みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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高田城登城! 続日本100名城 4城目 広大な水堀に守られた城~

高田城

別名: 高陽城、螺城、関城、等

所在地:〒 943 - 0835

城地種類: 平城

築城年:慶長19年(1614)

築城者: 松平忠輝

文化財史跡区分:県指定史跡

三重櫓

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。新潟県からは高田城・村上城・鮫ヶ尾城が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、高田城を登城 4城目とします。

高田城概要:

福島城城主であった堀忠俊は慶長15年(1610)に改易され、徳川家康の六男松平忠輝が福島城に入った。忠輝は慶長19年(1614)3月から伊達正宗・上杉景勝真田信之佐竹義宣・前田利常ら13大名に命じて、天下普請(江戸幕府が諸大名に命じて行わせた、築城・河川などの大土木工事)による高田城の築城を開始した。同年7月に完成して、福島城は廃城となった。と、手元の資料にあります、勉強になります。

三重櫓

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車を三の丸広場にある第二駐車場に停め、早速散策開始。

歩いて1分とかからずにこの場所に到着、近っ!

 

極楽橋

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極楽橋に関する説明看板が設置されていたので紹介 ↓。

 

 

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なるほど、見えない部分に鉄骨やコンクリートを使用しているんですね。

 

本丸土塁?

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極楽橋を渡り本丸内へとやって来ました、すると目の前に写真にある

ような土塁らしきものがありました。(説明看板等はなし)

これは土塁の名残か、それともただの残土か?

 

本丸土塁

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この様に本丸内には土塁らしき物が残っています。

本丸は約220m四方で、幅40~50m・総長1kmの土塁で囲まれていました。

 

 

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1908年(明治41)陸軍が駐屯した際に土塁、堀などは埋め立てられ、

城の東側は旧状をとどめていません。

本丸内に残った貴重な土塁です。

 

縄張り図

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伊達正宗や上杉景勝など、13の有力大名に築城を命じた「 天下普請 」

によって築かれた高田城。着工からわずか4ヵ月で完成したという。

工事期間が短かった(大阪の陣直前の為急いでいた)のと、近くに石切

場が無かった等の理由から石垣は用いられず、広大な水堀と土塁で城の

防御をなしていました。

 

本丸内堀

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この本丸を囲む内堀は幅約40~50m、深さは5~8m程度と看板に書いて

ありましたが濁っているので深さは目視で確認できません。

 

 

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せっかくなので内堀をぐるりと一周してみました。

ここは本丸北西の隅の部分です。

 

外堀(西堀)

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本丸北から一旦外へと出て、西堀(外堀)を見に行きました。

それにしても水堀の幅が凄い! この辺は幅が100m位はあるでしょう

か?

 

上越市立歴史博物館

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2018年7月21日にリニューアルオープンする予定だそうです。

春日山城・福島城・高田城の三城の変遷やその時代背景、そしてその後

の地域の発展の様子を学ぶことができるようになるそうです。

 

外堀

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ちょうど本丸の真西にあたる部分の外堀の様子です。

ここには蓮が沢山生えているのですが、その説明看板がこちらです↓。

 

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レンコンを売って藩の窮状を救おうとした…。

大変だったんですね。

 

二の丸土塁

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陸軍第十三師団によって二の丸と三の丸の間にあった堀は姿を消しま

したが、外堀にそって築かれていた土塁の一部が残っています。

 

陸軍第十三師団説明看板

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用地を広く使用したいから堀を埋め立てる、気持ちは分からなくもない

が、やはり遺構は大切に扱ってもらいたかったですね。

 

二の丸土塁跡

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この二の丸土塁がある場所は現在、公園となっており休日ともなれば

大勢の子供達が元気に走り回っています。なのでこの土塁も子供達の

遊び場となっていて、子供達の通る部分は写真にあるように崩れてい

ます。(いっ、遺構が…)

一通り散策したので、三重櫓へ向かいます。

 

