みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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宇陀松山城登城!続日本100名城 11城目   徹底的に破却された城~其の一

宇陀松山城

別名: 秋山城

所在地奈良県宇陀市大宇陀春日・拾生・石清水

城地種類: 山城

築城年代南北朝

築城者: 秋山氏

主な関連施設: まちづくりセンター千軒舎

文化財史跡区分: 国指定史跡

南西虎口跡

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。奈良県からは大和郡山城と " 宇陀松山城 " が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、今回行った宇陀松山を登城 11城目とします。

宇陀松山城概要:

南北朝から戦国期にかけて秋山氏が築いた山城で、秋山氏が退去したあと豊臣家配下の大名の居城として改修・整備が行われ近世城郭に近い形の城になりました。その後も城主は入れ替わり、元和元年(1615)大阪の陣後、当時城主であった福島氏が改易となり城は破却されました。破却(城割)がいつ誰によって、どのように行われたかの記録が残っているとても珍しい城で現在の整備・復元に大いに役立っているようです。

工事用道路から登城

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まず、まちづくりセンター「千軒舎」へ行きスタンプとパンプレット

をゲットします。本来なら春日神社のある大手筋から登城するのですが

生憎、2018.9月の大型台風の影響で立入禁止になっていたため仕方なく

工事車両出入口から登城します。

 

説明看板

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とても分かり易い内容で良く出来ていると思いました。

(さすがは教育委員会、パンフレットも凄く本格的でした)

 

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「千軒舎」から登る事25分、ここで本来の登城道と合流します。

しかし、道の駅の名前がすごい「宇陀路大宇陀」って……。

 

 

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城跡まであと100mとあります、ここまで山と木しか目に入らないので

本当にこの先に城跡があるのか?と思ってしまいます。

 

説明看板

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もうすぐ城跡という所にこちらの看板があります、早速見てみましょう。

 

 

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こんな感じで詳しく書かれています。

 

小道

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先程の看板を過ぎると、このようなとても狭い小道となります。

この道で会っているのか?」と不安になります。

 

横堀

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狭い小道を進んで行くと、いきなりこんな感じで横堀が現れます。

郭を取り囲むように横堀が展開しています。

 

 

南西虎口部(雀門跡)

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先程の横堀からすぐの所に虎口が現れ、いやがおうにもテンションが

上がります。説明看板があるので見てみましょう。

 

 

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ここ雀門跡の発掘調査では「唐居敷」が検出しています、唐居敷とは?

門柱や門扉の軸を支える石又は板の事を言います。

ここでは石製の物が使用されていて、上面に径約9cm.深さ約5cmの軸受

けの穴が開けられ、底に直径とほぼ同じ大きさの鉄板がはめ込まれてい

ました。

 

埋もれた石垣

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ここ宇陀松山城は城の取り壊しを命じられた小堀政一によって城割が

行われました。その際に破却されずに土に埋められた石垣などが現在

でも多く残っています。

 

 

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こちらの石も土の中に埋もれていた物らしい。

 

 

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こちらも。

 

 

城塁

 

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各郭の外周はこの様な斜面(切岸)で構築され、城の防御としています。

 

 

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雀門の所を上から見た写真です、かなりの傾斜になっています。

 

雀門から門跡2へ

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南西虎口部の鉤折れになっている部分の通路となります、この途中の

右側に石垣が埋もれています。さっそく見てみましょう。

 

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この様に多くの石垣が土の中に埋められているものと思われ、今後の

さらなる発掘調査が楽しみなところです。

 

 

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取り壊すのが面倒だったから土の中に埋めたのか?

取り壊すのが惜しかったから土の中に埋めたのか?

どちらにせよ、結果的には貴重な石垣が現在まで残る事となったので

結果オーライといったところでしょうか。

 

南西虎口部 (門跡2)

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写真中央部分に当時門があり、その上部を渡櫓が通っていたそうです。

 

帯郭の堀

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本丸を中心として、その下に帯郭を配置し各郭間の物資の移動や連絡

通路として機能していたと思われます。(写真は帯郭の端部分)

 

南虎口部

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本丸直下(南側)にある西帯郭と東帯郭の間にある虎口部分です。

きれいに整備されているのでスニーカーでも登城できます。

 

 

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南虎口から見る本丸跡です。

 

