みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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陸奥・三春城登城!続日本100名城60城目!中世の山城から近世城郭的山城への変貌~

三春城

別名舞鶴城。

所在地:〒963-7759 。福島県田村郡三春町字大町。

城地種類: 山城。

 築城年代:永正元年(1504)頃。

築城者:田村氏。

主な関連施設:三春町歴史民俗資料館(続100スタンプ)。

文化財史跡区分: 町指定史跡。

本丸裏門・北側の石垣

2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました。福島県からは 向羽黒山城とここ ” 三春城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 三春城 ”をもって続日本100名城、登城60城目とします。2023.10.7.登城。

三春城概要:

三春町中心部の大志多山の山頂を中心に築かれた山城で、標高407m比高100m(麓から)中世から田村氏がこの辺りを治めていましたが、天正19年(1591)蒲生氏郷領となります。その後も加藤氏、松下氏、秋田氏などが城主をつとめました。明治1年(1868)戊辰戦争で秋田氏が新政府軍に降伏し無血開城。そして時は流れ、昭和58年(1983)町指定史跡に指定されました。

駐車場

役場の横にも駐車場がありますが、本丸西側にもこの様な駐車場があります。

 

 

 

先程の駐車場からこちらの本丸西側の切岸を見る事ができます。

 

本丸裏門北側の石垣

こちらの石垣は、蒲生氏が治めていた時代に造られたとされています。

 

 

往時、本丸を中心にこのような石垣が多用されていたはずですが、現在ではこのように一部の石垣が残るだけとなっています。

 

城址標柱と説明看板

地元では「舞鶴城」と呼ばれています。因みに甲府城、田辺城、福岡城、国分城、米沢城なども地元では「舞鶴城」と呼ばれ、親しまれています。

 

本丸

三春城の本丸は、思っていたよりも広かったです。こちらの本丸跡に色々な石が置いてあったので見てみます↓

 

 

矢穴がありますね、かつて本丸の周囲を囲っていたであろう、石垣の石材でしょうか?

 

 

 

こんな感じで何個も置いてあるので、興味がある方は見学されてはいかがでしょうか。

 

 

本丸のかつて三階櫓が建っていた場所となります。

 

その三階櫓跡からみた三春町となります。

 

門の礎石?

本丸の南側にこちらの表門の礎石があるのですが、柱を入れる穴が小さすぎやしませんか?

本丸虎口

こちらの虎口を通って本丸東側の台所、御座間と呼ばれる場所を見に行きます↓

 

 

腰郭と御座間との間の段差(切岸)となります。

 

 

 

山頂全体が本丸で、東側の一段高くなっている方と、西側の三階櫓があった方とで、二つに分かれている感じなのか。

 

 

御座間跡

かつて藩主がかかわっていたであろう場所には、現在このような藩主であった秋田氏を祀っていた建物の名残りを見る事ができます。このまま南下して、大手道を下ってみようと思います↓

 

 

こちらが本丸南側の切岸となります。

 

三の門跡

大手道なので、本丸に行くまでに幾つも門がありました。

 

 

こちらが本丸下段の(本丸西側)南側切岸となります。

 

 

 

門の上に土を被せた上土門の事かな。

 

二の門跡

ここに三春城の案内看板があるので、見てみます↓

 

 

 

かなり、ざっくりとした案内図…。

 

南側・竪堀跡

城域南側の、重巨屋敷と大手道との間にある竪堀となります。この竪堀には橋がかかっており、その上から撮影しました。ここでいったん本丸付近まで戻り搦手まで行きます↓

 

 

城の北側にあたるこちらが搦手門跡となります。ここからいま一度、蒲生氏時代に築かれた石垣を見に行きます↓

 

 

素晴らしいですね!こんな感じの石垣が、かつて本丸を囲むように積まれていたと考えると胸が熱くなります。

 

三春城ログ

ログをとる程ではなかったので、記録無し。

 

 

御城印

御城印販売場所:三春町歴史民俗資料館。

御城印のサイズ:通常サイズ。

御城印の値段¥:一枚300円。

 

陸奥三春城

見所ポイント石垣、本丸、二の丸、三の丸、屋敷跡、堀切、竪堀切岸残石、等

駐車場: 役場横駐車場、本丸下西側駐車場。

総評:現在の福島県三春町に位置し、標高407m(比高100m)の大志多山の山頂に築かれた山城。現在の郡山市田村市の中間地点にあり、街道と三春の城下町を見下ろせる最適な場所とも言える場所に築城されています。現在の縄張りは、中世の山城に石垣などの近代的な防御施設を備えた近世城郭的な山城として機能していたであろう、かつての姿をわずかですが今日に残しています。こんな三春城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸奥・桑折西山城登城!巨大空堀や連続桝形虎口を有する伊達氏の居城~

陸奥桑折西山城

所在地:〒969-1651 福島県伊達郡桑折町万正寺本丸

城地種類:山城。

築城年代:天文元年(1532年)頃か?。

築城者:伊達氏?。

歴代城主: 伊達氏。

文化財史跡区分:国指定史跡。

中館~西舘間の空堀

福島県伊達郡桑折町万正寺本丸に、日本100名城や続日本100名城ではないが、国の史跡として良く整備された山城があり、巨大な空堀や桝形虎口等が施された見事な山城があるというので行ってきました。2023.10.7.登城。

桑折西山城概要:

産ヶ沢川に北~東~南と囲まれる丘陵の先端に位置しており、(標高215m、比高107m)現在の白石市福島市間を繋ぐ街道沿いに築かれた山城。天文元年(1532年)に

伊達 稙宗は居城をここ桑折西山城に移し、西山城が現在の規模に築城されたのはこの時であると云われています。

駐車場

桑折西山城を見学する人は、こちらの観音寺にある駐車場を利用する事ができます。場所はGoogleマップで検索すれば出てきます。

 

