みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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姫路城登城! 日本100名城 53城目        世界遺産・白亜の大天守を求めて~其の一

姫路城

別名: 白鷺城(はくろ じょう)

所在地: 〒670 - 0012  兵庫県姫路市本町68

城地種類平山城

築城年代: 正平元年(1346) 天正8年(1580) 慶長6年(1601)

築城者:    赤松貞範                 羽柴秀吉     池田輝政

主な関連施設兵庫県立歴史博物館

文化財史跡区分世界文化遺産国宝国指定特別史跡重要文化財等。

姫路城天守

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2011年4月にここ姫路城へと訪れた時はまさに、「平成の大修理」の

真っ最中で天守は工事用の幕で覆われており見る事ができませんでした。

しかも撮った写真も10枚程度、これではブログが書けないので2019年

に再訪する事にしました。(天守が白いうちに)

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姫路城概要:

1346年頃に赤松氏が築いた城が原型とされていて、その後羽柴秀吉天正8年(1580)に3重の天守を建てるなどして「姫路城」と命名しました。その後慶長6年(1601)に池田輝政の城となり、ここから本格的にして巨大な近世城郭へと大きく変貌をとげていきました。昭和の大修理から45年後に平成の修理が行われ、漆喰壁の塗り替えや瓦の葺き直し等を5年かけて行い現在にいたります。平成5年(1993)に日本の木造城郭建築の代表例として世界文化遺産に登録されました。

三の丸南西

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当日は朝の8時前に現地に到着、開門まで時間があったので城の外周

を見てまわりました。(石垣を拡張した跡を発見)

 

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 アップで見てみるとこんな感じです、隅石部分が埋められ拡張された

様子がわかります。

石垣の下部と左側(増設部分)は野面積で、右側上部は " 落し積み "

となっています。

 

落し積み

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先程の写真の場所からすぐ右側(東)の石垣となります、見事なまで

の落し積みとなっています。

 

三の丸西側

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姫路城の周辺にはこの様に猫が沢山います、人に馴れているので近づ

いたり触ったりしても逃げません。

猫の後ろの石垣にある出っ張りは " 横矢枡形 " で石垣を登ろうとする

敵に対して横矢をかける構造となっています。

 

桜門

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往時この大手には3つの城門があり、とても堅固な造りとなっていまし

た。現在あるこちらの門は昭和13年(1938)に建てられたものです。

 

桜門にある矢穴石

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桜門をくぐってすぐの右側にあるこちらの矢穴石、両端をよ~く見て

みるとまだ矢穴を開ける途中段階のものだと思われます。

何がどうしてこうなった…? 

 

三の丸広場

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この広いグラウンドみたいな部分にはかつて、向御屋敷や武蔵野御殿

、西側には御居城と呼ばれる屋敷群が立ち並んでいたと伝えられてい

ます。

 

上山里丸

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桜門から本丸を目指す前に、まず城の北東へと進み「帯郭櫓」と

太鼓櫓」の石垣を下から眺めるために移動します。

その途中にある下山里丸と上山里丸の石垣も見てみましょう。

 

 

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秀吉の時代から現在まで5期にも及んで違いがあるなんて凄いですね。

 

 

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丁寧な説明で助かります。

 

チの櫓

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この上山里下段石垣は2段での構成となっており、1段目の上部が犬走り

のようになっている造りとなっています。

 

 

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木の切り株が目立ちますね、この犬走りの部分に樹木が生えていたの

でしょうか?

 

太鼓櫓高石垣

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 やはりここへ来て正解です!この下からのアングルが最高です!

まったくもって登れる気がしません。

 

帯の櫓

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こちらの高石垣が、高さ約23.3mあり城内で1番の高さを誇る高石垣と

なっています。

石垣に勢いをつける視覚的効果をねらって、石垣隅部の天端石に向かっ

て中央付近から天端石を反りあげる「気勢い」の技法で積まれています。

 

排水溝

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先程の高石垣から北東へ少し進んだ所にありました。

おもしろい!これは遺構なのか…?

