みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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鳥越城登城!続日本100名城 8城目 白山麓一向一揆の軍事拠点~其の二(完)

鳥越城

別名: 別宮城(べつくう じょう)

所在地: 〒 920 - 2361 石川県白山市三坂町

城地種類: 山城

築城年代天正8年(1580)以前

築城者: 鈴木出羽守(すずき でわのかみ)

主な関連施設白山市立鳥越一向一揆歴史館(スタンプ設置場所)

文化財史跡区分: 国指定史跡

櫓門

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。石川県からは " 鳥越城 " が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、今回行った鳥越城を登城 8城目とします。

鳥越城概要:

加賀一向一揆の軍事拠点の一つとして鈴木出羽守が築城したと伝わる。天正元(1573)8月には織田信長が浅井氏・朝倉氏を滅ぼし、一揆衆は強大な織田軍団と対峙する事になる。織田軍団は天正4年(1576)までに越前一国を平定するが、一揆衆は能登に侵攻してきた越後の上杉謙信と結んで徹底抗戦する。だが、謙信の病没や石山本願寺の降伏を経て、天正8年(1580)に城は落城。その後も一向一揆は抗戦したが、天正10年(1582)には最後の抵抗も鎮圧され、加賀一向一揆は壊滅した。と、手元の資料に書いてあります、壮絶な戦いがここ鳥越城で繰り広げられていたんですね。

枡形門

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前回の「其の一」では駐車場から後二の丸下をとおり、後三の丸、

枡形門をくぐり本丸までをリポートしました。

今回「其の二」ではその本丸跡から続きをリポートします。

 

本丸跡

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確か7年前に来た時には、本丸にこのような石版は無かったと記憶して

います。少しづつではあるが、城跡が整備され良くなっていく、喜ばし

いかぎりです。

 

本丸からの眺望

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ここ本丸は風が勢いよく吹くので、どんなに暑い日でも最高に気持ち

良い。(冬は寒そう)

 

 

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まわりを自然に囲まれ、現代でもご覧のとおりの景色なので城跡はとて

も雰囲気に満ち溢れています。

 

井戸跡

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こんな山頂に水が出るのか? 深さはどの位あったのか? その辺の説明

は無いのでとても気になります。(今後に期待)

 

望楼台跡

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確かにここからの見晴しはとても良いので、必然的にこの場所に建て

られたんでしょうね。(ここも説明等は無し)

 

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こちらが望楼台からの景色です、ここに建物があり、その上から見れば

さぞかし良い眺めであったであろうと容易に想像がつきます。

 

 

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先程のポジションから右を向くと、この風景が目にとび込んできます。

青い空、草木の緑、心地よい強めの風……。(幸せだなぁ~)

 

中の丸から

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中の丸から本丸方面を見ます、城柵が良い感じで雰囲気でてます。

 

中の丸門

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よく出来ているので、とても雰囲気があります。

 

隅櫓跡

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発掘調査によると、どうやらこの隅櫓は織田方によって建てられた櫓

の跡ではないか?との事らしい。(枡形門の石垣もそうらしい)

 

二の丸

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先程の門の南東に位置するのが、こちらの二の丸です。

 

 

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二の丸の南東端にある、隅櫓跡です。

 

土橋

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二の丸をさらに南東へと進み、三の丸の南東端へ。ここには堀切があり

この土橋を渡ってさらに進む事ができます。

 

堀切

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この様な感じで尾根切してあります。(経年劣化で浅くなっています)

 

 

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草が無ければ形がはっきりと分かるのに…。

 

後二の丸

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ここで本丸とは堀切で分断されている後二の丸に向かいます。

詳細は写真に書いてあるとおりです。

 

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本丸側から見た、堀切で隔てられた後二の丸です。

 

後二の丸から

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後二の丸から見る、本丸北東部分の " 切岸 " です。

それにしても草が元気ですね、山城はやはり秋冬に来るべきです。

 

後三の丸

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この右手の上が後三の丸となります、正面奥へ進むと後三の丸の北西

