みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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高取城登城! 日本百名城36城目 2011.2.11

高取城

別名: 芙蓉城(ふようじょう)鷹取城

所在地: 〒635 - 0101 奈良県高取郡高取町高取

城地種類: 山城

築城年代: 元弘2年(1332)頃 天正13年(1585)

築城者: 越智邦澄(おち くにずみ)     本田利朝

天守の形態天守台のみ現存

文化財史跡区分: 国指定史跡

天守

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3連休の休みなので三重、奈良、大阪、和歌山、京都、7名城(百名城)制覇の旅に出掛ける事にしました!3城目はここ「 高取城 」へ。

高取城概要:

高取城は、奈良盆地南方に連なる吉野山系の標高583mの山頂に築かれた山城である。城の起源は南北朝時代に越智邦澄によって築かれたといわれている。一時廃城となるが、筒井順慶の復興の後、本多太郎左衛門・利朝親子が中世の山城から近世城郭へと修築。岩村城備中松山城とともに近世の三大山城にあげられている。南北に長い尾根筋に高石垣によって築き上げられ、27基もの櫓を備えた巨大な近世山城であった。その堅固さは幕末に天誅組が乗っ取ろうとしたが攻略できなかった事によって証明された。本丸上段の天守曲輪には三重の天守がそびえ、また山城には珍しく水堀も設けられていた。と、手元の資料に書いてあります。

七ツ井戸

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この日は朝から松坂城伊賀上野城と登城し、この時点で時間は14:00。

先に「 夢創館 」へ行きスタンプを押しました。

夢創館の店員さん: 「今日は皆さんこの大雪で引き返してきましたよ」

      自分: 「山梨県から時間とお金をかけて来たので今から行ってきます。」

夢創館の店員さん: …。そ、そうですか。(この人大丈夫?みたいな顔で)

 

太鼓櫓・新櫓

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本来なら麓の七曲り(大手道)からじっくりと散策したかったのですが

生憎の天候と14:00時という時間を考慮し、七ツ井戸下の駐車場(3~4台)まで

車で行き、そこから本丸を目指す事にしました。

 

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駐車場から細くて急な山道をしばらく登ると早くも二の丸に到着します。

この二の丸から本丸に至る場所は、太鼓櫓と新櫓が石類によってつながれて

いました。どちらも二重二階の構造であったみたいです。

 

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ここ高取城には、山城としては珍しい " 水堀 " があるのですが(猿石の近く)

今日はかなりショートカットして途中からの散策なので見る事ができません。

 

階段

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ここ高取城は、その全容をしっかり見ようとすると丸一日かかるので次に来る

時は朝から時間をかけて散策しようと思います。

 

石碑

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雪の山道を必死になって登ること40分(途中見学時間含む)ついに

本丸天守台前に到着、そこにあった標柱です。

 

本丸高石垣

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本丸にある石垣群の実に見事なこと、…。

思わず叫んでしまいます。 「うぉ~すごい!ひゃぁ~!

でも大丈夫、周りに人は絶対居ないから。

 

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現在は城跡の至る所に写真にあるような巨木が生えていますが、往時には余計な樹木は

無く、城の全容を麓の城下町からしっかりと見ることができたようです。

 

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麓の城下町から見上げる高取城の姿は、「威容を誇っていた」といわれています。

その証拠にこんな謡があります。

「 たつみ高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城 」(土佐とは昔の高取)

三層の天守や27もの櫓、土塀2,900mの白壁がまるで山に積もった雪のように美しかったんだろうなと、往時の姿を想像してしまいました。

 

天守台石垣

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天守台の石垣の高さは城内で一番高く、約12mあります。

石垣の上には具足櫓を付属した三重三階・地下一階天守がそびえていました。

どうりで天守台の石垣の天端が周りの石垣の天端より高くなっていて、窪んでいるわけです。

 

本丸虎口

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一見すると狭い枡形のようにみえますが、右に左にとカクカク折れ曲がった

虎口となっています。

 

説明看板

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何て書いてあるのか…。

字が小さくて読めません。

 

下山開始

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雪がしんしんと降る中、静まり返った城内にいること数時間。

この時すでに16:00。まずい、もうすぐ日が暮れてしまう、そこで

名残惜しくもあるが下山することにしました。

 

石垣横の巨木

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本丸高石垣のすぐ横にあるこの巨木、樹齢はいったいどの位だろうか?

幹の太さからするとこの大木、高取城天守や櫓、土塀等、在りし日の

高取城の姿を見ていた可能性が高い。(う、羨ましい…。)

 

天守台石垣

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本丸の高石垣を眺めながらふと、こんな事を思いました。

そういえば " 天誅組 " とかいう賊が高取城を攻撃したという話があったな。

この高石垣なら落ちないだろうなと、思って調べてみたら…。

 

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1863年8月25日、早朝06:00頃、大将中山忠光率いる天誅組約1000人は天険の要害ともいわれる高取城奪取を目論み攻撃を仕掛けます。千人余の天誅組に対して、二万五千石の小藩である高取藩の兵力は200~250人程でしたが地元の人で構成された高取藩の兵は地理を熟知していました。26日早朝、狭い小道を進軍してきた天誅組に対して、高取藩兵は大砲(そのほとんどは故障で使用できなかったらしい)と鉄砲で攻撃、天誅組は敗走します。因みに天誅組は、本丸の高石垣に到達する遥か手前撃退され敗走しています。

 

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もし仮に天誅組がここまで到達していたとしても、この高石垣の前で

涙目になって敗走していたことでしょう。

 

最後に石垣を

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下山する前に今一度高石垣を拝みます。(す、素晴らしいっ!)

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所:たかとり観光案内所「 夢創館

スタンプの状態:" " 綺麗に押せます。

高取城

見所ポイント本丸・二の丸高石垣、太鼓櫓・新櫓、みろく堀切、水堀、壺坂口門跡等

駐車場:七つ井戸下に3~4台 

総評:本丸天守台をはじめとする各曲輪の高石垣、吉野口門外側の「みろく堀切」と呼ばれる巨大な堀切や、山城では唯一の水堀である二の門水堀など山中の至る所に見所は多い。と、手元の資料に書いてありますが、まったくそのとおりだと思います。

往時の高取城はまさに壮麗な山城で威容を誇っていたと考えられ、このような謡も残っています。

「 たつみ高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城 」

三層の天守、小天守を擁し、27の櫓(内、多門櫓5)、33の門、土塀2,900m、石垣3,600m、橋梁9、堀切5ヶ所。こんな山頂にこれだけの櫓、門、土塀、高石垣があったのだから麓から見上げる高取城はさぞかし凄かったんだろうと思います。

かの天誅組約1000人を城の麓でかる~く一蹴してしまう天険の要害・高取城

往時の姿に思いを馳せ、この巨大な山城を週末にでも訪れ堪能してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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