みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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陸奥・久川城登城!伊達軍を退けた土の城、蒲生氏の改修~。

陸奥・久川城

所在地:〒967-0507 福島県会津南会津町青柳。

城地種類:山城。

築城年代天正17年(1589)

築城者:河原田盛次。

歴代城主: 河原田氏、蒲生氏、上杉氏。

文化財歴史区分:県指定史跡。

本丸東側

福島県南会津町市に、日本100名城や続日本100名城ではないが、県の史跡として良く整備された山城があり、桝形虎口、空堀、土塁、等が良好な状態で残されている見事な土の城があるというので行ってきました。2023.11.3.登城。

久川城概要:

河原田盛次は侵攻してくる伊達軍に備えて、伊南川西岸の半島状の地に久川城を築き、そこに立て籠もって伊達勢を迎え討ちました。伊達軍は久川城を攻撃したが、城の堅い守りに苦戦し結局攻め落とすことができずに撤退したとされています。しかし盛次は翌年の秀吉の小田原成敗に参陣しなかったために領地は没収されてしまいました。その後、久川城は蒲生氏により改築され、現在の姿になったとされています。その後、慶長16年(1611年)に廃城となりました。(Wikipedia参考)

駐車場前の看板

県道351号線沿いにこちらの看板があり、その近くに「南会津博物館伊南館」があります。こちらの駐車場を利用して久川城へと向かいます。

 

搦手口

駐車場から一番近いのと、ここから入って大手口から出てくるコースが最適と思われるので、こちらの搦手口から登城します。

尚、ここにはかつて馬出があったらしいのですが、現在はありませんでした。

 

北側の桝形虎口

先程の馬出跡から七曲りの坂を登りきると、こちらの桝形虎口が現れます。規模はなかなかの大きさであり、しっかりとした造りであったことが想像できます。この辺りの遺構は最後に入部した蒲生氏が改築した近世城郭的な部分と思われます。

 

 

こちらは北端にある「北出丸跡」となります。ここから南下し、本丸へと向かいます↓

 

本丸北東の空堀

北ノ丸を経由し、本丸の北東に到着。本丸の北東側を守る空堀と土塁が見事ですね。

 

 

 

北側から見るとこんな感じとなります。本丸側(写真右手)は土を盛って高さをだし、高低差をだしています。せっかくなので動画も撮影してみました↓

 

 


www.youtube.com

 

 

 

本丸の土塁、凄い土木量で関心します。この土塁の本丸側も見てみます↓

 

 

しっかりと土を盛り、高さを出しています。ここから少し移動し、本丸の虎口部分を見に行きます↓

 

本丸虎口

やや分かりにくい写真でごめんなさい。中央付近が虎口部分です。虎口部が大きいので正面からの撮影が難しかったのでこの角度になってしまいました。

 

 

先程の本丸虎口から右側(北東)を見たのがこちら↑。現在でもこれだけの遺構を見る事ができる貴重な土の城となっています。

 

 

本丸虎口の左側(南西)の土塁がこちら↑。こちらの囲み土塁はグルっと北西まで続いていきます。

本丸跡

こちらの本丸は東西約65m、南北約110mの広さで出来ており、本丸の北西側は高い土の壁(土塁)になっています。その高い土の壁を見てみましょう↓

 

 

この辺りは本来、北西側が高く東南側が低い地形だったと思われます。曲輪を造成するにあたり取り残された(わざと残した?)部分が、現在でもその姿をよくとどめています。

 

本丸~二の丸間の空堀

本丸と二の丸とを隔てる空堀がこちら↑。当然、北東側と同じく本丸側の土塁が高く盛られており防御性能の向上が図られています。

 

二の丸

こちらが二の丸となります。北西の高土塁は本丸ほどの高さはありませんでした。

 

二の丸~三の丸間の空堀

こちらが二の丸と三の丸間の空堀となります。この空堀は高低差があるので、北西から東南へ向かって下る「竪堀」のようにも見えます。この三の丸南側に桝形虎口があったので見てみましょう↓

 