本丸石垣跡

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本来本丸部分を囲っていたであろう石垣の残骸がちらほらとありまし

た。

今回はここまで、其の二へつづく。

宇陀松山城

 

見所ポイント: 本丸、二の丸、帯郭、御加番郭、天守郭、虎口、石垣、等。

駐車場: まちづくりセンター千軒舎(数台)道の駅「宇陀路大宇陀」(沢山)

中間報告: " 宇陀松山城 " の名は今まで耳にする事は無かったので、正直なところいったいどんな山城なのだろう?とあまり期待はしていませんでした。ところがいきなり現れる横堀を筆頭に、各虎口跡や石垣跡を目の当りにすると自然とテンションが上がっていく自分がそこにいました。とてもよく整備されており、軽装でも難なく登城できる城跡となっており、お勧めです。

次回其の二では本丸~天守郭と紹介していきます。

其の二へつづく。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石垣山城登城!続日本100名城 10城目 「一夜城」と呼ばれた陣城~其の二(完)

石垣山城

別名: 一夜城、石垣山一夜城

所在地: 〒 250 - 0021 神奈川県小田原市早川1383-12

城地種類: 山城

築城年代天正18年(1590)

築城者豊臣秀吉

主な関連施設小田原城天守小田原市郷土文化館、

文化財史跡区分: 国指定史跡

井戸曲輪石垣

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。神奈川県からは小机城と " 石垣山城 " が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、今回行った石垣山を登城 10城目とします。

石垣山城概要:

関東を支配する北条氏の小田原城を攻略するために、豊臣秀吉の命でこの石垣山城は築城されました。小田原城からわずか2.6kmの距離にある笠懸山の山頂に、約80日間の日数と のべ4万人~5万人の人員を動員し、主要部分が総石垣造の近世城郭を完成させました。小田原城落城後は石垣山城もその役目を終え廃城となりましたが、多くの遺構とともに「一夜城伝説」が現在も残っています。

縄張図

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前回(其の一)では看板の現在地から南曲輪→西曲輪→天守台下→東口門

下とレポートしました。今回はそこから二の丸、本丸、井戸曲輪と、

レポートしていこうと思います。

 

二の丸広場

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本丸北側にある、石垣山城において一番広大な曲輪となります。

曲輪の北側には櫓台跡があります、大きさは約13×10m程の規模で

こんもりとした小さい丘みたいな形で残っています。

 

本丸石垣

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本城曲輪(本丸跡)の北側にある石垣跡です、残念ながら崩れてしま

っていますが、石材の大きさや量から考えると立派な石垣がそこにあ

ったんだと思われます。

 

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この石垣の近くに写真にあるような看板がありました、とても興味深い

内容で見入ってしまいました。

 

本城曲輪(本丸)へ

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先程の看板から、本丸北口門跡を通り石垣の上へとやって来ました。

そこから二の丸広場を一望します、風が心地よく気持ちいい。

 

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こちらが本丸跡となります、現在は公園のようになっており遺構として

は写真奥にある「天守台跡」が残っています。

 

物見台

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本丸東㟨にある「物見台」からみる相模湾と小田原の街並みです。

本来ならここから小田原城天守を見る事ができるのですが、樹木の影

に隠れて見る事が出来ませんでした。(とても残念)

 

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物見台に展示してある、小田原城包囲の陣形図となります。

こうして見ると織田信雄の所だけ手薄に見えます、孫子の兵法にある

逃げ道を……。みたいなやつか?その場合織田信雄の部隊は……。

 

説明看板

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本丸を散策していたところ、こちらの看板を発見しました。

とても詳しく書いてあります。

 

天守台跡

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往時、ここには穴太衆が積み上げた高さ15mにも及ぶ高石垣の天守

があったとされています。(現在においてその面影はあまり無い)

 

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天守台に使用されていた多くの石材は何処へ行ってしまったのか?

江戸城築城の際に持って行かれてしまったのか?