 

先程の駐車場近くに、こちらの案内看板があります。事前にこちらでパンフレットと御城印を入手してから駐車場に来ることをお勧めします。

桑折町老人福祉センター桑折大かや園」(センター内に桑折西山城跡ガイダンス施設併設)住所:福島県伊達郡桑折町大字万正寺字大榧16-1営業時間:午前9時00分~午後4時00分休業日:月曜日。

登城口

先程の案内看板のすぐ近くにこちらの登城口があります。

 

 

こんな感じで道はとても広く歩きやすいので、軽装で訪れる事ができます。

 

大手門跡

大手道を土塁で遮断し、城の中心部を防御していました。大手門の説明看板があったので見てみます↓

 

 

大手門として立派な門があったと推測されます。ここから西側に向かい、中館と西舘を見に行きます↓

 

中館

西側の城域で一番大きな曲輪となります。こちらの曲輪では切岸と桝形虎口を見る事ができます。

 

 

中館から見た南側の景色となります。往時、前方の木々は無く、眼下には城下町が広がっていた事でしょう。

 

中館桝形虎口

中館の南東に位置し、高さのある中館切岸の真下を経由させて桝形形状の虎口に誘導する造りになっています。要するに3方向からの攻撃にさらされる形となるので、この虎口を突破するのは至難の業となるはずです。

 

中館~西舘間の空堀

ここ桑折西山城においての見所ポイントのひとつ、中館~西舘間の空堀となります。高さ的には中館の方が高い造りとなっています。せっかくなので、色々な角度からこちらの空堀を見てみます↓

 

 

この空堀の西側は土塁で盛られているのですが、その土塁が石積ベースで造られている土塁だったので紹介します↓

 

この様な感じで、石積でかさ上げした上に土を盛り、空堀の土塁としています。とても良い空堀なので、動画に収めてみました↓

 

 


www.youtube.com

 

二重桝形虎口

西舘の南側に、このような高低差を伴う二重桝形虎口があります。桝形が二重になっており、通路が何度も折れ曲がっています。説明版があったので見てみます↓

 

 

二重桝形虎口のうえに坂虎口となっており、しかも通路の底や側壁は石積で覆われていたらしい…。どんだけ厳重な造りなんだよ!

 

 

この様に、高低差と折れを伴う複雑にして技巧的な造りは、戦国末期に改修された事をうかがわせます。

 

坂虎口

この坂はかなりの急傾斜で造られており、しかも通路は石が敷き詰められていたとか。

これで西舘の散策は終了、東の城域である二の丸へと進みます↓

 

二の丸西側の空堀

二の丸と唐沢を隔てる巨大な空堀となります。写真で見るとそこそこの高低差に見えますが、実際に肉眼で見ると、かなりの高さ(深さ)の空堀になっています。

 

二の丸土塁

先程の空堀の東側(二の丸西側)にある土塁となります。西側の防衛を意識して造られていますね。ここから本丸方面へ向けてどんどん進んで行きます↓

 

本丸~二の丸間の堀切

本丸と二の丸間を隔てる堀切となります。この堀切に関する説明版があったので見てみます↓

 

 

なるほど、現在の堀切は本来の姿ではないんですね。

 

本丸

古くから地元で呼ばれてきた名称の「高舘城」の城址碑と、桑折西山城の標柱がここ本丸にあります。ここ本丸の説明版があったので見てみます↓

 

 

西側の城域とは打って変わって、こちらの東側の城域は主に改修などは行われなかったという事ですね。(何故だろう?)

 

本丸からの景色

高さはありませんが、往時は良く城下を見渡せたと思います。

 

本丸建物跡

本丸にあったとされる建物跡となります。近くに説明版があったので見てみます↓

 

 

こちらの建物群で政治や儀式を行っていたのですね。

 

本丸南側の空堀

本丸の南側にある空堀となります。この空堀は現在では本丸の南側だけに残されていますが、元々は二の丸まで横堀として続いていたと云われています。

 

砲台場跡

戊辰戦争の際に造られた砲台跡で、地面の窪み部分に大砲が備え付けられていました。近くに説明看板があったので見てみます↓

 

 

実際に大砲が使用されたのかどうかは、不明という事ですか。

 

御城印

御城印販売場所桑折町老人福祉センター桑折大かや園」。

御城印のサイズ:通常サイズ。

御城印の値段¥:一枚300円。

 

桑折西山城ログ

時間:1時間42分、もっと隅までよく見たら、2時間以上かかりますね。

距離:3.1km、城跡が広いので、隅々まで見学したら5km位になるか?。

標高・比高:標高は215m、比高は 107m(観音寺駐車場から)。

 

広域

丘陵の先端に築かれ、産ヶ沢川に周囲を囲まれた好立地に築城されています。

 

陸奥桑折西山城

見所ポイント本丸、二の丸、中館西舘桝形虎口横堀堀切、切岸、等

駐車場: 観音寺駐車場(西山城見学者は駐車可)。

総評:現在の福島県伊達郡桑折町に位置し、標高215m(比高107m)半島状に突き出た丘陵の先端に築かれた山城。東~南の眼下に流れる産ヶ沢川に囲まれる形で、まさに天然の濠になっている要害な立地に築城された西山城。城域は主に東西で分かれている感じで、特に西側の遺構は技巧的に造られており、戦国期末期あたりに改修を受けている事が予想されます。特に桝形虎口群は実に見事で、とても見応えがあります。こんな見応え抜群な桑折西山城に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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