南の丸と三の丸付近にこちらの桝形があり、ここから本丸へと進んで行くともう一つ桝形があります。

 

三の丸

ここはやや小さめの曲輪で、やはり北西側には高土塁があります。ここから南西にある二重土塁を見に行きます↓

 

 

中央の土塁と、写真左側の空堀部分とで、土塁が二重となる構造です。これは東南側の通路と北西側の高土塁上の通路とを繋ぐ、「連絡通路」的なものだったのでしょうか?
知らんけど…。

 

大手折坂虎口

大手口から入って七曲りの坂を登りきり、南の丸へと通じるここは、折坂虎口となっており、その先には小さいながらも桝形が構成されています。

 

 

当日、訪れたのは11月3日、紅葉がとても綺麗でした。春夏秋冬でそれぞれ別の顔を見せる山城はとても魅力的で、四季がある日本に生まれて本当に良かったと思います。

 

大手馬出跡

当日ここは草が茂っており、うまく撮影できませんでした。でも肉眼ではハッキリとその形状を見ることができました。

 

 

こちらがその馬出の土塁となります。かろうじてこの部分だけ写真に収めることができました。これで久川城の散策は終了、次の城へと向かいました↓

 

久川城ログ

時間:1時間18分、見応えはあるがそれ程広くないので問題無し。

距離:2.2km、城跡は広くないうえに整備されているので体力の消耗は心配無し。

標高・比高:標高は628m、比高は 71m(県道351線沿い駐車場から)。

 

広域

こちらの久川城、東側は伊南川、西側は滝倉沢川、北側は久川、と3方向を川に囲まれた絶好の場所に築かれているのが見てとれます。

 

陸奥・久川城

見所ポイント本丸、二の丸、三の丸、馬出桝形虎口空堀土塁大土塁、等

駐車場: 南会津博物館伊南館(久川城見学者は駐車可)。

総評:現在の福島県南会津町に位置し、標高628m(比高71m)半島状に突き出た丘陵地に築かれた山城。3方向を川に囲まれた絶好の場所に築かれており、城山の斜面もかなりの急傾斜地で要害な山城としての姿がそこにあります。蒲生氏が改築したと云われる近世城郭的な遺構の数々に思わず見入ってしまう、こんな見応え抜群な久川城に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸奥・相馬中村城登城!260年間続いた相馬氏の居城~

陸奥相馬中村城

所在地:〒976-0042 福島県相馬市中村北町。

城地種類平山城

築城年代延暦年間頃か?

築城者坂上田村麻呂?。

歴代城主: 相馬氏。

文化財史跡区分:県指定史跡。

妙見曲輪の空堀

福島県相馬市に、日本100名城や続日本100名城ではないが、県の史跡として良く整備された山城があり、巨大な水堀や空堀、桝形虎口等が施された見事な平山城があるというので行ってきました。2023.10.8.登城。

相馬中村城概要:

福島県相馬市の海岸近くの丘陵の先端に位置しており、(標高23m、比高15m)小高い丘陵の先端に築かれた平山城。1611年(慶長16)、相馬利胤が築城して小高城から移り、以後、明治初年に廃されるまで、260年にわたる相馬氏歴代の居城として、藩政の中心として機能しました。

 

東三の丸駐車場

こちらの東三の丸に駐車して場内を散策します。もとは重臣泉氏の屋敷がありましたが、のちに南二の丸より厩が移されて馬場となったとされています。車はここに停め、いったん東南の外堀まで移動します。

 

中堀・東南

こちらの中堀は南側~東側~北側へと、ぐるりと囲むように巡らされています。ここから外大手一の門へと向かい、内部へと入って行きます↓

 

 

こちらの中堀のフェンスは、こんな感じのオシャレな作りになっています。

 

 

外大手一の門

相馬義胤が武蔵国川越城の城番のときに、城門の堅固さに感動し、その門を真似て城門を改造したと云われています。では、早速内部へと入って行きます↓

 

当時の石?