高田藩の歴史

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高田藩の年表らしき看板がありました、凄く長い。

内容より、この看板の長さに驚きました。

 

三重櫓管理棟

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先程の年表のすぐ隣にこちらの「高田城三重櫓管理棟」があります。

トイレ、自動販売機等があり休憩できます、なお三重櫓内部へ入る

チケットはここで購入します。

 

スタンプ設置場所の変更

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ガイドブックには「 小林古径邸受付 」とありますが、現在は諸事情に

より、こちらの三重櫓管理棟にスタンプは置いてあります。

三重櫓内部へ

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チケットを購入し、三重櫓内部へと進みます。

 

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櫓の内部には資料が展示してあります、そこで気になったものを紹介

します。高田城の復元CG画像です、すっごくカッコいいので目に留ま

りました。是非こんな感じで復元してもらいたいものです。

 

三階天守から

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こちらの三重櫓は天守の代用として建てられた大櫓で、上越市市制20

周年を記念して復興されました。

復興にあたり「 高田城間尺図 」や「 高田城内絵図 」 等の資料が使用

され往時の姿を現在に再現しています。

 

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高田城内絵図」には御殿や門、櫓、土塀などの各建物の配置がわかる

ように描かれているだけではなく、屋根や壁など外観の様子についてま

で細かく記録されていたそうです。

 

天井の梁

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天井には立派な梁があてがわれ、見事な木組みで屋根の重みを分散させ

ている様子が見てとれます。

 

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因みにこの三重櫓、一見すると木造の櫓に見えますが実は耐震強度等の

問題から基本的な骨組みは鉄骨構造で、木製の材料を見える部分に使用

しています。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所: 高田城三重櫓管理棟に変更になっています。

         平成30年(2018)7月以降は上越市立歴史博物館の予定

スタンプの状態:  " " 新しいので状態は良いです。

この場所でちょっとした出会いがあったので紹介します。

自分「すみません、続100名城のスタンプをお願いします」

店員「はい、こちらです」

スタンプを押そうとスタンプ帳をリュックから取り出す、この時何やら視線を感じた。

ふと斜め後ろに目をやると、そこには小学生位の少年がじっとこちら(スタンプ帳)を見つめていました。どうやらとてもこのスタンプ帳が気になる様子。

自分「どや~ええやろっ!」(実際には声に出していません、顔で表現しました)

少年「いいなぁ~僕もそれ欲しいなぁ~」(声は出てません、顔がそう言ってました)

この時自分と少年との間に言葉での会話はありませんでしたが、お互いの言わんとする事が手に取るように分かった気がします。

その後スタンプを押し、その場をさっそうと立ち去りました、しばらくしてふと振り返ると先程の少年が母親らしき人に、何かを必死に訴えていました。(大体想像がつく)

その光景を見て思わず一言、(この時周りに人はいませんでした。確認したので)

Boys, be ambitious・ 少年よ大志を抱け!」と、…。

(ちょっと偉そうに)

