みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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興国寺城登城! 続日本100名城 3城目 圧巻の大空堀をこの目に~

興国寺城

別名: 杜若城(かきつばた)、根古屋城 

所在地:〒 410 - 0309  静岡県沼津市根古屋

城地種類: 平山城

築城年:不明

築城者: 不明

文化財史跡区分:国指定史跡

 本丸広場

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。静岡県からは興国寺城諏訪原城高天神城浜松城が選ば

れました。続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで

登城数をカウントしたいと思います、興国寺城を登城 3 城目とします。

興国寺城概要:

築城年代は定かではないが、長享元年(1487)に今川氏の後継者をめぐる対立を解決した伊勢盛時北条早雲)は興国寺城に入った。盛時はここを拠点に伊豆の堀越御所討ち入りをしたといい、伊豆侵攻後には韮山城へ本拠を移した。その後、興国寺城のある東駿河は北条氏、今川氏、武田氏が奪い合った。江戸時代には徳川家康の家臣となっていた天野康景が興国寺藩を立藩するが、慶長12年(1607)に改易され、城は廃城となった。と、手元の資料に書いてあります、分かり易い説明で助かります。

駐車場前の土塁

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本丸脇の駐車場に車を停めて、歩き出すとすぐにこちらの土塁がお出迎

え、いきなりこのボリュームで、「 びっくら古今和歌集 」な感じです。

 

 石碑

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駐車場から本丸まで徒歩30秒で到着します、城の説明看板の横にこちら

の石碑があります。こちらの北条早雲さんは後に、関八州240万石を収

めるまでのし上がりました。

 

天野三郎兵衛康景

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こちらの話が事実ならばとても部下思いの公平で優しい、素晴らしい

人物だったんだなと、感心します。

 

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天野康景さんの看板横にこちらの案内看板があります。

尚、スタンプもこの場所にあります、詳細は後ほど。

 

穂見神社

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本丸と天守台の間にある神社です、ここに説明看板、石碑、スタンプ

トイレがあります。山梨県南アルプス市の高尾山、穂見神社から分祀

され祀られています。

 

西櫓台土塁

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本丸から見る天守台端の土塁です。(なんかデコボコしています)

 

天守台石垣

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先程の神社の脇を登ると1分位でこちらの天守台石垣まで来られます。

(近っ!)。

 

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こちらの野面積石垣、気のせいか「取って付けた」様な感じに見えます。

その辺りも含めてやはり詳しい説明看板が必要ではないでしょうか。

 

本丸土塁

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ここ興国寺城は本丸周辺の土塁の盛りあがり感がハンパ無く、まったく

大したものだと感心させられます。

 

天守台と礎石

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資料によると「天守台と伝えられているが、瓦の出土が見られないため

近世城郭のような建物は築かれなかった」とあります。

 

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それでもこれだけの礎石があるので、何らかの建物があったんだろう。

 

西櫓台からの景色

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連郭式縄張りの本丸を囲むように伸びていく土塁がまた素晴らしい。

尚、この土塁の右側(外側)は往時、沼地であったらしい。

では来た道を戻り、天守台から大空堀を見てみましょう。

 

天守台裏大空堀

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でましたっ!ここ興国寺城で一番の見所「空堀」ですっ!

写真では全てを表現できません、肉眼で見て下さい。

 

空堀堀底

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早速堀に下りて歩いてみます、こちらの大空堀実に幅が約20mとかなり

の物です。そして天守台から堀底までの高さと角度がこれまたハンパ

ありません、まさに圧巻の大空堀といったところです。

 

 

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向かって左側(本丸天守台側)からのプレッシャーがこれまた凄い。

天守台側の切岸が高すぎてフレームに収まりません!

 

謎の穴?