 

姫路マラソン

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この日は2019.2.10でたしかこの次の週がマラソンの日だったと思います。

この「揚羽蝶」のデザインがとても好きなので思わずパチリと一枚。

 

天守大柱

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城北東の散策を終え、菱の門へと向かいます。その途中右手(東)に

このような標註を発見、早速覗いてみる事にしました。

 

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 凄いですね、とても立派な木材です。

 

菱の門東側の石垣

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ここ菱の門から先は有料エリアとなります、なので門をくぐる前に石垣

を見てまわります、矢穴や刻印は見当たりませんでした。

その代わりにこの先(東側)で石棺を見つけました、それについては

其の二で紹介したいと思います。

 

菱の門

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三の丸から二の丸へと入るまさにこの城の主要路となる部分です。

鏡柱上部の冠木に木製の花菱が飾られています、だから菱の門というのか?

門の窓は、3つの竪格子窓とそれを挟みこむ形で華頭窓が設けられており、

その窓枠や格子に金箔の飾り金具が付けられ、とても華麗な装飾となっ

ています。

 

三国濠

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姫山と鷺山の間に設けられた四角い濠となります。

説明看板があるので見てみましょう。

 

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因みに三国濠の石垣には石垣の継ぎ接ぎの跡が見てとれます、探して

みて下さい。

 

るの門横の石垣

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三国濠を東へと進むと、 " リの一渡櫓 " の石垣に突き当たります。

この石垣には写真にある様な継ぎ接ぎの跡が見てとれます。

説明看板があるので見てみましょう。

 

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当日現場では気が付かなかったが、写真中央やや左側の一番下の石に

" 矢穴 " がある事を記事を書いている今、気が付いた…俺もまだまだ

だな。

 

るの門

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 こちらは大手口から天守まで最短距離で行ける抜け道的な埋門で、中

は大人が1人通れる程度の広さとなっていて、かつては門扉がついていた

とされています。

 

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なるほど、敵が攻めてきた時にこの埋門を使って遊撃隊を繰り出し、

奇襲を仕掛ける事も想定していたんですね!(この造り恐るべし!)

 

西の丸からの天守

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ここで西の丸へと移動し、化粧櫓などを見ながら天守を目指す事にしま

した。西の丸へと入る坂を登りきった所でふと振り返るとこちらの風景

が目に入りました、朝日が当たり光り輝く白漆喰の壁に思わず一枚。

 

化粧櫓内部

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千姫がこの櫓を休憩所とした事が名前の由来とされています。

この化粧櫓から天守が良く見える窓があったので、そこから天守を写真

に収めました。

 

化粧櫓からの天守

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かつて千姫はどのような心境でこの白亜の大天守を眺めていたのだろ

うか?

 

千姫が…!

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千姫の部屋を見てみると中には千姫の人形が1体……。こ、怖い!

 

十字紋瓦

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「にの門」の破風上にある十字紋瓦で、当時キリシタンであったであろ

黒田官兵衛に関係があるとされていますが、真偽の程はわかりません。

 

天守をめざす

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天守をめざしてグングンと登って行きます、それにしても凄い人の数。

 

石灯篭の基礎

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 石灯篭の基礎石が上下が平で再利用しやすかったのだろうか?

 説明看板があったので見てみましょう。

 

 

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ここ姫路城では探せばまだまだ転用石がありそうですね。

 

姥ヶ石

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乾小天守の北側石垣に組み込まれている転用石となります。

説明看板があったので見てみましょう。

 

 

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姥ヶ石の話は伝説(作り話)だったんですね。

 

水の二門

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とても狭く造られている門で、門の向こう側は下り坂になっている造り

になっています。

通常天守は城において1番高い場所にあるため(例外もあります)侵入

してきた敵兵はこの門の先が下り坂になっているため天守に通じている

とは思わずに混乱させられる事をねらって造られていると言われています。

 

軒丸瓦

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ここ姫路城には歴代城主たちの家紋が入った軒丸瓦と滴水瓦が多数使用

されています。

この逆三角形の形をした物が " 滴水瓦 " で雨水がこの部分をしたたり落ち、

地面にある瓦等で造られた排水溝へと落ちる事で軒先や漆喰の壁を雨水

から守る仕組みとなっています。

今回はここまで其の2へつづく。

姫路城

見所ポイント天守櫓群門多数石垣、濠、本丸、二の丸、三の丸、他多数。

駐車場:姫山駐車場、城の北駐車場、大手門駐車場等、約2000台駐車可能。

中間報告天正8年(1580)に若き日の秀吉が三層の天守を築き完成させた姫路城はその後、慶長6年(1601)池田輝政によって近代城郭として大きく拡張され変貌をとげました。現在でも残る大天守群はもとより、各種櫓、門など、とても見所があり(見所がありすぎて時間がいくらあっても足りない)一日中居ても飽きない程の大城郭で、訪れる者を魅了してやみません。もはや言うに及ばずの名城、姫路城について其の二でも色々と紹介していこうと思います。

