ゴルゴンの登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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高天神城登城!続日本100名城 28城目   難攻不落の名城「一城別郭」の城~その壱

高天神城

別名鶴舞城(かくぶじょう)、土方城。

所在地: 〒437 - 1435 静岡県掛川市上土方嶺向。

城地種類: 山城

築城年代: 不明(16世紀初頭には存在していた?)

築城者: 不明

主な関連施設:大東北公民館(スタンプ設置場所)

文化財史跡区分: 国指定史跡

井楼曲輪の堀切

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表

しました、静岡県からはここ " 高天神城 " と 興国寺城 、諏訪原城浜松城

選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の高天神城

をもって続日本100名城、登城 28城目とします。

高天神城概要:

築城年代に関しては諸説あります、16世紀初頭に今川家臣の福島正成高天神城の城主になったといわれています。

遠江土方にある鶴翁山(標高132m)に築かれた山城で、遠江における重要な拠点であったことから武田家と徳川家の間でこの高天神城を舞台に幾度となく激しい争奪戦がくり広げられました。

東峰と西峰のそれぞれの曲輪群をもって、一つの城として機能する「一城別郭」の縄張をもち、その要害堅固な城は「難攻不落の名城」と呼ばれていました。

1581年(天正9)兵糧攻めにより餓死寸前だった大将以下城兵は、城外へとうって出る

が玉砕し、その後徳川軍により高天神城は焼き払われその後廃城となりました。

高天神城鳥観図

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出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/ 

こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図はとても見やすいですね。

大東北公民館

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場所緯度経度:34.703466, 138.047470 。

こちらの建物で続100名城のスタンプとパンフレットを入手できます。

資料は「高天神城物語」「掛川三城ものがたり」の2種類あるので両方貰いま

しょう。

搦手口

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ここ高天神城は大手と搦手から登城する事ができますが、大手側の駐車場は

10台程度しか停められないため、搦手側からの登城をお勧めします。

(搦手側は100台以上停められそう)

搦手側駐車場緯度経度:34.700253, 138.035015 

 

搦手本来の道?

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搦手門跡を登っていくと左手にこのような場所があります、現在ある道はとて

も登りやすい後から作った登山道の可能性が高く、本来の搦手口はここから

城内へと入っていったのではないか?と思いました。(確証はありません)

 

三日月井戸

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搦手から井戸曲輪へと行く途中にある井戸となります、湧き出るというより

染み出てくるといった感じです。

 

井戸曲輪

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搦手側から井戸曲輪へと入るとこの場所にでます、右(西)へ行くと西嶺へ、

左(東)へ行くと東嶺へと行く事ができます。

 

尾白稲荷説明看板

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井戸曲輪のかな井戸の近くにこちらの説明看板がありました。

内容について、信じる信じないもあなた次第です…。

 

かな井戸

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「名前の由来は不明だが、湧き出る水が鉄分を多く含んでいるためともいわれる。

武田軍が城攻めの際に井戸の水脈を切ったとも言われ、そのためか現在は水が

でない」と、パンフレットに書かれています。

 

西の丸跡

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階段の上に見える " 高天神社 " は城が廃城となるまで城中守護の神社でした。

290年前に御前曲輪跡から現在の場所に移されました。(パンフから転載)

 

西の丸眺望

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標高が100mちょっとなので、抜群の眺望ではないですが周りを警戒するのに

はまったく支障がありません。

 

馬場平の北東側堀切

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西の丸と馬場平の間にある堀切となります、現在は堀切の中を階段を使用して

西の丸と馬場平を行き来する構造となっています。

(そのため堀切は少し埋められていると思われます)

 

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この辺りでは堀切ではなく、" 切割 " というんですね。

せっかくなので堀切を下から見上げてみます↓

 

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明らかに埋められてますね、本来の姿はこんなものではないはずです!

最近、堀切を見るとやたらとドキドキする、沼にはまってきたか…?

 

馬場平北の横堀

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場所が分かりにくいと思うので、鳥観図に印を付けておきました。

①の場所となります。

 

馬場平

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かつては城の南側を見張るための番屋があったところと、考えられています。

とても見晴らしがよく、遠州灘が一望できる場所となっています。

 

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気持ちいいですね、遠州灘は写真右側の奥に写っています。

 

甚五郎抜道の看板

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なるほど、高天神城落城の際に、ここから抜け出して本国の勝頼に報告した

んですね。

横田甚五郎尹松:(よこたじんごろう ただまつ)

