みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


お城巡りランキングクリックしてね!

紀伊新宮城登城 ! 続日本100名城 33城目 紀伊南東部の防衛拠点・総石垣造りの城~其の壱

紀伊新宮城

別名:丹鶴城・沖見城。

所在地: 〒647 - 0081 和歌山県新宮市新宮7691-1

城地種類平山城

築城年代: 1601(慶長6年)

築城者: 浅野忠吉

主な関連施設新宮市立歴史民俗資料館(スタンプ)新宮市観光協会(御城印)

文化財史跡区分: 国指定史跡

出丸から観る熊野川

f:id:Gorgon:20210530110406j:plain

2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表し

ました、和歌山県からは " 新宮城 " が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。

今回の 新宮城をもって続日本100名城、登城33城目とします。

2021.5.2登城。

新宮城概要:

1600年(慶長5年10月)浅野幸長紀伊入国、浅野忠吉が新宮領主となりました。1601年(慶長6年)に忠吉は新宮城の築城を開始、その後1615年(元和元年)に一国一城令で廃城となりますが、1618年(元和4年)に幕府の許可が下り再び築城に着手。その後浅野氏は三原へ移封、代わりに水野氏が新宮に入り新宮城の築城工事を継続し1633年(寛永10年)に水野氏の新宮城が完成しました。新宮城は総石垣造りの近世城郭で丘陵東部に本丸と天守台があり、熊野灘沖を行き来する船を見ることができたことから、沖見城とも呼ばれていました。紀州藩付家老水野氏が代々城主を務め、明治維新に廃城となりました。

新宮城案内図

f:id:Gorgon:20210601213833j:plain

こちらの案内図を参考にして、新宮城をレポートしていきます。

 

須賀神社

f:id:Gorgon:20210530174937j:plain f:id:Gorgon:20210530175641j:plain

新宮城へ行く前に、続日本100名城のスタンプを新宮市立歴史民俗資料館で押

します、場所はこちらの神社横にあります。(車のナビではダメでした)

緯度経度(駐車場):33.72788 ,135.99737

その後、新宮城のパンフレットと御城印を新宮市観光協会でもらい、新宮城へ

向かいました。

 

南曲輪南西の石垣

f:id:Gorgon:20210530180749j:plain

駐車場は無料で確認できた場所は2カ所でした。

① 丹鶴公園駐車場(無料)緯度経度:33.729593,135.992279

② 観光専用駐車場(無料)緯度経度:33.729693,135.990275

今回は②に車を停めて、南曲輪の石垣と大手の高石垣を先に見学してから公園

入口へと進みました。

 

大手門跡の高石垣

f:id:Gorgon:20210530182238j:plain

城の西側に位置する大手道(現在通行止め)にある大手門跡の高石垣となり

ます。(この辺りは整備がまだまだの場所で、これからに期待したい)

この大手道は通行止めなので、いったん南曲輪まで戻り、そこから公園入口

から案内図の②(大手道と土塀跡)へと向かいました↓

 

f:id:Gorgon:20210530182850j:plain

大手門跡からのルートは道が損壊していますが、ここからは江戸時代の大手道

が現在でも残っています。

 

松ノ丸西門跡

f:id:Gorgon:20210530210439j:plain

場所は案内図の②となります、石垣造りの枡形虎口で防御を固めています。

ここで右側(南)に顔を向けると、こんなものがありました↓

 

f:id:Gorgon:20210530210728j:plain

石垣から崩れ落ちた石でしょうか?大きくて重たいから放置されているのか?

 

松ノ丸西門・枡形虎口

f:id:Gorgon:20210530211118j:plain

現在では石垣のみが残っています。

この虎口がある松ノ丸(三ノ丸)は、大手道から水ノ手曲輪や本丸への通路

としてとても重要な曲輪であった事がうかがえます。

 

鐘ノ丸渡櫓門跡

f:id:Gorgon:20210530212133j:plain

この枡形虎口の先は「鐘ノ丸(二ノ丸)」で、この虎口の両脇を多門櫓で固め

ていたようです。

それでは、この先にある鐘ノ丸へと進みます↓

 

f:id:Gorgon:20210530213206j:plain

この新宮城において一番の広さを誇るのが、こちらの " 鐘ノ丸 " となります。

 

坤櫓からの眺望

f:id:Gorgon:20210530213651j:plain

場所は案内図のAとなります。

この鐘ノ丸には3基の櫓があったと、案内図に書いてありますが、櫓の名称に

ついては記されていません。(南西にあるので坤櫓と勝手に書きました…)

 

鐘ノ丸南側の高石垣

f:id:Gorgon:20210530214707j:plain

切り込み接ぎの布積で、綺麗に積まれた高石垣です。

素晴らしい!