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堀底を西側にさらに進むと、この様な謎の穴が出現します。

いったい誰が何のために? 遺構なのかこれは?謎が残ります。

 

岩盤部分の横堀

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謎の穴をすぎてさらに進むと、岩盤でできた地層に当たります。

その岩盤を根性で切り崩し横堀を西側へと継続しています。

 

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重機等が無い時代にこれだけの岩盤を切り崩すのは、とても大変だった

と思います、このすぐ先が開けていて往時は沼地でした。

 

空堀を戻る

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帰路に就くため来た道を戻ります、しかし何処から見ても見事な土塁

で感動と興奮を抑えきれません。(写真ではうまく伝えられません)

 

北曲輪から

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せっかくなので北曲輪から大空堀を見てみます、すると今までその高さ

からフレームに収まらなかった天守台まで写真に収める事ができました。

 

 

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北曲輪をさらに西端まで行き、そこから大空堀を撮りました。

見よ、この深さをっ! まさに " 驚愕 " です。

 

スタンプ押印

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スタンプは神社横の案内看板近くにある、こちらの箱の中にあります。

 

 

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スタンプ設置場所:穂見神社境内(興国寺城跡本丸内、終日利用可能)

スタンプの状態:" " 力んで強く押しすぎました。

 

ご当地グルメ

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沼津丼(三色丼):
 「沼津名産あじの干物」の炊き込みご飯に、生しらす・桜海老あじのたたきがのった漁師風どんぶり。

下の炊き込みご飯がとにかく旨かったのを覚えています。

こちらで食べました↓

 https://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220501/22000079/dtlmenu/

 

興国寺城

見所ポイント: 空堀天守台石垣、礎石、本丸、二の丸、三の丸、各土塁、

駐車場: 本丸東側の「ここしか停めれないな」という原っぱに10台位(無料)

総評: 最大高さ約14mに及ぶ、本丸の大土塁や北曲輪と本丸を仕切る大空堀は、興国寺城のスケール感を味あわせてくれる。と、手元の資料にあります、まさにその通りです

国指定史跡となっていますが、まだ発掘調査等が行われている最中で案内看板等はあまり充実していません。2020年度から復元整備を行う予定らしいので、今後の復元整備に期待しましょう。それでも本丸を取り巻く高土塁は実に見事で、特に天守台裏側に展開する " 空堀 " は遠方から足を運んで見に来る価値は十二分にあります。そんな迫力満点の土塁群を週末辺り見に訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安土城登城! 日本100名城 45城目 

安土城

別名: ナシ

所在地: 〒521 - 1341 滋賀県蒲生郡安土町下豊浦

城地種類: 山城

築城年代天正4年(1576)

築城者織田信長

天守の現況・形態天守台の遺構が現存

文化財史跡区分: 国指定特別史跡

安土城天主(信長の館)

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平日ではあるが仕事が3日ほど休みになったので岐阜県、愛知県、

滋賀県福井県の名城 8城(100名城)を巡る旅に出る事にしました。

5城目はここ「 安土城 」へ。

安土城概要:

織田信長は「天下布武」の夢を実現する一歩として、また自らの威光を世に知らしめる為に安土城を築城した。琵琶湖湖畔の標高約198mの安土山に天正4年(1576)から7年の歳月をかけて築城した。金、朱、黒などに彩られた五重七階の豪壮な天主や総石垣の普請、麓に計画的に設けられた城下町などは以後の城づくりに計り知れない影響を与えた。と、手元の資料に書いてあります。

大手道石段

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この少し手前に " 料金所 " があり、¥500 を支払い入城します。

それにしても見事な総石垣造の大手道です。

石段の高さや幅がまちまちなのでとても登りずらく、疲れます。

 

伝秀吉邸跡

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説明看板によると、かつてここに配下武将であった秀吉の屋敷があった

とされているのですが、どうやら確証はないみたいです。

 

石垣

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何処の石垣だったか詳細は覚えていませんが、とにかく良い味出してます。

昭和の復元工事で至る所の石垣を修復したと聞いています、ここもそう

なのでしょうか?