 下総の浪人、武田氏の家臣となって鬼美濃の勇名を馳せた原美濃守虎胤。

尹松はその孫にあたる。信玄、勝頼に仕え、天正2年武田家の高天神城領有と共に城番となる。天正9年落城時には、城を脱出し甲州へ帰り、武田家滅亡後には家康に仕えて小牧長久手の戦い、関ヶ原の戦い大坂の陣などに従軍した。寛永年間御旗本奉行となり、同年12年(1635)7月5日、没する。と、パンフレットに書いてあります。

では早速その抜道を見てみましょう↓

 

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なかなかの抜道っぷりに思わず声がでる「おぉ~!」。

馬がよく嫌がらなかったな?(本当は徒歩だったのかも)

 

犬戻り猿戻り

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別名:「犬戻り猿戻り」とも言われており、その難所っぷりは見ての通りです。

道の両脇は険しい崖となっており、落ちれば大怪我間違いなし。せっかくなのでこの道を行けるところまで行ってみます。

 

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さすがは犬戻り猿戻り、道が細いうえに右側は90度の断崖絶壁となっています。

この辺りはとても危険なので、よい子のみんなは近寄らないでください。

この先で普通の尾根道になったので、ここで引き返し二の丸へ進みます。

 

二の丸へ

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西の丸の北側に位置する二の丸へと進みます。

 

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こちらの細長い曲輪が二の丸となります、二の丸と堂の尾曲輪と井楼曲輪の

西側には横堀が展開する防御構造となっています。

 

袖曲輪

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二の丸の北側に馬場曲輪と袖曲輪が仲良く2つ並んで配置されています。

その先の堀切を見てみましょう↓

 

堂の尾曲輪・南側堀切

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堂の尾曲輪の南側にある堀切となります、位置は鳥観図の③です。

せっかくなので、この堀切を横から見てみます↓

 

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幅約9m、深さが約6mあるとされていますが、深さに関してはもっとあった

んじゃないかと思います。

尚、橋脚跡と考えられる穴が発見されていて、木製の橋が架けられていたと

考えられています。

 

堂の尾曲輪・北側堀切

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堂の尾曲輪と井楼曲輪の間にある堀切となります。

ここも堀底が埋まっている感じです。

鳥瞰図の④。

 

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井楼曲輪側から見た堀切となります、せっかくなのでここも横から見てみます。

 

 

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ここの堀切は、経年劣化で崩れて埋もれかけています。

とても貴重な遺構なので、修復などを考えてもらいたいですね。

今回はここまで。

其の弐では東峰を中心にレポートしていきたいと思います。

其の弐へつづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葛山城(駿河国)登城! 今川・武田と仕えた国人衆の山城~

葛山城

別名: 無し。

所在地: 〒410-1103 静岡県裾野市葛山491(仙年寺の住所)

城地種類: 山城

築城年代: 不明?。

築城者: 葛山氏?。

主な関連施設: 麓に仙年寺、葛山氏館跡。

文化財史跡区分: 市指定史跡。

葛山氏墓所裏の登山道

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千福城を攻略後、近くに " 葛山城 " という地元の方々によって、よく

整備されたなかなか見所がある山城があったのでご紹介。(2020.2.8)

葛山城

葛山氏は鎌倉期には御家人、室町期には将軍家奉公衆として駿河東部における名族であったとされています、戦国期には北条・今川・武田と領国を接するために、その後の大国同士の争いの中で従属先を変更するなどしてお家の存続に努めたとされています。

1560年(永禄3年)桶狭間の戦いの後、今川氏が没落すると武田氏に属し、武田信玄の六男が葛山氏の名跡を継いで葛山信貞となりました。

しかし、武田氏も滅亡すると葛山氏も没落し、葛山城も廃城となりました。

看板・縄張図

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仙年寺の裏(北)の葛山氏墓所からも登る事もできますが、こちらの

案内版を見ると、やはり大手~二重堀切~本丸~二の丸~二重堀切~

西出丸と進んで見学したほうが良さそうなので大手まで移動しました。

 

大手登城口

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 車でこちらまで来たのですが、駐車場はありませんでした。

小さい車が1台だけ停められるスペースがありますが、基本ここまでは

徒歩で来る事をお勧めします。

大雑把な緯度経度:35.205353, 138.895072 

 

大手曲輪

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案内版には書かれていませんが、大手~東曲輪の間に位置します。

すでにこの時点で、しっかりと下草が処理されているのが分かります。

地元の葛山城址保存会の方達によって、とても大切に整備されています。

 

 

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先程の大手曲輪から東曲輪へ向かっているところですが、ご覧の通り

しっかりと道が整備されているので、とても歩きやすい。

 

東曲輪

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案内版には東出丸と書かれている部分となります。

東西に細長く尾根上に曲輪が展開しています。

 

二重堀切・一条目

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案内版で一号堀と書かれている部分の堀切となります、現在はこんな

感じですが、往時はきっと凄かったはずです。

 

二重堀切・二条目

 

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一条目と二条目の間から二条目の堀切を見てみます。

400年以上経過しているので、かなり埋もれている感じです。

 

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城の西側(帯曲輪側)から二重堀切を見てみます、「素晴らしい!

