みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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福知山城登城! 続日本100名城 21城目 明智光秀が築いた石垣造りの城~

福知山城

別名横山城、掻上城、

所在地: 〒620 - 0035 京都府福知山市字内記5

城地種類平山城

築城年代天正7年(1579)

築城者明智光秀

主な関連施設福知山市郷土資料館(スタンプ設置場所)

文化財史跡区分: 市指定史跡

天守

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城

を発表しました。京都府からは福知山城が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います、

今回の福知山城をもって登城 21城目とします。

福知山城概要:

丹波の国人、横山(塩見)信房を倒して丹波を平定した明智光秀が、横山城の場所に福知山城と命名し築いたのがここ福知山城の原型となるそうです。丘陵部に築かれた連郭式の平山城で石垣を用い、織豊系城郭の姿を今に伝えています。天守台石垣に五輪塔や宝篋印塔を流用した転用石が多く見られ、当時の石材調達の事情をうかがい知る事ができます。明治の廃城令で建物はそのほとんどが破却され残っていませんが、銅門番所が本丸に移築され今日に至ります。昭和61年(1986)に外観復元の天守が再建されまし

た。

天守東側

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往時、天守の東側は法川を利用した濠が設けられていていました。

濠の幅は約52mあり、深さが約3m、水深が約1mあったとされています。

現在はここに昇龍橋が架けれていて、ここから橋を渡り登城するスタ

イルとなっています。(往時ここに出入口はありませんでした)

 

福知山城案内

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福知山城の天守(郷土資料館)を利用する際には休館日等に注意が必要

ですね、平日の火曜日は休館日です。

 

いざ、参らん!

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現在では本丸部分しか曲輪が残っていません、なので本来の大手門で

ある北側からではなく、昇龍橋を渡り美術館を通り過ぎた先にある

このスロープを登って本丸へと進んでいきます。

 

本丸東高石垣

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スロープを登りきると本丸の高石垣がお出迎えします。

写真左の新しい石垣は模擬ですが、その先からは当時の石垣とされて

います。

 

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折れをともなう、みごとな野面積でこの辺りからテンションが上がっ

てきます。

 

 

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この階段を登ると本丸内へと入る事ができます。

ここでは階段を登らずにぐるりと本丸高石垣を見てまわり込み、本丸

北西部の入口から本丸に入る事にします。

 

 

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 とても見事な野面積ですが、完全な自然石ではなくある程度手が加え

られた割石を使用している感じです。

 

本丸北東隅の高石垣

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位置的には本丸の北東にあたる部分の石垣です、素晴らしいですね~!

石垣好きにはたまらない構図となっています。

(気になるのは土塀の一部が剥がれている事です)

 

 

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剥がれた部分も気になりますが、やはり注目すべきは石垣隅部におけ

る石垣の勾配ではないでしょうか。

 

本丸北側の高石垣

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本丸北側には小天守があり、本丸内からは小天守へ入る別の入り口が

ありました。(地階入口)

 

 

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せっかくなので石垣を正面からじっくりと見る事にしました。

まったく形の違う石をよくここまで積み上げたものだと感心させられ

ます。

 

転用石の看板

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本丸北西方向に位置するこの帯曲輪には、転用石とその説明看板があり

ますが、ご覧のとおりとても読みにくい状態となっています。

 

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ここ福知山城の天守台からは多くの転用石が発掘調査によって見つかり

ました。その多くが近くの寺社仏閣から集められた五輪塔や宝篋印塔

などでその総数は500点にも及んでいます。

 

北西部の横矢

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しっかりと横矢をかける為の " 折れ " が見てとれます。

 

本丸内へ

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この小さい門から本丸内へと入ります。

 

銅門番所

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こちらの番所はもともと二の丸の北西に存在した正門の脇にあった番所

で、昭和61年(1986)に現在の場所に移築されました。

この福知山城において唯一の現存建物となります。

 

 

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その銅門番所の説明看板となります。

 

転用石置場

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ここ福知山城では色々な場所にこの様に転用石が置いてあります。

また石に刻まれた年号で古い物は延文4年(1359)、新しい物は天正3年

(1575)となり光秀がこの地に来る前の物だった事が分かります。

全部で500点……。そりゃ、置場にも困るってもんだ。

 

