みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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長篠城登城! 日本百名城33城目 2011.1.22

長篠城

別名: ナシ

所在地: 〒441-1634 愛知県新城市長篠字市場22-1

城地種類:平城

築城年代: 永正5年(1508)

築城者: 菅沼元成

文化財史跡区分: 国指定史跡

案内看板

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連休が取れなかった為、休日1日で愛知県のお城(日本百名城)

3城を制覇する旅に出掛ける事にしました。

愛知県3城目、最後のお城はここ、" 長篠城 " へ。

長篠城概要:

永正5年(1508)に土豪菅沼元成が宇連川と寒狭川の合流点の断崖上築城した。

ここは2つの川が堀となり、断崖が城壁となる天然の要害の地となっている。

菅沼氏は武田氏の支配下に入ったが、のちに徳川家康が城を奪い大改築した。

天正3年(1575)家康の家臣奥平貞昌が城主のとき、武田勝頼軍が城を包囲し落城寸前まで追い込んだが、織田・徳川連合軍が駈け付けて城を死守した。

(手元の資料より引用。)

牛淵橋から

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宇連川(右)と寒狭川(左)の合流地点の断崖絶壁に築かれて

いた長篠城、合流地点の川幅は50mにも及びます。

 

強右衛門磔刑の図

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武田軍に包囲されているなか、兵糧庫を焼失し、落城寸前の長篠城

城主奥平貞昌の命を受け城を脱出、岡崎へ行き徳川家康織田信長に救援を求め快諾を得たが、城に戻る途中城外で武田軍に捕らえられて磔刑となりました。

 

 

説明看板

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援軍はあと二、三日で来る。それまでの辛抱である」と、自分の命と引き換えに城内の兵たちに援軍が来る事を伝え城兵達の命と士気を守ったこの一連の行動。

なかなか出来る事ではありません。

 

本丸跡

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城内に入るとすぐに本丸跡に到着します、この石碑のすぐ裏に

線路があり電車が走っています。

良く見ると石垣の跡が見えます、この辺りをもっとよく見ておくべきでした。

 

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所:長篠城址史跡保存館窓口

スタンプの状態: " 普通 " 下部がややかすんでいます。

 

ご当地B級グルメ

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豊橋市の観光コンベンション協会が、地域おこしを目的として、地元の麺類組合に開発を依頼して出来上がったのが「豊橋カレーうどん」です。

豊橋カレーうどんを名乗るために必要なルール5ヵ条が定められています。

① うどん麺は自家製麺とする。

② 器の底から、ご飯、とろろ、カレーうどんの順に盛る。

③ 日本一位の生産量を誇る「豊橋産のうずら卵」を具に使用する。

④ 神漬けまたは壺漬・紅生姜を添える。

⑤ 福愛情を持って作る。

感想としては最初はカレーうどん、その後雑炊感覚のとろろご飯、と二種類の風味を堪能でき、最後まで飽きることなく食べる事が出来ます。

ボリュームもあり、物足りなさを感じる事はありません。

長篠城

見所ポイント: 主郭、野牛郭、土塁、堀、牛淵橋から見る長篠城

駐車場:長篠城址史跡保存館横(50台)無料。

総評:主郭北側に残る巨大な土塁と深い堀をはじめ、城内に巧みに配されていた曲輪の痕跡を歩いて確かめたい。また対岸からは激戦に耐えた城跡の地形が実感できる。

と、手元の資料に書いてあります、残念ながら巨大な土塁と深い堀は見逃しました。

次回登城時にリベンジするつもりです。

対岸の牛淵橋から見る長篠城全景は、武田軍の猛攻に耐え抜いた長篠城の要害ぶりがよく見てとれる為、是非とも訪れてもらいたいポイントでもあります。

時間がある方は設楽原歴史資料館や設楽原古戦場等もおススメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡崎城登城! 日本百名城32城目 2011.1.22

岡崎城

別名: 龍城

所在地: 〒444 - 0052 愛知県岡崎市康生町 561

城地種類: 平山城

築城年代: 1455年頃、  1591年頃

築城者:  西郷氏、   田中吉政

天守の現況・形態:層塔型 三重五階 鉄筋コンクリート

文化財史跡区分:市指定史跡、県指定文化財1点

岡崎城

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連休が取れなかった為、休日1日で愛知県のお城(日本百名城)

3城を制覇する旅に出掛ける事にしました。

愛知県2城目はここ、" 岡崎城 " へ。

岡崎城概要:

岡崎城は1455年頃に土豪の西郷頼嗣(さいごう よりつぐ)が創築し、家康の祖父

松平清康が享禄4年(1531)に改築を行う。その城で天文11年(1542)松平竹千代

徳川家康)が生まれた。幼くして今川氏の人質となった家康だが、桶狭間の戦い後は

岡崎城に戻り、ここを拠点に三河を統一した。家康が浜松城に本拠を移すと子の信康が入り、信康の自刃後は城代が置かれた。

家康が秀吉によって関東に移されると、田中吉政が入り総構の堀を築いた。

関ヶ原の戦い後は徳川氏の聖地として重要視され、譜代大名親藩が城主となった。

元和3年(1617)には三重三階、付櫓と井戸櫓を付属した天守が築かれた。

明治初期に天守は取り壊されたが、昭和34年(1959)に再建された。

手元の資料より引用。

大手門

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駐車場に車を停め歩き出すとすぐに「大手門」がお出迎えします。

門の近くに説明看板(石版)があり、このように書かれていました。

「この大手門は、岡崎公園の表玄関にふさわしい建物として建設したものです。
 本来の岡崎城大手門は、現在の浄瑠璃寺の南(北東約二〇〇メートル)にありました。江戸時代の記録によれば大手門は「桁行十間、梁行二間四尺」でした。」

 

青海堀

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本丸北面の防御のために設けられた空堀で、城内でもっとも深い堀です。

 

天守裏側

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天守入口の側(表とします)の丁度真裏に来ました、ここには写真の右下部分に

石で出来たアーチ橋があります、天守への連絡橋との事。

 

家康しかみ像

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武田信玄に三方ヶ原で大敗した家康は、絵師を呼び、あえて顔をしかめた姿を描かせて、自らへの戒めとして生涯座右にした。

と、一般的に広く知られていますが史科学的にはまったく根拠がないとの事。

でも個人的には「教訓」の大切さを学ぶという観点からも、三方ヶ原で大敗した時、

絵師に描かせたと言われる「徳川家康三方ヶ原戦役画像」(しかみ像)の方が

なぜかしっくりときて好きです。

 

銅像

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この天守のある本丸付近は神社が管理しているのか?

神社関連の建物等が目立ちます。

岡崎城が未だに市指定史跡のままなのはこの辺りが関係しているのか?)

 

RC造の天守

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明治初期に取り壊された天守ですが、昭和34年(1959)

に鉄筋コンクリート造りで再建されました。

それにしても天守の前にある二本の松の木、いらないと思います。

 

天守からの景色

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ここ岡崎城天守からの景色はあまり高さを感じ無いせいなのか

" 眺望 " とまでは思いません。

 

縄張り図(模型)

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岡崎城の往時の姿がこの模型のとおりなら、どんなに素晴らしい城であった事か。

残念ながら現在においては遺構はあまり残っておらず、正直残念で仕方ありません。

 

豊川稲荷

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岡崎城を後にし、一度行ってみたかった " 豊川稲荷 " へ。

 

ご当地B級グルメ

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豊川稲荷のいなり寿司

現在豊川市では、いなり寿司の上に愛知県名物のみそカツを載せたものや、鰻の載せたものなど、創作いなり寿司も多くのお店で販売しています。また、いなり寿司を地域ブランド化し、全国に豊川市を知ってもらうため、まちおこしボランティア団体

「豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」が結成されました。

写真左は「おきつねバーガー」で右下にあるのが「山葵いなり」です。

この山葵いなりが超おススメです!めちゃくちゃ旨いです。

ここで食べました↓

http://www.okitsune.net/

スタンプ押印

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スタンプ設置場所天守1階

スタンプの状態: " "  少し力んでしまい強く押しすぎました。

岡崎城

見所ポイント:青海掘、坂谷門跡、切通し、

駐車場:岡崎城公園専用駐車場有料 30分毎100円 

総評:東照公産湯井戸や東照公えな塚、門跡に残る石垣などからは、家康生誕の城の

雰囲気を味わう事ができる。本丸北側の青海堀は城内でもっとも深く迫力がある。

と、手元の資料に書いてあります。まったくそのとおりでございます。

岡崎城は関東でもそれなりの大きさを誇る規模でしたが、明治6年(1873)の廃城令によって廃城となりました。城内のほとんどの建物が払い下げられ、現在は一切の建物を失い、本丸と周辺にわずかばかりの石垣、堀などの遺構を残すのみです。

もし往時のままの姿を今現在でも保っていたならば、どんなに凄くそして素晴らしかった事か、現在のほとんど遺構が残っていない状況はとても残念で仕方ありません。

家康公の思いと人生が詰まったこのお城、岡崎城を一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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