく、新旧の状態がよく分かります。
まさに作り手のセンスとでも言いましょうか、素晴らしい出来の看板
です。(この様な看板をどんどん作ってもらいたいものです)
刻印石
天守(模擬)入口の石垣右上に " 刻印石 " を発見しました。
小さくて見ずらいのでアップしてみます。
この刻印は 卍(まんじ)ですね。因みにこの刻印の意味は分かりません。
すご~い、 マジ卍!
スタンプ押印
スタンプの状態:使用頻度が高いせいか状態はイマイチ。
使用する前に一度拭き取ることをお勧めします。
ご当地グルメ
富山市中心部で食べ盛りな若者や汗をかく肉体労働者のための塩分補給
として、醤油を濃くしたスープのラーメンを作ったのが起源。スープの
色が黒かった事から「富山ブラックラーメン」の名が付き広まった。
富山城
見所ポイント: 本丸、西出丸、高石垣、濠、千歳御門、刻印石、二の丸礎石、鏡石等
駐車場: 城址公園地下駐車場(100台位駐車可・1時間320円)
総評: 富山藩10代藩主、前田利保(まえだ としやす)の隠居所であった千歳御殿の正門「千歳御門」は、創建当初から残る唯一の建造物。本丸鉄御門跡の石垣にある鏡石にも注目したい。と、手元の資料に書いてあります。まさにここ富山城においての見所ポイントとなっており、見逃さずに見学していって下さい。
神通川に守られ、「後堅固の梯格式」と資料にありますが現在ではその面影はまったくと言って良い程残ってはいません。残念ですが本丸と一部の内堀だけが残っている状態です。それでも城址公園としてとても手入れがされており、綺麗に整備されているため家族連れや小さい子供でも気軽に立ち寄れる公園となっています。こんな気軽に来られるお城、富山城に週末あたり気軽に訪れてはいかがでしょうか。