の一言につきますね。(ここは見どころポイントですね)

 

帯曲輪

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本丸の東側から南側まで、ぐるりと囲む形で帯曲輪が形成されています。

市指定史跡のわりには案内板等が、各曲輪に設置されているので初めて

来た人でも安心して見学ができるようになっています。

 

本丸土塁

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案内版のの部分から見た本丸の土塁です、ここに設置されている階段

(入り口)は後から付けたものなのかな?

 

本丸

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 広さ的には40m×25m位の広さでしょうか、二の丸と合わせると

それなりの広さとなります。

 

本丸からの景色

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本来ならこちらの本丸から、ぐるりと周りを見渡せるのですが、山の

木々が元気よく茂っているので、この部分だけしか城山の麓を見ること

ができませんでした。

 

 

葛山城鳥瞰図

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看板によると東西に約350m城域があると書いてあります、なかなか

の規模の山城です。

 

二の丸

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本丸の虎口から西側の二の丸を見た写真となります、本丸と二の丸は

北側に囲み土塁があり、北側からの攻撃に備えた造りとなっています。

今立っている虎口を二の丸側から見てみましょう↓(案内図

 

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だいぶ崩れていて原型を留めていないような感じです。

ここで二の丸を一旦南東へと進み、見事な本丸土塁(城塁)を見に行き

ます。

 

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数百年の時間が経過しても、これだけしっかりとした形を維持している

のは凄いですね、修復とかしたのでしょうか?

 

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二の丸の虎口付近から、二の丸北東方向を見た時の写真がこちら。

本丸と同等、若しくはそれ以上の広さがある位の広さです。

 

畝状竪堀群

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この葛山城において、どうしても見ておきたい遺構が2つあった。

1つ目は東西にそれぞれある " 二重堀切 " 。

2つ目は城の北側斜面にある " 畝状竪堀群 "。(案内図

残念ではあるが、この竪堀群のある斜面は草が膝丈まであり、5条ある

といわれる畝状竪堀群を確認する事ができませんでした。(残念!)

 

 

5号堀

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二の丸の西側にも二重堀切があり、案内版では5号堀と6号堀の表記で

記されています、堀切からそのまま竪堀として斜面を下っていく構造

となっており、写真はその竪堀を下から撮ったものとなります。

 

6号堀

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6号堀も5号堀と同じく堀切からの竪堀となっており、写真のように斜面

を竪堀として下っていきます。

ここで南東へと下り、4号堀を見に行きます。

 

4号堀(竪堀)

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看板が無くて草刈りがしてなければ、恐らくこの竪堀には気が付かな

いだろう。(地元ボランティアの方々、ありがとうございます)

欲を言えば、畝状竪堀群の場所も……。

 

葛山氏墓所

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仙年寺の裏(北)にあるのが、葛山氏の墓所となります。

丸に武田菱が目にとまりました、武田信玄が六男の信貞に名跡を継が

せここ葛山の支配を完全なものとした記録があり、その名残なのでしょう

か。(案内図

 

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資料や口伝だけでなく、このような形でも歴史の一端を垣間見る事が

ができるんですね。

スタンプ&御城印

ありません。

ご当地グルメ

食べてるヒマなし。

 

葛山城

見所ポイント:本丸、二の丸、虎口、二重堀切、横堀、竪堀、畝状竪堀群墓所等。

駐車場:仙年寺に2カ所、大手口付近に1カ所。

交通アクセス:車の場合・東名裾野インター~仙年寺、国道246号線バイパス経由約

       5km 約10分。 

       徒歩の場合・岩波駅~仙年寺まで、国道246号線経由約4km 約50分。

       東名バスの場合・東名裾野バス停下車 仙年寺まで約1.2km 徒歩約15分。                 

総評駿河東部における名族であったとされている葛山氏、そんな葛山氏が領国の防衛の為に築いたとされるここ葛山城

築城年代に関しては資料が乏しく、はっきりとした事はわかりませんが、現在城址にはわりと良好な状態で土塁や堀切、竪堀等が残っており戦国期における有力国人衆の山城の縄張構造を見てとる事ができます。

本丸と二の丸を2つの二重堀切で挟み込む」という構造の縄張に興奮するこの感覚を感じるために、ここ葛山城へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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