みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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陸奥・堀越城登城!津軽為信 最後の居城~

堀越城

別名: 無し

所在地: 〒036 - 8114  青森県弘前市大字川合字岡本(堀越城跡管理事務所)

城地種類: 平城

築城年代: 1337年(建武4年)頃?

築城者: 曾我貞光か?

主な関連施設:旧石戸谷家住宅(堀越城跡ガイダンス施設)

文化財史跡区分: 国指定史跡。

展望デッキからの本丸跡

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青森県弘前城近くに、" 堀越城 " という復元土塁が素晴らしい城があると聞

いていたので、弘前城へ行く前に訪れてみました。(2020.9.21.登城)

堀越城概要:

弘前藩の初代藩主である津軽為信が、最後の居城とした城といわれています。

為信が大浦城から居城を移した1594年(文禄3年)から、二代藩主信枚が高岡城

(のちの弘前城)へ居城を移すまでの約17年間、津軽の中心として機能したといわれています。

堀越城跡案内図

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整備事業が完了(2020年4月)して間もないので、駐車場からトイレからとて

も綺麗で驚きます。

国道7号線が城域を分断していますが、国道下に連絡通路のトンネルがある

ので歩いて簡単に移動することができます。

 

旧石戸谷家住宅(ガイダンス施設)

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かつて弘前市大字浜の町に建てられていた、津軽を代表する農家住宅で、

木造、一部2階建ての茅葺で、総床面積437.63㎡(1階 388.39・2階 49.24㎡)

を有する大きな建物です。

現在は堀越城ガイダンス施設として、色々な展示物等を見ることができます。

尚、こちらで堀越城の御城印(大判サイズ)も入手することができます。

 

二の丸北駐車場

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先程のガイダンス施設でパンフレットと御城印を入手したあと、車でこちら

へと移動しました。

尚、堀越城は冬季の間は除雪等をしないので利用には注意が必要となります。

開園時間:堀越城ガイダンス施設(旧石戸谷家住宅)開館期間 4月17日~11月23日 開館時間 午前9時~午後4時 / 堀越城内 ・通年開放(冬季は除雪しません)

 

城址

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北側駐車場の脇に堀越城の城址碑があります、そしてその後ろには土塁が見え

早くもテンションがあがってきます。

 

外堀と中土塁

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場所は二の丸の北東で、外堀と二の丸土塁、手前が三の丸土塁とその前方に

ある中土塁となります。

尚、注意事項に土塁に登る事と堀に入る事は「禁止」とされているので注意

が必要です。

 

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堀の中に入る事はできませんが、見学通路からはこの様に間近で堀底と土塁

を見ることができます。(本丸北東の国道7号線のすぐ脇)

 

三の丸南虎口の二重土塁

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見学通路から見た三の丸土塁と中土塁となります、土塁に挟まれた部分と外堀

とで二重堀となり、虎口の全面の防御となっています。

 

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展望デッキのある、虎口両サイドの土塁と中土塁との間にある堀となります。

土塁の高さがあるのでその分、堀も深く見えます。

復元土塁、素晴らしいですね!

 

外堀跡からみる二重土塁

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目の前にある二重土塁は発掘調査結果に基づき復元されたもので、中土塁は

外堀底から3m、その後ろにある土塁は6mの高さがあります。

場所はこちら↓

 

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国指定史跡で、完成したばかりなので説明版もしっかりとしていて綺麗です。

整備に対する力の入れようが、他の城よりも強いと凄く感じました、この様な

説明版がそこらじゅうに設置してあり、へたな百名城よりも整備がなされて

います。

 

三の丸南西虎口

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前方の虎口跡と外構跡にある城道とを繋いでいる土橋上から撮影していますが、

この土橋跡は江戸時代の堀越城を記した文献には記載がなく、発掘調査で初め

てその存在が明らかになりました。

場所はこちら↓

 

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こちらの現在地から少し進んだ折れの部分から撮影しました。

ここで虎口から内部へと入らずに外堀を周り西側の虎口へと行ってみます。

 

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奥から本丸土塁、内堀、中土塁となっています、現在は空堀ですが往時は内堀、

外堀ともに水堀であったとされているので、この中土塁を利用した二重堀は構

造上とても堅固な防御施設として機能していたと思われます。

 

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こちらは本丸南西に位置します、この土塁の内側は掘立柱建物跡があったと

されている場所です。

この少し先に西側虎口があるのでそこから内部へと入って行きます↓

 

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こちらが二の丸西虎口となります。

二の丸虎口は二の丸西端中央に位置し、西側に位置する小丸と土橋で繋がって

います。

調査により、園路の下約1.5mから城に伴う時期の土橋が確認され、この土橋

の幅は約3m程あったとされています。

現在地はこちら↓

 