 

天主台礎石

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地上六階地下一階建の天主があった天主台の礎石。

この礎石の上に土台を渡し、地階の部分割りに合わせて必要な個所に

柱を立てていたそうです。

 

天主台からの眺望

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天主台からみた景色です、この高さからでもかなり見晴しが良いので

往時、天主最上階からの景色はさぞ素晴らしかったんだろうと思います。

 

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天主台を後にして中腹あたりまで下ります。

 

摠見寺三重塔

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 この三重塔は三間三重の塔で、屋根は本 瓦葺きです。
棟柱に「享徳三年(1454年)建立、天文二十四年(1555年)修理」の墨書きがあります。

甲賀の長寿寺(現在の甲賀市石部町)から移築したものとされています。

 

七曲り

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通称 " 七曲り " と呼ばれている石段です、なぜここはこんな風に折れ曲

っているのでしょうか?

(この部分は傾斜がきついために直線的にできなかったのか?)

このまま下山し、もう一つの目的地である「 信長の館 」へ向かいます。

 

信長の館、天主復元

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建物内部に入ると早速、金、朱、群青と実に煌びやかで豪華絢爛な建物

が目に入る、これは万博用に作られたもので安土城天主の5階~6階部分

を実物大で復元(設計図等は無いので想像で復元)した建物です。

 

天主5階部分

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こちらは天主5階部分の内部です、記録によるとこの五階部分は周囲に

廻縁が巡り、部屋の中には4本の支点柱が立っていたとされています。

尚、内部にある絵は釈迦が説法している様子が、そして天井には天女

が描かれています。

 

天主6階内部

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最上階となる六階部分の内部です、確かフラッシュ撮影はNGであった

と思います。(センサーが誤作動するとか)なのでそのまま撮りました。

この六階内部の壁には、中国の偉大な君主である三皇五帝や著名な聖人

である商山四皓(しょうざん しこう)の画題がとられていました。

 

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 この最上階(六階)のみ正方形の平面となります。

因みに安土城天主の高さは天主台石垣上部から、最上階の棟木まで約

33mあり現存する天守と比較すると姫路城天守とほぼ同じ位であったと

されています。なので当時としては相当なもので人々を驚愕させたと

思います。

 

工事現場のジオラマ

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こちらのジオラマは当時の築城の様子を再現したものです。

信長は普請奉行として丹羽長秀を任命し、大急ぎで工事にあたらせた

と言われています。ここでふとある事に気が付きました、このジオラマ

にもある " 巨岩 " ですが確か城跡には見当たらなかったはずです。

でも、この巨岩の話( 蛇石 )は聞いた事があり、何でも運ぶのにとても

難儀したとか。これ程の大きな岩は何処へいってしまったのでしょうか?

謎は深まります、まさに戦国ミステリーといったところです。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所安土城天主信長の館、安土城跡料金所

スタンプの状態:" " まあまあ綺麗に押すことができます。

安土城

見所ポイント:天主台、石垣、三重塔、石段、屋敷跡、等

駐車場:多目的広場駐車場(100台以上)入山者専用駐車場(20台位)共に無料

総評: 復元整備された大手道や家臣団屋敷跡を経て、天主台へと安土山中をたどれば、いやが上にも「 幻の城 」 への思いは強くなる。石垣の積み方が場所によって様々に異なることもみておきたい。と、手元の資料に書いてあります。まったくその通りです。

天下取りがすぐ目の前にまで来ていた織田信長、しかし天正10年(1582)6月2日、

家臣の明智光秀の謀反によって自刃。完成からわずか3年で炎に包まれ灰燼と化してしまいます、大勢の労働者達が朝から晩まで必死になってつくり上げた皆の血と汗と涙の結晶ともいうべき安土城に放火するとは! " うつけ " なのは信長などではなく、安土城に火を付けた輩です。誰もが思うであろうこの気持ち「往時、そびえ立つ安土城を見てみたい」今となっては叶わぬ夢ですが、いつの日かこの安土城が木造で忠実に再現され、皆の前にその雄姿を披露する日が来ることを切に願ってやみません。

これだけ人を惹きつける城跡、「 安土城 」に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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