一宮城
別名:無し。
城地種類: 山城。
築城年代:1338年(暦応元年)。
築城者:小笠原長宗。
主な関連施設:登城口説明版(スタンプ&散策マップ)。
文化財史跡区分: 県指定史跡。
三段の石積み
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました。徳島県からは 勝瑞城とここ” 一宮城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 一宮城 ”をもって続日本100名城、登城50城目とします。2022.12.31.登城。
一宮城城概要:
南北朝時代に一宮氏が築いたとされる城で、鮎喰川南岸にある東竜王山系の尾根先にある中世の山城となります。1582年(天正10)に長宗我部氏が阿波を支配すると一宮氏は滅ぼされます。その後1585年(天正13)に豊臣秀吉の四国平定に伴い蜂須賀氏が一宮城に入りますが、翌年には徳島城へと移りここ一宮城は徳島城の支城の一つとされます。その後、江戸時代に入り一国一城令により廃城となりました。
一宮城の専用駐車場
「旅館かどや」さんの前に一宮城の専用駐車場が出来ています。キレイに停めれば10台程度駐車可能な感じです。一宮城Pの看板を左折して少し進むと左手に登城口があります。
一宮城案内図
元々あった山城と後から足された城域とで、かなりの規模の山城となっています。
登城口
写真右手のポストの中に続100名城のスタンプが入っていて、簡単なパンフレットもこちらで入手する事ができます。
倉庫跡
この城には倉庫跡が二カ所あったとされており、平時には穀物や武具等を保管していたと考えられています。この二つの倉庫も焼け落ちてしまったらしく、ここからは炭化麦が検出されています。この少し先に竪堀があったので見てみましょう↓
ここ一宮城は竪堀の数はあまり存在しませんが、所々に点在するので見つけてみてください。
才蔵丸~明神丸間の堀切
案内図にも書いてある城域東側の区域となります。北側の尾根から侵入してくる敵兵を迎え撃つ二つの曲輪、その間を隔てる大堀切として機能しています。
才蔵丸
ここ才蔵丸は東端の曲輪となります、思っていた以上の広さがありました。ここから明神丸脇を通り、小倉丸を目指して進みます。(見所の本丸は最後にとっておきます)
本丸南・連続曲輪の大堀切
場所は案内図の①となります。ここは本丸と小倉丸間の通路を守る4つの曲輪の丁度真ん中にある大堀切で、ここ一宮城において一番大きいサイズの堀切となっています。
このまま南へと進み小倉丸を目指します↓
小倉丸
この城域において南端(本丸から見ると南西)の曲輪で、こちらもそこそこの広さがあります。主に南側と西側にこのような土塁が巡らされており、櫓台とされる部分もあります。
ここ小倉丸から見える景色がこちら↑。基本的に草木が生い茂っているのでこれが限界。ここから北へと進み、水の手丸へと進みます↓
水の手丸
ここ水の手丸は読んで字のごとく、水の手を守るために存在する曲輪だとされています。実際にここから貯水池と陰滝は目と鼻の先になります。
ここ水の手丸にも囲み土塁がありますが、こちらの土塁は高さが低い構造となっています。ここから東へと下りていくと貯水池があります、早速行ってみます↓
貯水池
往時はここに堤(土塁)を築いて巨大な池を造り、水を確保していたと考えられています。現在はその堤があったとされる部分は解放されているので、水はそのまま陰滝へと流れていきます。では、その「陰滝」と呼ばれる滝を見に行きましょう↓
謎の石仏
陰滝に辿り着くとこちらの石仏が目に留まりました。よく見ると、とても不思議で可愛らしい感じがします。いつ誰が、どの様な目的で作ったのだろうか?
陰滝
貯水池はこの上にあり、貯水池は四方向をしっかりと守る構造になっています。まず、南側は小倉丸、東側は本丸から続く段郭に、西側は水の手丸、そして北側はこちらの陰滝(切り立った断崖)によって全方向を守られています。こちらの陰滝部分がいかに北側の防御に役立っていたか、動画でその様子を確認してみましょう↓
陰滝の動画
これだけ要害なら、北側の守りは固いですね。これで城西側の散策は終了、来た道を戻り本丸へと向かいます↓
一宮城・本丸高石垣
本丸南側の横矢が掛かっている高石垣となります。さっきまで土の山城の様相を呈していたのに本丸に来た途端、一気に近世城郭の顔を見せてきます。
一宮城で石垣があるのはここ本丸のみで、ここの高石垣は1585(天正13年)に入城した蜂須賀氏によって築かれたと云われています。
本丸東の虎口前に設置されている説明看板となります。
本丸虎口
本丸の虎口部分で、折れを伴わない平虎口となっています。両脇が突き出る形の石垣が特徴的で、おそらく櫓門でこの虎口を守っていたのではないでしょうか?
いいですね、この地方独特の横に線が入っている緑色片岩が徳島を感じさせます。
本丸西側へ
本丸の石垣周辺をぐるりと回れるみたいなので、このまま北側~西側へと進んで行きます。
本丸西側
素晴らしいの言葉しか出てきません…。この先に土留めの石積があるので見にいきます↓
土留めの三段石積
本丸の西側斜面は急傾斜地となっており、この部分が崩落すると本丸石垣にも影響を及ぼすので、石積みでしっかりと土留めの補強がなされています。こちらの三段の石積み部分に転用石が使用されていました↓
転用石
転用石① 割った痕跡があるので、元々は長方形の石材だったと思われます。
転用石② こちらが二つ目の転用石で、表面にハツリ仕上げの化粧が施されています。
転用石③ こちらが三つ目の転用石です。他の石材とは色も表面も全く違います、簡単に見つかると思うので皆さんも探してみてはいかがでしょうか。
本丸跡
本丸の大きさは東西約36m、南北約23mの不等辺三角形の形をしています。山頂の一番高い所にあり、特に北側の眺望はかなり良いので見てみます↓
本丸眺望
標高約140mの山頂(本丸)からの眺望となります。ここは整備が行き届いているので、お弁当持参で来ても良いかもしれません。
下城
これで一宮城本丸の散策は終了、階段を下りて来た道を戻る事にしました。
本丸高石垣の動画
下城する際にせっかくなので、本丸の高石垣を動画に収めてみました↑。これで一宮城を下城し、次の城へと行きました。
一宮城ログ
時間:2時間22分。広大な城域なのと、見所が多いのとで、2時間以上かかりました。
距離:3km、南城と北城の城域が広大なので、結構歩きます。
標高・比高:標高は140m、比高は115m(麓の専用駐車場からの比高)。
広域
鮎喰川南岸の尾根先に築かれ、北と東に走る街道を監視できる位置に築城されています。
阿波・一宮城
見所ポイント:本丸、高石垣、堀切、竪堀、陰滝、貯水池、眺望、各曲輪、等。
駐車場:「旅館かどや」さんの前に専用駐車場あり(7~10台程度)。
総評:現在の徳島県徳島市に位置しており、鮎喰川南岸の東竜王山系の尾根先に築かれた山城。南城と北城の二つの城域からなる広大な城域に多数の曲輪が存在し、堀切や竪堀、土塁等で各曲輪を防御しています。また水の手丸周辺の池や滝もとても貴重なもので、本丸の高石垣と同様にとても見応えのある遺構となっています。こんな見所満載の広大な山城 ” 一宮城 ” に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。