先程の門を入ってすぐに、こちらのブルーシート上に置かれた石材が置いてありました。よく見ると石の表面に化粧が施されており、また矢穴も確認できました。

 

 

矢穴の跡がはっきりと確認できます。

 

武者落としの堀

外大手一の門と二の門の間にある桝形の突き当りに、「武者落としの堀」と呼ばれる堀がこちら↑

 

 

武者落としの堀にはこのような土塁が盛られ、この土塁上に狭間がついた土塀が設置されていたとされています。ここから東二の丸方面へと進ます↓

 

東二の丸・内堀

こちらの東二の丸の内堀は、埋め立てられる事なく、現在でもその姿をよくとどめています。

 

中の門・桝形虎口

こちらの桝形虎口、文政頃(1818~1830)までは二階建ての二の門がありました。こちらの桝形虎口東側に土塁があったので見てみます↓

 

 

桝形内部の東側となります。ここから東二の丸方面へと進みます↓

 

馬出の一部

東二の丸と本丸との間に丸土張(馬出)と呼ばれる施設がありました。その一部を現在でも見る事ができます。

 

内堀跡と鉢巻石垣

本丸の周囲は高く鋭い切岸で囲まれており、切岸の上部には鉢巻石垣がグルリと積まれています。これで本丸へと進みます↓

 

 

こちらの赤橋を渡って本丸内部へと入ります。

 

色々な石材

化粧が施された石材や、柱を差しこむ礎石と思われる石材もありました。

 

 

本丸相馬神社

かつてここ本丸の西南隅には、三重の天守が建てられていたが、寛文十年(1630年)に落雷で焼失し、以後再建される事はありませんでした。ここ本丸跡に相馬中村城の説明看板があったので見てみます↓

 

 

これで本丸の散策は終了、西へと向かいます↓

 

本丸黒橋付近の石垣

本丸の西南、黒橋付近に石垣を見る事ができます。石垣の下から2段までは遺構の感じがしますね、その上に積まれているのは恐らく近代の修復だと思います。

 

 

この辺りも下段の化粧が施された部分は、往時の石材っぽいですね。この黒橋から本丸の切岸と鉢巻石垣を見てみます↓

 

かなりの高さがありますね、しかも急斜面!土でこの角度は初めて見ました!

 

 

妙見曲輪の切岸

本丸の南西に位置する、妙見曲輪の切岸となります。この辺りから西側は、中世の土の城だった頃の名残りを見る事ができます。

 

 

この様な横堀が、妙見曲輪を囲むように掘られている様はまさに圧巻の一言。

 

西三の丸・空堀

こちらは西三の丸西側に施された横堀で、曲輪の北側~西側~南側までをカバーしています。

 

北二の丸・西門付近の空堀

本来、本丸の内堀は水堀なので水があるはずなのですが、訪れた当日は水が無い状態でした。

 

 

 

先程の場所から北側はご覧の通り、蓮池と呼ばれる池が広がっています。ここから対岸の北三の丸へと向かうのに桝形虎口があるので見てみます↓

 

土門・桝形虎口

北側から敵が侵入する場合、必ずここを突破しなければならない。だが、周りを蓮池の水に囲まれているので、狭い通路からの移動と攻撃を強いられるため、この桝形虎口を突破するのはかなり苦労する事が予想される。(よくできてるな)

 

外蓮池門跡

かつてここまで中堀があり、橋の辺りに蓮池門がありました。その遺構が現在でも少し残っています。

 

下城

これで相馬中村城の散策は終了、次の城へと向かいました。

 

陸奥相馬中村城

見所ポイント本丸、各曲輪、桝形虎口鉢巻石垣水堀空堀土塁馬出、等

駐車場: 東三の丸駐車場(30台)。

総評:現在の福島県相馬市に位置し、標高23m(比高15m)小高い丘陵の先端に築かれた平山城。相馬氏260年の歴史を垣間見る事ができるここ中村城は、現在でもよくその遺構を残しており、日本100名城や続日本100名城にもまったく引けを取らない程の名城となっています。特に本丸周辺の切岸、鉢巻石垣、桝形虎口、城域西側の中世時代の空堀跡などはとても見応えがあります。こんな見応え抜群な相馬中村城に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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