一人の少年をお城の魅力に気づかせる事ができた、良い事をすると実に気持ちが良い、そして腹が減る。と、いうわけでこの後食べた「ソースかつ丼」はまた格別な味でした。

ご当地グルメ

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ソースかつ丼

ご飯の上にキャベツの千切りを敷き、揚げたてのトンカツを甘辛いソースに潜らせたものを上にのせた丼料理。

卵とじも良いが、このソースかつ丼の甘ダレもクセになる感じでとても良い。

こちらで食べました↓ Ctrlキーを押しながらクリックするとジャンプしません。

 https://tabelog.com/niigata/A1503/A150301/15011351/

高田城

見所ポイント: 本丸、二の丸、水堀、土塁、三重櫓、桜、等

駐車場: 高田公園駐車場、第1~第8まであり500台位駐車可能

総評: 本丸の土塁は築城当時の威容を誇る。満々と水を湛えた水堀もかつての大城郭の姿を偲ばせる。再建された三重櫓、極楽橋などは蓮や桜といった季節の花で彩られる。

と、手元の資料にかいてあります。言いまわしが実に上手いですね。

天下普請として、わずか4ヵ月で築城されたとは思えない程水堀が見事な輪郭式の城郭で、現在でも内堀や外堀の一部では立派な水堀を見る事が出来ます。色々な事情で石垣を用いる事ができなかったからこそ、このような形で水堀と土塁が際立った城が出来上がったんだと思います。旧陸軍が水堀を埋め立ててしまっているので、現在では城の東側には水堀は残っていませんが、極楽橋や三重櫓など復元によって現代によみがえった

施設、建物もあり、見所となっています。この広大な水堀と三重櫓を見に週末あたりここ高田城に訪れてみてはいかがでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彦根城登城! 日本100名城 46城目 奇跡の現存天守と伝説の招き猫を求めて~

彦根城

別名: 金亀城(こんきじょう)

所在地: 〒522 - 0061 滋賀県彦根市金亀町1-1

城地種類平山城

築城年代: 慶長9年(1604)~元和8年(1622)

築城者: 井伊直継、直孝、

天守の現況・形態:望楼型 三重三階 木造(現存)

主な関連施設玄宮園、楽々園、埋木舎、彦根城博物館

文化財史跡区分: 国指定特別史跡、国指定名勝、国宝2件、重要文化財5件

彦根城天守

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4月の春麗らかな日、平日ではあるが仕事が3日ほど休みになったので 

岐阜県、愛知県、滋賀県福井県の名城 8城(100名城)を巡る旅に出

る事にしました。6城目はここ「 彦根城 」へ。

彦根城概要:

彦根城徳川四天王の一人、井伊直政が琵琶湖湖畔の磯山の地に城を築こうとする事に始まる。直政が死んだため築城は計画のみに終わったが、その意志を継いで子の直継は彦根山(金亀山)を城地と定めて、慶長12年(1607)に天守など主要部を完成させた。

築城は徳川家康の支援を受けて天下普請で行われ、また佐和山城や大津城など周辺の廃城から用材や石材などを調達、急ピッチで進められた。しかし城下町まで含む城の完成には20年あまりの歳月を要した。三重三階、華麗な装飾を施された天守明治維新の廃城令も戦災もまぬがれ、旧国宝保存法による城郭国宝の第一号に指定された。と、手元の資料に書いてあります、とても分かり易い説明で助かります。

鉢巻・腰巻石垣

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旧西郷屋敷長屋門付近のPに車を停め、早速散策開始。

すると内堀が現れます、内堀の城側は土塁で形成され天端と根石部分

のみ石垣となっています。

天端部分の石垣を「 鉢巻石垣 」、根石部分の石垣を「 腰巻石垣 」と

呼びます。

 

表門山道

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表門橋を渡り、券売所を通過すると天秤櫓前まですぐに行く事ができ

ます。(写真は廊下橋から撮りました)

 

天秤櫓

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太鼓丸の正目に構えられた櫓門で、両端を二重櫓として高石垣の上に

載っています。こちらの表門側の高石垣は野面積ですが、石が細長く

奥下方向へ力が行くように積まれた、牛蒡積となっているみたいです。

 

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こちらの天秤櫓、一見すると左右対称のように見えますが、よ~く見て

みると写真右側の櫓と左側の櫓は屋根の向きが左右で違います。

何か意味があるのでしょうか?