ここで進路を東にとり、天守台石垣を目指します↓

 

天守台石垣

f:id:Gorgon:20210530215359j:plain

こちらの天守台は、1952年(昭和27年)の大雨で天守台石垣の一部が崩落し

てしまい現在に至ります。

この石垣の正面下に刻印があります↓

 

f:id:Gorgon:20210530220359j:plain

〇は確認できますが、それ以上は…?

ここで本来なら、本丸の南側に展開する " 横矢掛 " (屏風折れの石垣)を観に

行くのですが、それは最後のほうに残しておき(好きなものは最後に食べる派)

先に本丸と出丸を散策しに行きました↓

 

本丸渡櫓門跡&枡形虎口

f:id:Gorgon:20210530221803j:plain

場所は案内図のBとなります。

本丸への入り口となる、この部分の石垣は巨石を用いた " 切込み接ぎ " の石

垣で、訪れる者を圧倒する威圧感に満ちています。

写真では伝わりませんが、石の一つ一つが凄く大きい。

 

排水樋

f:id:Gorgon:20210530222933j:plain

場所は案内図のCとなります。

多雨地方の石垣によくみられる、水抜きの為の設備です。

城内に8基あると云われていますが、4基しか確認できませんでした。

 

本丸から観る出丸

f:id:Gorgon:20210530225519j:plain

本丸の北西に位置するこちらの出丸は、切り込み接ぎの石垣で囲まれ、独立

した曲輪となっています。

発掘調査の結果、本丸と橋で繋がっていた事が判明しています。

 

搦手門跡

f:id:Gorgon:20210530230455j:plain

本丸の東にある搦手門跡となります、場所は案内図の⑩となります。

石垣の上部、付け足してある部分がとても気になる…。(これは遺構か?)

 

本丸南側の高石垣

f:id:Gorgon:20210530231113j:plain

本丸南側の高石垣を、横矢掛の張出部分から撮影したのがこちら↑

高さはもちろんの事、この石垣の角度が凄い!

この後、天守台跡へと向かいました↓

 

天守台の矢穴

f:id:Gorgon:20210530232247j:plain

 こちらの天守台石垣は1952年(昭和27年)の大雨で崩れてしまったのですが、

崩れたせいで、本来見る事ができないはずの矢穴を見る事ができます。

 

横矢掛りの高石垣

f:id:Gorgon:20210601211636j:plain

場所は案内図の⑰となります。

石垣の稜線が幾重にも連なり、まさに圧巻の高石垣となっています。

ここ新宮城において、一番の見所ポイントと言っても過言ではないと思います。

 

隅石に注目!

 

f:id:Gorgon:20210601212137j:plain

ここ新宮城の石垣の特徴は、石の表面に化粧が施されている事と、石のサイズ

がとても大きい(隅石)事が挙げられます。

この写真では上手く伝わりませんが、実際に肉眼で見ると驚くほどの大きさ

です。

石垣の稜線がずれてる?

f:id:Gorgon:20210601212914j:plain

過去に幾度も大きい地震(宝永4年、安政元年、等)を経験している新宮城。

その時のずれなのかは分かりませんが、石垣の上部がずれてしまっています。

今回はここまで、其の弐では本丸南側(屏風折)~出丸~水ノ手曲輪~二の丸

南とレポートしていきます。

其の弐へつづく…。

紀伊新宮城

見所ポイント本丸、鐘ノ丸、松ノ丸、出丸水ノ手曲輪屏風折れの石垣、排水樋。

駐車場:① 丹鶴公園駐車場(無料)緯度経度:33.729593,135.992279

    ② 観光専用駐車場(無料)緯度経度:33.729693,135.990275

中間報告:ここ新宮城は紀伊半島の南東に位置し、熊野川の河口付近の山上に築城された総石垣造りの近世城郭となります。築城は西暦1600年以降と比較的新しいので、石垣も切込み接ぎで化粧が施され、とても精美な高石垣となっており、訪れる者を魅了してやみません。