福知山城天守(外観復元RC)

 

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 福知山城は明治に廃城となっています、こちらの天守は昭和61年(1986)

に絵図や平面図を参考にして外観復元(RC造)で建てられました。

天守のタイプとしては2階建建物の上に望楼を載せた典型的な望楼型

天守が骨格となりますが、見て分かるようにとても特異な姿、形をして

おり今まで見てきたどの天守にもない異形の造形美みたいなものを感じ

ました。

 

天守台転用石

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梵字が刻まれた五輪塔の基礎部分と思われる石が隅石に使われています。

転用石好きの人にはたまらない!そうです、もうこの時点でテンション

がかなり上っています。

 

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こちらは宝篋印塔の基礎部分の転用石となります。

返花座(かえり ばなざ)と呼ばれる部分です。

 

 

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" これでもかっ " と言わんばかりに転用石が石垣に組み込まれています。

ここ福知山城天守台は萌えポイントの宝庫です!

 

 

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五輪塔も宝篋印塔も意味的には墓や供養塔みたいな感じなので、「なん

て罰当たりなっ」と思ってしまうのですが……。

明智光秀は当時、それだけ築城を急いでいたという事なのでしょうか?

それとも近くで良質の石が取れなかった為に石材不足だったのでしょうか?

どちらにせよ、手当たり次第にかき集めてきたのは間違いないようです。

 

 

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仲よく2つ並べてみました!」みたいなノリで職人さんが積んだのか?

形はそっくりなのに石の色が違う、石材の種類が違うのか?

 

 

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正方形のサイコロみたいな形状の石は宝篋印塔の塔身部分でしょうか?

写真下の細長いやつは何だ? 時間の経つのを忘れて見入ってしまい

ます。

 

豊磐の井(とよいわ のい)

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本丸天守のすぐ近く、南東に位置するこちらの井戸は深さがなんと

50mもあるという。

早速説明看板を見てみましょう。

 

 

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機械の無い時代に50mも掘ったとは!まったく頭が下がる思いです。

掘っている最中の酸素供給とか、どうしていたんだろうか…?

 

天守内部へ

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天守入口は地階となっていて、まるで穴蔵構造のようです。

因みに天守内部の展示ルームはほとんど撮影禁止なので入場料を支払い

自分の眼でご覧になって下さい。

 

天守内部

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壁や天井は木造風に造ってはいますが、床や階段はおもいっきり鉄筋

コンクリート仕様となっています。

 

天守最上階

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天守最上階からの景色となります、標高が低いわりには良く街並みが

見渡せる感じになっています。

往時、光秀は天守最上階からどのような気持ちで城下町を眺めていた

のでしょうか?

 

スタンプ設置場所で

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攻城団のチラシを見つけました、お城巡りをする際にとても便利なサ

イトなのでおススメです。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所福知山市郷土資料館(福知山城天守入口)

スタンプの状態: " "  屋内管理で状態は良い。

        (フチにインクが付かないのでとても良い)

スタンプの印影: 本丸西南西からみる天守となります。

 

下城

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天守内部から出て次のお城に向かうまえに思わず一枚。

因みに正面の石垣にある繋ぎ目ですが、光秀が築城した時の石垣に対し

て江戸時代に拡張した時の継ぎ足した跡となります。

以上をもって福知山城の登城レポートとします。

福知山城

見所ポイント:本丸、高石垣転用石、井戸、銅門番所、外観復元天守(RC)等。

駐車場:福知山城公園観光駐車場(60台)無料。

総評丹波を平定した明智光秀によって築かれ新たに命名された福知山城は、付近を流れる河川を濠として利用した縄張設計で、縄張の四方を防御する " 総構 " の城となっていました。現在では本丸部分以外は開拓され二の丸等の曲輪は残ってはいませんが、本丸主郭部には高石垣と天守を兼ね備えた織豊系城郭としての姿を現在まで残しています。特異な形状をした天守など見所は沢山ありますが、個人的に印象に残ったのは天守台に使用されている " 転用石 " で、正直ここまで使用しているとは思っていませんでした。大和郡山城とここ福知山城は転用石好きにはたまらない、まさに聖地といったところでしょうか。こんな見所多数の明智光秀ゆかりの城、福知山城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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