其の二へつづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福知山城登城! 続日本100名城 21城目 明智光秀が築いた石垣造りの城~

福知山城

別名横山城、掻上城、

所在地: 〒620 - 0035 京都府福知山市字内記5

城地種類平山城

築城年代天正7年(1579)

築城者明智光秀

主な関連施設福知山市郷土資料館(スタンプ設置場所)

文化財史跡区分: 市指定史跡

天守

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城

を発表しました。京都府からは福知山城が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います、

今回の福知山城をもって登城 21城目とします。

福知山城概要:

丹波の国人、横山(塩見)信房を倒して丹波を平定した明智光秀が、横山城の場所に福知山城と命名し築いたのがここ福知山城の原型となるそうです。丘陵部に築かれた連郭式の平山城で石垣を用い、織豊系城郭の姿を今に伝えています。天守台石垣に五輪塔や宝篋印塔を流用した転用石が多く見られ、当時の石材調達の事情をうかがい知る事ができます。明治の廃城令で建物はそのほとんどが破却され残っていませんが、銅門番所が本丸に移築され今日に至ります。昭和61年(1986)に外観復元の天守が再建されまし

た。

天守東側

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往時、天守の東側は法川を利用した濠が設けられていていました。

濠の幅は約52mあり、深さが約3m、水深が約1mあったとされています。

現在はここに昇龍橋が架けれていて、ここから橋を渡り登城するスタ

イルとなっています。(往時ここに出入口はありませんでした)

 

福知山城案内

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福知山城の天守(郷土資料館)を利用する際には休館日等に注意が必要

ですね、平日の火曜日は休館日です。

 

いざ、参らん!

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現在では本丸部分しか曲輪が残っていません、なので本来の大手門で

ある北側からではなく、昇龍橋を渡り美術館を通り過ぎた先にある

このスロープを登って本丸へと進んでいきます。

 

本丸東高石垣

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スロープを登りきると本丸の高石垣がお出迎えします。

写真左の新しい石垣は模擬ですが、その先からは当時の石垣とされて

います。

 

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折れをともなう、みごとな野面積でこの辺りからテンションが上がっ

てきます。

 

 

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この階段を登ると本丸内へと入る事ができます。

ここでは階段を登らずにぐるりと本丸高石垣を見てまわり込み、本丸

北西部の入口から本丸に入る事にします。

 

 

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 とても見事な野面積ですが、完全な自然石ではなくある程度手が加え

られた割石を使用している感じです。

 

本丸北東隅の高石垣

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位置的には本丸の北東にあたる部分の石垣です、素晴らしいですね~!

石垣好きにはたまらない構図となっています。

(気になるのは土塀の一部が剥がれている事です)

 

 

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剥がれた部分も気になりますが、やはり注目すべきは石垣隅部におけ

る石垣の勾配ではないでしょうか。

 

本丸北側の高石垣

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本丸北側には小天守があり、本丸内からは小天守へ入る別の入り口が

ありました。(地階入口)

 

 

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せっかくなので石垣を正面からじっくりと見る事にしました。

まったく形の違う石をよくここまで積み上げたものだと感心させられ

ます。

 

転用石の看板

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本丸北西方向に位置するこの帯曲輪には、転用石とその説明看板があり

ますが、ご覧のとおりとても読みにくい状態となっています。

 

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ここ福知山城の天守台からは多くの転用石が発掘調査によって見つかり

ました。その多くが近くの寺社仏閣から集められた五輪塔や宝篋印塔

などでその総数は500点にも及んでいます。

 

北西部の横矢

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しっかりと横矢をかける為の " 折れ " が見てとれます。

 

本丸内へ

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この小さい門から本丸内へと入ります。

 

銅門番所

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こちらの番所はもともと二の丸の北西に存在した正門の脇にあった番所

で、昭和61年(1986)に現在の場所に移築されました。

この福知山城において唯一の現存建物となります。

 

 

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その銅門番所の説明看板となります。

 

転用石置場

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ここ福知山城では色々な場所にこの様に転用石が置いてあります。