其の弐でも、この素晴らしい高石垣を中心にレポートしていきたいと思います。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊豆 鎌田城登城!技巧的な遺構を現代に伝える山城~

伊豆 鎌田城

別名: 無し。

所在地: 〒414 - 0054 静岡県伊東市鎌田。

城地種類: 山城。

築城年代: 不明?所説あり。

築城者: 鎌田新藤次俊長と云われているが所説あり。

主な関連施設:奥野ダム駐車場(トイレ・自販機あり)。

文化財史跡区分: 市指定史跡

帯郭東側の大堀切

f:id:Gorgon:20210522215700j:plain

伊豆半島伊東市に、中世頃に築かれ戦国期以降に改変されたであろう技巧的な

遺構を遺す " 鎌田城 " という山城があるというので、行ってきました。

鎌田城概要:

一説によると、鎌田城は鎌田新藤次俊長によって築かれたと云われていますが、定かではありません。さらに、伊東氏が北条早雲の伊豆侵攻に備えて縄張を再構築したが、早雲に攻められ落城し廃城になった等、色々云われてはいますが、はっきりとした事は分かっていません。ただ、戦国期以降に改変されたと思われる技巧的な防御施設(遺構)が良好な状態で残存している、見所のある山城となっています。

 

鎌田城縄張図

f:id:Gorgon:20210523102342j:plain

鎌田城の主郭にあったこちらの縄張図を参考にレポートしていきたいと思います。

 

奥野ダム駐車場

f:id:Gorgon:20210522221724j:plain

 ここ鎌田城跡は主に2つのルートがあります。(東側のルートは現在未使用)

① 城の北側、八代田バス停付近から登るルート。

② 城の南側から入り、西側から沢伝いに登るルート。

今回も車で来ているので、奥野ダム駐車場(トイレ・自販機あり)に車を停

めて②のルートで登ることにしました。

 

登城口付近にある看板

f:id:Gorgon:20210522223031j:plain

駐車場を下っていき、トンネルの先左にある広場と鰻屋の間にこちらの看板

があり、この看板の奥(広場)に登城口があります。

登城口 緯度経度:34.939872,139.071897。

 

城跡手前にある鉄塔

f:id:Gorgon:20210522223907j:plain

登城口から山道を沢伝い(正確には沢の中)に30分程度登って行くとこちらの

鉄塔が現れます。

ここまでくればもう安心、城跡へは5分とかかりません。

 

西側尾根の段差

f:id:Gorgon:20210522224629j:plain

 先程の鉄塔から尾根筋を登って行くと、こちらの段差が現れます。

場所は縄張図の①

最初に現れる人工的に造られた土の施設、ここから先が城域となります。

 

馬出と竪堀

f:id:Gorgon:20210522225748j:plain

場所は縄張図の②となります。(南側から撮影)

当初、3重堀切かと思っていたのですが、よ~く見ると " 2重堀切+1 " だとい

う事に気が付く。(一つ目の馬出部分が堀切に見えた)

 

f:id:Gorgon:20210522231334j:plain

縄張図の「20」と書かれている、1つ目の馬出から西側を撮影したのがこちら↑

 

1条目の堀切

f:id:Gorgon:20210522232021j:plain

場所は縄張図の③となります。

重ね馬出に挟まれる形で存在する、連続堀切の1条目です。

 

f:id:Gorgon:20210522232448j:plain

先程の堀切を縄張図の「19」(馬出)から撮影のがこちら ↑

 

2条目の堀切

f:id:Gorgon:20210522232810j:plain

2条目の堀切を上(東側)から撮影したのがこちら ↑

 

 

f:id:Gorgon:20210522234208j:plain

場所は縄張図の④となります。

この堀切は写真の左側が横堀のような感じで南側へ行き、そこから南西方向

へと " L " 字に曲がりながら竪堀として下っていくという構造になっています。

連続堀切に重ね馬出という、とても技巧的な造りに早くもテンションが上が

ります。

主郭北側にある神社

f:id:Gorgon:20210522234932j:plain

 こちらの神社は主郭の北側に位置しており、2の郭、3の郭と隣接する部分に

建てられています。

この神社を建立する際に、おそらく堀と土塁の一部が破壊された可能性が高い。

 