 

打込接の落とし積

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この天秤櫓の土台石垣は廊下橋を挟んで右側と左側で石垣の積み方が

異なります。右側が野面積だったのに対して、左側は打込接ぎの「

とし積」となっています。理由としては1800年代に石垣の修復が行わ

れその際に積まれたものだからとか。

 

天秤櫓と廊下橋

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廊下橋は鐘の丸から天秤櫓へ架けられているこちらの木製の橋の事です。

この橋には「落とし橋」としての機能もあり、非常時にはこの橋を落下

させ、敵の侵入を防ぐ事ができるようになっていました。

 

天守遠望

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太鼓門櫓を通り、本丸内へとやってきました。

写真は本丸東にある櫓台跡から撮ったと記憶しています。

 

装飾に富んだ天守

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こちらの天守は様々な種類の破風を多用し、相互に組み合わせる事で

複雑な造形美を醸し出しています。

 

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石垣のすぐ上の黒い部分が「下見板張」でその上部に窓が上にあがった

ような窓が「突上戸(つきあげど)」で、破風の三角の部分にある可愛

らしい飾りが「梅鉢懸魚(うめばち げぎょ)」となっています。

 

 

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こちら彦根城天守は、複雑な構造にして装飾が沢山施されているので

見る角度によって、天守が様々な " 表情 " をみせてくれます。

では、どれ程装飾が施されているのか紹介します。

入母屋破風 4、切妻破風 4、軒唐破風 4、庇付切妻破風 6、破風合計18

華頭窓18、梅鉢懸魚14、兎毛通(うのけ どおし)4 となっています。

 

天守からの景色

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ブログを書いていて気が付いたのが、天守内部の写真が一枚も残って

いない事です、たしか数枚撮ったはずなんですが…。残念というか

ショックです。「隠し狭間」と「三階天井のむき出しの梁」は是非

ご覧になって下さい。

 

ひこにゃん

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彦根藩二代当主である井伊直孝をお寺の門前で手招きして、雷雨から

救ったと伝えられる白い猫 " 招き猫 ”と、井伊軍団のシンボルとも言える

赤備えの兜を合体させて生まれたキャラクターです。

 

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愛称の「ひこにゃん」は、全国よりお寄せいただいた1167点の中から

決定したみたいです。

 

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開園20分前から並んで待機していたので最前列で撮影しています。

なので自分の後ろは大勢の人だかりで、天守前は人でごった返していま

す。ひこにゃんグッズも多数販売されており、凄まじい人気ぶりです。

(さすがは伝説の招き猫)

 

西の丸三重櫓

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こちらの櫓は1853年(嘉永6)に行われた大修理によって現在の姿と

なりました。尚、櫓の北辺と西辺には続櫓となる多聞櫓が備えられて

います。

 

七間橋(しちけんばし)

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玄宮園の中央には魚躍沼(ぎょやくしょう)と名付けられた広大な園池

が広がり、そこには大小4つの島や岩が配されていました。

七間橋はその橋に架けられた石橋です。

 

井伊直弼

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幕末に、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した人物

で、第13代彦根藩主の幕府大老1860年安政7)、桜田門外の変

暗殺されました。(彦根城博物館で見て下さい)

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所彦根城表門券売所

スタンプの状態:" 普通 " 右側が若干かすれています。

彦根城

見所ポイント: 天守、天秤櫓、太鼓門櫓、西の丸三重櫓、佐和口多聞櫓、馬屋、等

駐車場: 桜場駐車場(100台位)二の丸駐車場(25台位)共に1回400円

総評:入母屋破風、切妻破風、唐破風と多彩な様式を組み合わせた国宝天守は美しく調和がとれている。現存の天守や櫓だけではなく、復元された表御殿、玄宮園や楽々園など見所は多彩である。と、手元の資料に書いてあります、上手い表現ですね流石です。

彦根城天守は奇跡的ともいえる強運で、明治維新の廃城令や戦災もまぬがれ、現在までその姿を残しています。実に多種多様な破風、装飾で複雑に構築された天守は実に見事で、その姿は見る方位、角度によって " 様々な 表情 " を見せてくれます。

ここ彦根城天守以外にも見所満載で、馬屋・佐和口多聞櫓・大手門跡・天秤櫓・太鼓門櫓・西の丸三重櫓・鉢巻石垣・腰巻石垣・鐘の丸登り石垣・等々、じっくり堪能しようと思ったら丸一日かかってしまいます。それ程に遺構が良く残り、また修復整備されている彦根城に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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