みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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山形城 日本百名城21城目!

 

山形城

別名: 霞ヶ城、吉字城

所在地: 〒 990 - 0826  山形県山形市霞城町3

築城年代: 延文2年(1357)文禄元年(1592)元和9年(1623)

築城者: 斯波 兼頼、(しば かねより)最上義光、鳥居忠政、

城地種類: 平城

文化財史跡区分: 国指定史跡

山形城登城  百名城No.10  2010.12.4

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週末2日間で山形県福島県を中心に百名城6城制覇の旅に出かけました。

まずはここ、山形城へ。

山形城は、最上氏の祖斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城したと伝えられています。兼頼の子孫は、その後最上氏を称して、代々居城したらしい。最上氏11代当主義光の代に、関ヶ原合戦の戦功により、57万石の大々名となり、実質100万石の城下町として山形は繁栄しました。

 

山形蔵王IC

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自宅からここまで距離にして約440㎞、やってきました山形に。

山形城はこのICから20分程で到着します。

 

東大手

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駐車場に車を停め、大手門からいざ登城!

当初予想していたよりも道幅や建物が大きくしっかりとしていました。

 

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平成3年、櫓門・多門櫓・高麗門・土塀を備えた山形城二ノ丸の正門を、史実に従い日本古来の建築様式により木造建で忠実に復元。

 

東大手門枡形

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なぜ、山形城が別名『霞城』と呼ばれるようになったのか?
それは、関ヶ原の合戦の頃に直江兼続(上杉軍)が富神山の麓からお城を十日間見ていたが、霞がかかって何も見えなかったことから『霞城』と呼ばれ、現在もそれが定着していて『霞城公園
と呼ばれているらしいです。

 

最上義光

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関ヶ原で西軍が敗北すると、直江兼続は撤退を始めました。

最上勢と伊達勢は追撃に出たため、富神山付近では大激戦となり、自ら先頭に立って戦った最上義光の兜には、銃弾が当たったと言う話が今に伝えられています。

 

最上義光像(2)

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こちらの銅像ですが、全国的に見てもかなりよく出来ていると思います。

この今にも動き出しそうな程の躍動感と馬の筋肉の質感は、なかなか

出せるものではないと思います。(一言で言い表すとカッコイイ!)

 

本丸一文字門

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この頃はまだ復元作業は始まっておらず、写真のような状態でした。

2014年(平成26年)に高麗門と枡形土塀が復原されました。

 

本丸大手橋

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明治時代に駐屯した陸軍によって埋められてしまった本丸の堀、
登城当時はここまで復元されていました。

国指定なので予想で復元できない難しさはありますが、今後の

復元、修復に期待します。

 

大手橋からの堀

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緑がキレイな堀です、少しずつではありますが城の復元が

進んでいるみたいで嬉しい。

 

本丸にある石垣

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隅石は算木積、間詰を施した打込み接の石垣です。

なぜかこの形の石垣を見ると見入ってしまします。(石垣が好きなので)

本丸石垣(2)

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石垣の角度、上部の反り具合といい頑張って積んだ感じが伝わってきます。

この調子で復元作業を進めていってほしいと思います。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所: 最上義光歴史館、山形市郷土館受付窓口

スタンプの状態: " やや良 " 難しい赤色ではあるが、まあまあ綺麗に押せました。

山形城

見所ポイント: 本丸一文字門石垣、二の丸東大手門、堀、土塁、等

駐車場: 山形城専用無料Pアリ。(200台以上可)

総評:完全再建された二の丸東大手門は、高麗門・櫓門・続櫓などからなるもので、

近世城郭の枡形門の典型的な姿を見ることができる。

本丸一文字門の復元整備された高石垣ともども、かつての山形城の威容をしのぶ

事ができる。と、手元の資料に書いてあります、まったくその通りです。

最上義光はよく悪役として色々な物語に登場します、能力があったからこそ

その実力に敵は恐れ悪評を囁かれたのではないか?と自分は思いました。

今後、少しづつでも着実に復元作業が進んでいくことを望みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪高島城 続日本百名城 其の二(完)

高島城

別名: 諏訪の浮城、島崎城、

所在地: 長野県諏訪市高島1丁目20-1

築城年: 文禄元年(1592年)

築城者: 日根野織部正高吉

城地種類: 平城

文化財史跡区分: 市指定史跡

高島城登城  続百名城No.130  2017.4.16

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続百名城を発表しました。

長野県からは龍岡城と高島城が選ばれました。

これは行くしかないっ!と、週末に行ってきました。 其の二(完)

 

城内外周散策

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持方月櫓付近の濠と石垣です、軟弱地盤の上に積まれているらしいが

意外と石垣は歪んだり、沈んだり、また「はらんで」もいません。

 

持方月櫓跡

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(もちかたつきやぐら)名前の由来を知りたいです。

 

公園内

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城内は高島城公園として市民の憩いの場となっています。

芝生等もあり、それなりに手入れがされています。

 

富士見櫓跡

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公園内外周を北へ進んで行くと「富士見櫓跡」があります。

当日は生憎の天気で富士山は見えませんでした。

 

芭蕉の句碑?