鎌田城説明看板

f:id:Gorgon:20210523080102j:plain

主郭にこちらの説明看板が設置されています。

文字の部分をアップにしてみます↓

 

f:id:Gorgon:20210523080630j:plain

築城年代や築城者については、不明な点が多いためか記載がありません。

 

6の郭からの眺望

f:id:Gorgon:20210523080909j:plain

主郭の西に位置する腰郭で、場所は縄張図の⑤となります。

この郭と主郭とを隔てる堀切と竪堀があるのですが、現在ではほぼ埋まりかけ

ており、目視で確認はできますが写真には上手く写りません。

7の郭とその北側にある竪堀は確認できましたが、その先にある8の郭と堀切は

道が無く、急斜面のため確認できませんでした。

ここで、西側の散策を終え城の東側へ移動します ↓

 

2段構えの横堀&土塁

f:id:Gorgon:20210523082243j:plain

城の南西に位置する、10の郭の先にこちらの2段構えの横堀があります。

10の郭上から見下ろした写真です、見事な横堀と土塁が三日月状に展開して

います。

下へおりて確認してみましょう↓

 

上段の横堀

f:id:Gorgon:20210523083706j:plain

場所は縄張図の⑥となります。

高低差を利用して、横堀を2段構えにしてあるこちらの遺構は、とても見応え

があります。(北側の土橋部分から撮りました)

 

下段の横堀

f:id:Gorgon:20210523084408j:plain

場所は縄張図の⑦となります。

 こちらが下段の横堀を土橋から撮った写真です、写真右側にあるのは土塁で

高さが良い感じですね。

 

f:id:Gorgon:20210523085117j:plain

2段構えの横堀&土塁を全て1枚のフレーム内に収めようと試みましたが、まっ

たく収まりませんでした。(この下段横堀のアップでご勘弁…)

 

下段横堀・南側の竪堀

f:id:Gorgon:20210523085537j:plain

 縄張図には、下段横堀の南に大きな竪堀が書いてあるのですが、行ってみたら

ご覧の通り、斜面の土が柔らかいのでほぼ埋まりかけていました。

これで南東の散策は終了、城の北東にある大堀切を見に行きます ↓

 

城の北東・5の郭

f:id:Gorgon:20210523091231j:plain

城の北東に位置する " 5の郭 " となります、この帯郭の下(東)にまるで横堀

みたいな大堀切があります。

 

北東の大堀切

f:id:Gorgon:20210523091730j:plain

場所は縄張図の⑧となります。

帯郭の東側に展開するこちらの大堀切、最初に見た時「でかい横堀だなぁ~」

と思ったのですが、地形と縄張図をよく見ると尾根を遮断した堀切だとわかり

ました。

 

f:id:Gorgon:20210523092802j:plain

大堀切を南側から撮った写真となります ↑

この堀切は南へと、そのまま横堀のような形で継続していきます。

因みにこの堀切のサイズは、深さは8m~9m、幅は14m~16m、長さは30m

~35m、位のサイズに感じました。(あくまでも目測です)

 

鎌田城ログ

f:id:Gorgon:20210523104832j:plain

城域は狭いのですが、道のりがそれなりにあるので距離は3.4kmありました。

じっくり見ながらの散策でしたが2時間程度なので、気軽に行ける感じですね。

 

f:id:Gorgon:20210523104857j:plain

この様にぐるりと西側から回り込む形で登って行きます。

 今回は、別ルートで下ってしまうと駐車場まで戻るのが大変なので、大人しく

来た道を戻り、駐車場へと戻りました。

伊豆 鎌田城

見所ポイント連続堀切&重ね馬出北東大堀切2段構えの横堀、竪堀、眺望、等。

駐車場:奥野ダム駐車場20台以上駐車可(トイレ・自販機あり)

総評:15世紀よりも前に築城された可能性もあるここ鎌田城ですが、現在残存する遺構はとても近代的で技巧的な造りの部分が多数あるなど、とても興味深い城跡となっています。あくまでも私見ですが、戦国中期以降にある勢力によって改変されて使用されていたのではないか?と思いました。廃城後も奥深い山の山頂という立地条件のためか、開発による破壊がそれほど無く、遺構の保存状態が良いので往時の山城の姿を知るうえでとても貴重な城跡となっています。こんなコンパクトなのに見所が多い 、" 鎌田城 " に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記事が気に入った方はクリックして下さい。
お城巡りランキング