端にある堀切があります。高さ勾配ともに文句なしの薬研掘の堀切が

あるのですが、当日は猛暑のため生憎の短パン姿、悔しいですが諦め

ました。

 

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その後三の丸の説明がこちらです。

(ここの堀切を下から間近で見たかった)

 

鳥越一向一揆歴史館

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続100名城のスタンプはこちらの「白山市立鳥越一向一揆歴史館」に

置いてあります。ちなみに館内は無料ゾーンと有料ゾーンに分かれて

いるので注意が必要です。

 

認定証

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スマホで撮ったら見事にピンボケでした。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所白山市立鳥越一向一揆歴史館(月曜休館日)

スタンプの状態: " " 新しくて、屋内管理なので状態は良い。(2018.7.現在)

スタンプのデザイン:定番ショットの印影となります。

鳥越城

見所ポイント: 本丸、中の丸、二、三の丸、後二、三の丸、枡形門跡、堀切、腰曲輪、

駐車場: 鳥越城専用駐車場15台程度

総評: 標高312mの山頂部に築かれた城は眺望に優れ、隅櫓や薬研掘などの中世山城の防御施設の跡が随所に残る。近接する一向一揆歴史館では、一揆勢と織田軍の激しい戦闘を物語る資料などが展示されている。と、手元の資料に書いてあります。

山城の規模としてはそれ程大きくはありませんが、南東~北西に細長く尾根づたいに展開される縄張は自然の地形をそのまま最大限に利用した効率の良い構造になっている感じがしました。各曲輪を堀切で分断し、ほどよい感じの高さと角度の切岸でこれまた曲輪を取り囲んでいます。決して難攻不落的な強固な山城ではないですが、城好きを魅了する不思議な魅力に満ち溢れています。こんな魅力と自然に満ち溢れた鳥越城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥越城登城! 続日本100名城 8城目 白山麓一向一揆の軍事拠点~ 其の一

鳥越城

別名: 別宮城(べつくう じょう)

所在地: 〒 920 - 2361 石川県白山市三坂町

城地種類: 山城

築城年代天正8年(1580)以前

築城者: 鈴木出羽守(すずき でわのかみ)

主な関連施設白山市立鳥越一向一揆歴史館(スタンプ設置場所)

文化財史跡区分: 国指定史跡

本丸枡形門

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。石川県からは " 鳥越城 " が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、今回行った鳥越城を登城 8城目とします。

鳥越城概要:

加賀一向一揆の軍事拠点の一つとして鈴木出羽守が築城したと伝わる。天正元年(1573)8月には織田信長が浅井氏・朝倉氏を滅ぼし、一揆衆は強大な織田軍団と対峙する事になる。織田軍団は天正4年(1576)までに越前一国を平定するが、一揆衆は能登に侵攻してきた越後の上杉謙信と結んで徹底抗戦する。だが、謙信の病没や石山本願寺の降伏を経て、天正8年(1580)に城は落城。その後も一向一揆は抗戦したが、天正10年(1582)には最後の抵抗も鎮圧され、加賀一向一揆は壊滅した。と、手元の資料に書いてあります、壮絶な戦いがここ鳥越城で繰り広げられていたんですね。

登口

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ここ鳥越城は車で、本丸に隣接する後二ノ丸の近くまで行く事が出来ま

す。山の麓にある城の入り口にこちらの石柱があります、ただこの道は

あくまでも車道な感じで本来の登城口(登城道)かどうかは分かりませ

んでした。

 

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石柱のとなりにこの様な説明看板があります、7年前に来た時には確か

無かったと記憶しています。

 

縄張図

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こちらが現地にあった鳥越城の縄張図です。

本丸を中心に南北に長く展開する構造となっています。

(写真左側が北)

 

駐車場

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奥に見えるのがトイレで砂利の部分が駐車スペースとなっています。

この辺りは7年前とまったく同じで変化なしとなっています。

 

あやめが池

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草がうっそうと茂り池なのかよく判りません、説明看板があるので見て

みましょう。

 

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湧水がたまり池みたいになっているんですね。

 