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芭蕉」の部分だけ分かったので思わず写真に収めた石碑、調べてみると…。

芭蕉句碑花に遊ぶ虻那くらひそ友雀(はなに あそぶ あぶなくらいそ ともすずめ)

意味: 花にいるアブにも存在する意味がある、だからそのアブを食べたりイジメたりしてはいけないよ、すずめ達よ、仲よくするんだよ。そんな感じの意味らしい。

 

土戸門跡

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説明看板にはお城の「お勝手口」的な門であったと記されていました。

では、その看板を見てみましょう。

 

土戸門跡説明看板

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あくまでも個人的見解ですが、この「土戸門」

なぜか親近感がわいてきます。

 

三の丸御殿裏門

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ここは本丸、なのに三の丸御殿裏門とは?

門の横にある説明看板を早速見てみましょう。

 

説明看板

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そうです、残念な事に現在では本丸部分しか残っていないのです。

 

外周石垣

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先程の門をくぐって外へ出ると、道路にでます。

何故にここだけ、こんな感じの石垣なのだろうか?

他がしっかりとしているだけに違和感が残る…。(やっつけ仕事的な感じが…)

 

いざ、天守

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天守の入り口付近にある説明看板です。

 

埋め立てられた高島城

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日根野さんが必死になって湖畔に築いた諏訪の浮城も、その後領地替えでこの地にきた

諏訪氏によって田んぼにされてしまい現在に至ります。(何で埋め立てるかな~)

 

天守からの眺望

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天守からの眺め、諏訪湖の水辺があんなに遠くへ。

かつてはすぐそこまで諏訪湖の水辺が来ていたのに…。

 

天守からの眺望(2)

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木橋、冠木門を上から眺めます。(風が心地よい)

 

帰る前に…。

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隅櫓と石垣と濠を目に焼き付ける。素晴らしい、そして美しいっ!

「またいつの日にか訪れよう」そう思い城を後にする事に。

 

ご当地B級グルメ

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信州みそ天丼

信州みそ天丼(しんしゅうみそてんどん)とは、諏訪市ご当地グルメの一つで、天丼のタレを諏訪味噌ベースとしたものである。

天ぷらの種は、山菜やワカサギ、手長エビなどであり、天ぷらの上に諏訪味噌ベースのタレがかかっている「信州・天竜川どんぶり街道の会」加盟作品である。

当地では、15店程の店舗で提供されている。と、(ウィキペディア)にあります。

ここで食べました↓ Ctrlキーを押しながらクリックするとジャンプしません。

 https://tabelog.com/nagano/A2004/A200404/20000767/

駐車場

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3時間まで無料なので、ゆっくりと食べる事が出来ます。

 

お土産

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信州定番のお土産以外にも、今回はどうしてもこちらが気になったので

購入しました。(やわらかくて美味しかった)

スタンプは

 

まだありません。 

続百名城のスタンプラリー、早くやりたい…。

高島城

見所ポイント: 本丸、天守、冠木門、冠木橋、角櫓、内堀、石垣

駐車場: 市営の無料駐車場が天守直下にアリ。(ここに作るか駐車場を…。)

総評: 秀吉の家臣、日根野高吉(安土城大阪城の築城にも携わった築城の名手)

が7年の歳月(かなりの突貫工事で領民からは嫌われていたらしい?)をかけ築城したのがこの高島城です。

城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えた事から別名「諏訪の浮城」と呼ばれ、また、「 諏訪の殿様良い城持ちゃる うしろ松山前は海 」と歌われた名城です。

この城に来て一番感じた事は(何故に城の周りを埋め立ててしまったのか?

この一言につきます。(葛飾北斎の浮世絵にも描かれている程に美しかったのに)

往時、湖上に浮いているかの様な湖上の城、「諏訪の浮城」を見てみたかった…。

長野県及び諏訪市へ、今からでも遅くはないので埋め立てた所を元に戻しましょう

(あくまでも個人的な見解です、あしからず。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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