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現在ある見学通路は後から造られたもので、本来は一度右に折れてから虎口

を通り、二の丸へと入っていきました。

 

掘立柱建物跡

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この場所から南北14.7m、東西5.8mの掘立柱建物跡が確認されています。

柱が格子状に配置された総柱建物であることから、重いものなどを収納する

倉庫であった可能性があり、また、二の丸虎口と本丸西虎口の中間に位置し

土塁の基軸とも一致することから、視界や動線を遮断する防御的な機能も有し

ていたと考えられています。(現地説明版より)

 

本丸西虎口

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かつてここには西の門と言われる門があったとされています、その礎石跡が

この先の道路に記されています。

 

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西門跡の南側はこんな感じでした、雰囲気でてますね。

ここで本丸には入らずに内堀をぐるりと周り、本丸東側まで行き本丸東門跡

から本丸内部へと入ろうと思います。

 

本丸北側の内堀

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因みに写真左にある本丸ですが、円形ではなく五角形の形をしています。

ここで一旦、展望デッキへ寄ってみることにします。

 

展望デッキから

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この時は逆光でまぶしく、よく見えませんでしたが、石川城をみることができ

るそうです。

 

展望デッキ西側の景色

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展望デッキから右側(西)を見るとなんとも贅沢な景色が広がります。

本丸土塁と内堀、南西虎口に二重土塁、二重堀、土橋、まさに最高の場所と

言っても過言ではありません、展望デッキ恐るべし!

そこからさらに首を右(北西)に旋回させると…↓

 

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土塁に囲まれた本丸跡を見ることができます、素晴らしいですね!

しかもこの場所は風が吹いているので、とても心地よい。

そしていよいよ本丸へと移動します↓

 

本丸東門跡

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本丸東門正面の内堀底からは、内堀に架かる木橋と考えられる柱穴跡が確認

されました。

柱穴跡は8基確認され、2列、4対に並んでおり軸線は本丸御殿広間跡や東門跡

などの本丸の建物群と一致するそうです。(現地説明版より)

 

本丸囲み土塁

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本丸の囲み土塁も健在で、しっかりと本丸内部を一周しています。

 

本丸御殿広間跡

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本丸御殿広間跡は城主の公的な事柄などもこなすため、当時この地における

最高の格式をもつ建物であったとされています。

これで堀越城の散策は終了、下城することにしました。

スタンプは… 

ありません。

 

御城印

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御城印販売場所:旧石戸谷家住宅(堀越城ガイダンス施設)。

御城印のサイズ:大判サイズ。

御城印の値段¥:一枚300円。

堀越城

見所ポイント:本丸、内堀、二の丸、三の丸、土塁中土塁二重堀、虎口、等。

駐車場:旧石戸谷家住宅前の駐車場緯度経度:40.573653, 140.524360 

    二の丸北側の多目的駐車場緯度経度:40.573600, 140.521315

総評:当時、津軽地方を支配していた南部氏から独立し、1591年(天正19年)頃までには豊臣秀吉から大名として認められるまでになった津軽為信、その為信最後の居城として今日までこの地に残り、大切に守られてきた堀越城。

城域は国道7号線に分断こそされてはいますが、国指定史跡のもと、とても大胆にして丁寧な復元整備で往時の姿を取り戻しているその手法は、城跡における復元整備計画の一つの理想形ともいえるのではないでしょうか。

こんな復元土塁が見応えある堀越城に週末あたりに訪れてはいかがでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浪岡城登城!続日本100名城 30城目 中土塁を用いた二重堀を有する中世城館~

浪岡城

別名:なし

所在地: 〒038 - 1311 青森県青森市浪岡大字浪岡

城地種類: 平城

築城年代: 15世紀後半頃?

築城者: 不明、北畠氏か?

主な関連施設:浪岡城址案内所(スタンプ)青森市中世の館(スタンプ&御城印)

文化財史跡区分: 国指定史跡

北館の土塁

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表

しました、青森県からはここ " 浪岡 " が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。

今回の浪岡城をもって続日本100名城、登城 30城目とします。

2020.9.21登城。

浪岡城概要:

浪岡城はいつ、誰によって築城されたか詳しい事は分かっていませんが、15世紀後半ごろに北畠氏によって築かれたと推測されています。

1562年におきた親族間での争い(川原御所の乱)により勢力が衰え、1578年に大浦(津軽)為信に攻められ落城し、その後廃城となりました。

ここ浪岡城は、昭和15年2月(1940)に青森県初めて国史跡指定を受け、また、平成29年4月(2017)には、「日本100名城青森県からの選出の一つとして、(公財)日本城郭協会により選定され現在に至ります。

浪岡城鳥観図

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出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/ 

こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図はとても見やすいですね。 

鳥瞰図では水堀となっていますが、現在は空堀となっており、水はありません。

 

浪岡城址案内所駐車場

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まずはこちらの浪岡城址案内所に立ち寄りましょう、ここでスタンプと散策

マップが手に入るからです。(緯度経度:40.717712, 140.607607 )

尚、この他にもスタンプと御城印、両方が手に入る「青森市中世の館」という

施設もあります。

(〒038-1311 青森県浪岡大字浪岡字岡田43 ℡0172-62-1020 )

 

城址入口

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浪岡城址案内所を北へ進んで行くと、こちらの城址公園入口へと到着します。

 

猿楽館

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散策ルートを辿ると、最初に通過するのがこちらの「猿楽館」となります。

かつてここに「能舞台」があった可能性があるそうです。

 

東館

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パンフレットによると、浪岡城落城後に臨時で津軽為信の弟が「代官」として

いた場所とされています。

 

 

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東館の東側切岸の写真となります、なかなかの高さと角度なんですが、この

部分は草刈りが行われていないので、こんな感じです。

ここの切岸は結構良い感じなんですが…。

 

中土塁

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 外郭と北館との堀の間に設けられた土塁の通路みたいなやつ。

これにより堀が二重になり、敵がこの中土塁に来ると両側の郭から攻撃される

仕組みになっているそうです。

 

中土塁から北館へ

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中土塁は戦闘時、防御の施設として機能していましたが、平時の時は各郭間を

移動する際の通路として使用されていたと考えられています。

 

 

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浪岡城主の家臣達がここに住み、武家屋敷や工房などをつくっていた場所と

なります。

説明看板があったので見てみましょう↓

 

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たしかに、ここに建物や塀が乱立していたら方向感覚を惑わされそうです。

北館の想定復元模型の写真があったので、見てみましょう↓

 

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よく見ると隣の郭へと行けそうなのに、「じつは行き止まりでした」的な通路が

何本もありますね。

 

西舘へ

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写真を見て分かるように、郭と通路の部分は草が刈られているのですが、堀の

部分に関してはまったくの手付かずで草ボウボウです。

(城域が広いから仕方ないのですが…)

 

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堀の草丈が郭の高さを上回っています、この草が無ければ郭と堀の姿がよく

分かるのですが…。

 

西舘

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パンフレットには「調査していないので、何があったのかわかっていません」

とあります。(まあこれだけ敷地が広ければ仕方ないですよね…)

 

中土塁を移動し内館へ

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写真右側が堀をはさんで西舘、写真左側が堀をはさんで内館となります。

 

内館南側の切岸

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場所は鳥観図の①となります。

草でよくわかりませんが、なかなかの切岸な感じです。

 

内館西の坂虎口

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ここ内館は城主の居館があったとされており、城の本丸に相当します。

この西側の虎口は郭に対して坂になっている " 坂虎口 " となっています。

場所は鳥観図の②となります。

 

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こちらが内館の郭で、東西約110~120m、南北約70~80mの規模の郭となり、

発掘調査の際には武器類や土器、陶磁器などが数多く出土しました。

 

 

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青い空、芝生のような綺麗な地面。

この位、堀や切岸が綺麗だったなら、どんなに素敵な城跡だっただろうか?

 

内館南側の切岸

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内館南側の切岸となります、とにかく堀と切岸はまったくの手付かずで草が

伸び放題となっています。(ここが見たいんですよっここがっ!)

これ以上言うと悪口や愚痴の類になってしまうので、この位にしておきます。

 

下城

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以上で浪岡城の散策は終了、青森県とはいえ9月はまだまだ暑いですね。

とにかく緑の草木が元気な浪岡城でした。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所:浪岡城址案内所・青森市中世の館。

スタンプの状態" " 屋内管理なので状態良し。(中世の館)

スタンプの印影:北館ですね。(個人的には中土塁と二重堀がよかったな)

 

御城印

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御城印販売場所:青森市中世の館。

御城印のサイズ:通常サイズ。

御城印の値段¥:一枚300円。

 

浪岡城

見所ポイント:八つの郭群、中土塁二重堀、切岸、坂虎口、等。

駐車場:浪岡城址案内所駐車場(24台)緯度経度:40.717712, 140.607607 

総評:ここ浪岡城は戦国期よりも前となる、中世の時代(15世紀半ば)の城館で、最盛期には「浪岡御所」と尊称されるほどの中世城館でした。

往時、水堀と土塁で区画された8つの曲輪群に、中土塁を設け水堀を二重堀にするなどとても興味深い縄張特性を持ち、その縄張が現在でもよく確認できる状態で今日に至ります。

こんなにも広大で、特殊な二重堀を持つ中世城館は珍しいと思うので、週末辺りに訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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