後三の丸

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この細い道を進み後三の丸へと行きました。

北側の端までいくとかなり高低差がある薬研堀になっており見事でした

が、草が生い茂り短パンだった自分は近寄る事が出来ませんでした。

 

後二の丸

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本丸の北側に隣接する腰曲輪で後二の丸と呼ばれている曲輪の切岸です。

写真右側にあるへこんでる部分が横堀となっています。

 

 

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草が元気よく生えているので若干見ずらいですが、横堀&切岸です。

やはり真夏の時期は避けるべきですね。

 

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この辺りの風景も7年前と何ら変わっていない感じです。

それにしても暑い…。この日も36~37℃あり、頭がクラクラします。

 

礎石建物跡

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説明の書いてある石版の辺りが、無残にも掘り返されていました。

あのほじくり返した感じは、おそらく " 猪 " が犯人だと思われます。

猪よ、遺構を破壊するのはやめてくれ…。

 

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こちらが先程の礎石建物跡の説明看板となります。

 

鳥越城本丸

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いよいよ本丸へと到着です、枡形門の両サイドはこのように石垣が

積まれています。

 

枡形門

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石垣造りの長方形の区画になっており、高麗門と櫓門を喰違に配置する

事で鉤の手に折れ、侵入してきた敵に横矢を掛ける事が出来る造りと

なっています。

 

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枡形内部から門を見てみます、正直に言うとやや防御力が弱そうな感じ

の門に見えるのですが…。(復元なのでしょうがないかな)

 

櫓門

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こちらの櫓門はとても良く出来ている感じで、雰囲気がでてます。

この様な復元は城跡の雰囲気がグッとあがるので、どんどん復元して

もらいたいものです。

 

出土品

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本丸からは色々な物が出土したんですね、発掘調査を担当した方々へ

「大変な作業お疲れ様でした、そして有難うございます」。

 

鳥越城跡主要遺構図

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本丸内にあった縄張図です、現在見る事ができる遺構が記載されてい

ます。なるほど、草が無い時期に来れば色々と楽しめそうです。

 

本丸

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パッと見渡すと各所に石版の説明版がある事に気が付く。

確か7年前には無かったはず…、城跡が確実に整備されている。

嬉しいかぎりだ。

 

振り返ると…。

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先程の場所からふと、後ろを振り返ると…。

何とも雰囲気に満ち溢れた風景が広がっているではありませんかっ!

往時、一揆衆達も本丸からこの様な風景を目にしていたのだろうか?

などと感慨深く物思いにふけってしまいました。

 

本丸東端

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天気も良く風が気持ちいいので、本丸外周を歩きました。

この日は最高気温が36~37℃あったのにこの場所(本丸)だけは風が

吹き、見晴の良さも手伝ってか最高に気持ち良かったです。(冬は寒そう)

 

堀切

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本丸と後二の丸を隔てる堀切です、なかなかの堀切具合でとても満足

な感じにしてくれます。往時は木橋で繋がっていたのかな?

 

本丸眺望

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ここ鳥越城は標高約312mの丘陵先端部(東西約400×南北1200m)を

利用して築かれています。現在でも周辺地域は自然に囲まれていて、

現代感があまり感じられず、とても雰囲気が出ています。

其の一(終)

鳥越城

見所ポイント: 本丸、中の丸、二、三の丸、後二、三の丸、枡形門跡、堀切、腰曲輪、

駐車場: 鳥越城専用駐車場15台程度

中間報告:ここ鳥越城 は加賀国山麓一向一揆の軍事拠点として築かれた山城で、城を構成する6つの曲輪は山の地形の高低差を利用して配置されています。発掘調査によって多くの遺構が確認されました。と、手元の資料に書いてあります、まさにその通りで

山の地形と高低差を巧みに利用し、堀切や切岸、各種土塁をもって防御とし、コンパクトにして上手に縄張が構成され築城されていると感じます。白山麓門徒宗たちの最後の砦として徹底抗戦すべく城の各防御施設が造られていったと思います。自然に囲まれ、自然と共に生きてきた彼等だからこそ、この自然の地形を最大限に利用した山城がこのような形で完成したのではないでしょうか。

其の二へつづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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