また石に刻まれた年号で古い物は延文4年(1359)、新しい物は天正3年

(1575)となり光秀がこの地に来る前の物だった事が分かります。

全部で500点……。そりゃ、置場にも困るってもんだ。

 

福知山城天守(外観復元RC)

 

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 福知山城は明治に廃城となっています、こちらの天守は昭和61年(1986)

に絵図や平面図を参考にして外観復元(RC造)で建てられました。

天守のタイプとしては2階建建物の上に望楼を載せた典型的な望楼型

天守が骨格となりますが、見て分かるようにとても特異な姿、形をして

おり今まで見てきたどの天守にもない異形の造形美みたいなものを感じ

ました。

 

天守台転用石

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梵字が刻まれた五輪塔の基礎部分と思われる石が隅石に使われています。

転用石好きの人にはたまらない!そうです、もうこの時点でテンション

がかなり上っています。

 

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こちらは宝篋印塔の基礎部分の転用石となります。

返花座(かえり ばなざ)と呼ばれる部分です。

 

 

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" これでもかっ " と言わんばかりに転用石が石垣に組み込まれています。

ここ福知山城天守台は萌えポイントの宝庫です!

 

 

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五輪塔も宝篋印塔も意味的には墓や供養塔みたいな感じなので、「なん

て罰当たりなっ」と思ってしまうのですが……。

明智光秀は当時、それだけ築城を急いでいたという事なのでしょうか?

それとも近くで良質の石が取れなかった為に石材不足だったのでしょうか?

どちらにせよ、手当たり次第にかき集めてきたのは間違いないようです。

 

 

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仲よく2つ並べてみました!」みたいなノリで職人さんが積んだのか?

形はそっくりなのに石の色が違う、石材の種類が違うのか?

 

 

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正方形のサイコロみたいな形状の石は宝篋印塔の塔身部分でしょうか?

写真下の細長いやつは何だ? 時間の経つのを忘れて見入ってしまい

ます。

 

豊磐の井(とよいわ のい)

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本丸天守のすぐ近く、南東に位置するこちらの井戸は深さがなんと

50mもあるという。

早速説明看板を見てみましょう。

 

 

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機械の無い時代に50mも掘ったとは!まったく頭が下がる思いです。

掘っている最中の酸素供給とか、どうしていたんだろうか…?

 

天守内部へ

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天守入口は地階となっていて、まるで穴蔵構造のようです。

因みに天守内部の展示ルームはほとんど撮影禁止なので入場料を支払い

自分の眼でご覧になって下さい。

 

天守内部

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壁や天井は木造風に造ってはいますが、床や階段はおもいっきり鉄筋

コンクリート仕様となっています。

 

天守最上階

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天守最上階からの景色となります、標高が低いわりには良く街並みが

見渡せる感じになっています。

往時、光秀は天守最上階からどのような気持ちで城下町を眺めていた

のでしょうか?

 

スタンプ設置場所で

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攻城団のチラシを見つけました、お城巡りをする際にとても便利なサ

イトなのでおススメです。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所福知山市郷土資料館(福知山城天守入口)

スタンプの状態: " "  屋内管理で状態は良い。

        (フチにインクが付かないのでとても良い)

スタンプの印影: 本丸西南西からみる天守となります。

 

下城

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天守内部から出て次のお城に向かうまえに思わず一枚。

因みに正面の石垣にある繋ぎ目ですが、光秀が築城した時の石垣に対し

て江戸時代に拡張した時の継ぎ足した跡となります。

以上をもって福知山城の登城レポートとします。

福知山城

見所ポイント:本丸、高石垣転用石、井戸、銅門番所、外観復元天守(RC)等。

駐車場:福知山城公園観光駐車場(60台)無料。

総評丹波を平定した明智光秀によって築かれ新たに命名された福知山城は、付近を流れる河川を濠として利用した縄張設計で、縄張の四方を防御する " 総構 " の城となっていました。現在では本丸部分以外は開拓され二の丸等の曲輪は残ってはいませんが、本丸主郭部には高石垣と天守を兼ね備えた織豊系城郭としての姿を現在まで残しています。特異な形状をした天守など見所は沢山ありますが、個人的に印象に残ったのは天守台に使用されている " 転用石 " で、正直ここまで使用しているとは思っていませんでした。大和郡山城とここ福知山城は転用石好きにはたまらない、まさに聖地といったところでしょうか。こんな見所多数の明智光秀ゆかりの城、福知山城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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