 

展望台

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北曲輪と二の丸の境界付近にある展望台です、早速行ってみましょう。

 

 

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雑木で何も見えません! 何も見えないのに展望台とはこれ如何に…。

 

 

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左に顔を向けてみる、やはり何も見えません。

先程の物見台といい、(小田原市さん、頑張って下さい)

 

井戸曲輪へ

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先程の展望台の近くにこちらの井戸曲輪に通じる入口があります。

看板が小さいので見逃さないように。

 

井戸曲輪石垣

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階段を下りてしばらく進むとご覧の光景が目に飛び込んできます。

す、素晴らしい! 因みに陽があたり光っている部分が沢をせき止めた

部分となります。

 

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真ん中の井戸をぐるりと囲むような形で、石垣が展開されています。

まさに圧巻ともいえる迫力の石垣群です。

 

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約430年もの間、幾多の大地震にも耐え、現在まで残る井戸曲輪の姿

に驚きと感動を隠す事ができませんでした。

 

井戸曲輪説明看板

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構造的な特徴から「さざゑの井戸」は理解できるのですが、

淀君化粧井戸」とは、どういう事なのでしょうか?

もう一枚看板があるので見てみましゅう。

 

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とても良く出来ている看板で嬉しくなります。

穴太衆って本当に凄い人達の集団ですね、尊敬します。

 

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井戸曲輪の北東部分の写真です、平な小道みたいなのが本来の道で、

スロープになっており、そのまま螺旋状に井戸まで下っていく構造に

なっていたんですね、説明看板のとおりなら。

 

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昔は井戸の底まで下りられたそうですが、現在ではここまでしか進め

ません。(バリケードがあり立入禁止)でも遺構を守る為なので問題

無しです。

 

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こちらの素晴らしい野面積の石垣を眺めていた時、ふとある言葉を思い

だしました。それは 穴太衆の口伝として代々伝わっている石積の極意で

石の声を聴き、石の行きたいところへ持っていけ」という言葉です。

 

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ここから井戸曲輪を見たときに思いました。ここにいる石達は皆、自分

の行きたい所に行かせてもらい、喜んでいるんだと。だから約430年経

った今でもその雄姿を残しているんだと。

 

本丸西側

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名残惜しいですが井戸曲輪をあとにして、下城する事にしました。

まだ通った事が無かった本丸西側の天守台下を通るルートです、この

辺りには石垣の石材が多く散らばっていました。

 

駐車場へ戻ると…。

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60台近く駐車できるのに満車になっていました、3年前に来たときは

同じ時間帯でも半分埋まるかどうかだったのにまったく驚きです。

理由は主に2つあると思います、1つ目は石垣山城が続100名城に認定され

た事。2つ目は駐車場にあるスイーツ店が人気でそれ目当てのお客さん

が増えたこと。どちらにせよ人が大勢訪れるのは良い事です。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所:石垣山城駐車場トイレ前

スタンプの状態:状態は良いのですが、力んで押すと↑の様になります。

スタンプのデザイン:この城で一番の見所ポイントが印影となります。

 

 

昼食

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小田原と言えば「かまぼこ」?そこで、" かまぼこ定食 " で検索してみる

がヒットしない。そんな時ふと、目にとまったのがこちらの蕎麦。

ご当地グルメとは言えないが、美味しそうだったのでこちらにする事に。

 宿場そば

 

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食べてみて驚いたのが蕎麦のコシでした、しっかりとした噛みごたえで

食べている感が凄く、美味しかった。そして何より9種類もの味が楽し

めるので最後まで飽きる事なく美味しく頂けました。

ここで食べました↓

 https://tabelog.com/kanagawa/A1409/A140901/14001703/

石垣山城

見所ポイント: 本丸、二の丸、井戸曲輪、大堀切、石垣、景色、早川石丁場群、等。

駐車場: 石垣山一夜城歴史公園駐車場(無料)58台

総評: 小田原攻めの陣城として、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命で築城されました。石垣山城は一夜城で有名ですが、実際には昼夜を問わずの突貫工事で約80日間を4万~5万人掛けて築城されました。秀吉はここで茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。つまりそれだけ大きく、しっかりとした造りの近世城郭だったことが伺えます。近江の石工集団「穴太衆」に積ませた穴太積の野面積石垣は現在でもその姿を良く残している箇所が幾つかあり、とても見所があるポイントとなっています。

特に南曲輪の南西方向に伸びる高石垣と、井戸曲輪の螺旋状に積まれた石垣は必見で、

この2カ所の穴太衆によって積まれた石垣は小田原市の宝だと個人的には思います。

こんなお宝級の歴史的遺構を真近で見る事ができる石垣山城へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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