大多喜城
別名:小田喜城。
所在地:〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481 。
城地種類: 平山城。
築城年代: 1521(大永2年)。
築城者:真里谷信清 。
主な関連施設:千葉県立中央博物館大多喜城分館、大多喜町観光協会。
文化財史跡区分: 県指定史跡
大多喜城(模擬天守・復興天守)
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました、千葉県からは ” 本佐倉城 " そしてここ” 大多喜城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 大多喜城 ”をもって続日本100名城、登城40城目とします。
2022.3.21.登城。
大多喜城概要:
場所は現在の千葉県夷隅郡大多喜町になります。真里谷信清が1521年(大永2年)に築いた小田喜城を元に、本田忠勝が改修したと云われているのが、ここ大多喜城とされています。その後多くの城主が入れ替わり、約280年余り続いた大多喜藩と大多喜城も1871年(明治3年)に廃城となりました。
駐車場
こちらの大多喜城下駐車場は今まで有料でした。ですが、千葉県立中央博物館大多喜城分館が施設改修工事で休館しているため、令和4年2月1日より当分の間無料となっています。
駐車場の一角に何やら祀ってあるので近寄ってみました。何でも大多喜城の石垣の石らしい…。
大多喜城説明看板
施設改修工事で、模擬天守内部がどの様に変更されるのかとても楽しみですね。ここで駐車場から東へと進み本丸を目指します↓
出曲輪の城塁
駐車場から東へと進んで行くと、本丸の西側に細長く小さな突き出た曲輪があります。その城塁がこちら↑。
やけに堆積物が多いな…。道路建設などで色々と手が加えられているのでしょうか?
こちらの公園は「二の丸公園」と名が付けられています。
何かある!
出曲輪と本丸は堀切で仕切られていて、本丸の西端から南側を覗き込むとご覧の通り、横堀と土塁らしき物が見えます。残念ですが、現時点では立入禁止となっているので確認できません。
本丸(模擬天守・復興天守)
大多喜城には天守となる " 御三階櫓 " があったとされていますが、1842年(天保13年)の火災で焼失しています。実はここ大多喜城の天守に関しては諸説あり、天守が存在していれば現在の建物は復興天守(正確な復元には当たらないため)になり、また天守が無かった場合は模擬天守となります。
本丸の土塁跡
こちら↑は本丸の南側にある、囲み土塁となります。本丸の西~東へと展開しています。
パンフレットや資料には、こちらの土塁に関する記述が見当たらない。現存する土塁だとしたら貴重なものだと思うのですが…。
ここで本丸を東へと進み、現在大多喜高校がある二の丸方面を本丸から見てみます↓
本丸から東(二の丸方面)を望む
本丸の東、現在大多喜高校がある場所が二の丸で、ここに大井戸と移築された薬医門があります。大井戸が見えますね、近くに説明看板があったので見てみます↓
薬医門説明版
1871年(明治3年)の廃城時にほとんどの建物類が取り壊されてしまったので、こちらの薬医門はとても貴重な建物となります。
大井戸説明版
深さ20mに対してあの水の量は凄いですね!このあと実際に見に行きましたが、本当に井戸の上部まで水がありました。さっそく大井戸を見に行きます↓
大井戸
往時、城内に三十数個もの井戸があったとされています。井戸はそんなに必要だったんでしょうか?必要だったんです、きっと…。
薬医門
こちらが大多喜城唯一の現存する建物、「薬医門」となります。門の右手に説明看板があったので見てみます↓
なるほど、一度解体して保存していた物を再び建造されたんですね。
使用されている木材も年季が入っています。
二の丸と三の丸の境目がこの辺りになると思います。(間違っていたらスミマセン)
大手門方面
この方向(東)に大多喜駅があり、その近辺に大手門があったとされています。ここで本丸の南側に流れる夷隅川沿いに歩いて、本丸の西側まで行き、そこから駐車場へと帰る事にしました。
本丸の南側はこのように現在は道路が走っているので、遺構はありません。写真左手には夷隅川が流れています。この道路沿いに夷隅川に関する面白い説明看板があったので見てみましょう↓
御禁止川
むらさき色の鯉ですか…あまり美味そうな感じはしないですね。
これが夷隅川となります、なかなかの水量と川幅となります。この先でこれまた面白いものを見つけたのでご紹介↓
こちらの浄水場、名前が良いですね!これで大多喜城の散策は終了、このまま駐車場まで歩いて行き次の城へと向かいました。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:本来は大多喜城分館(天守)、改修工事中は大多喜観光協会。
スタンプの状態: " 普通 " 陰影が少しかすんでいます。
スタンプの印影:言わずもがな。
御城印
御城印のサイズ:通常サイズ。
御城印の値段¥:一枚300円。
デザイン概要:
上部に本田家の家紋(立葵)、下部に明治維新まで城主であった大河内松平氏の家紋(三つ扇)を配しています。真ん中にある梵字は、「地蔵菩薩」「阿弥陀如来」「聖観音菩薩」をそれぞれ右から梵字として配しているそうです。因みに本田忠勝が所持していた名槍、" 蜻蛉切 " の槍先にはこの梵字が刻まれていました。と、御城印の説明紙に書いてありました。
上総・大多喜城
見所ポイント:本丸、二の丸、大井戸、薬医門、大多喜水道跡、土塁、堀、等。
駐車場:大多喜城下駐車場。
総評:1590年(天正18年)に秀吉が小田原を平定すると、徳川家康が関東へと移されます。この時夷隅郡が本田忠勝に与えられ、忠勝が小田喜城を改修して現在の大多喜城を完成させます。現在ではほどんど遺構は遺っていませんが、往時の曲輪や堀の名残を見ることはできます。時間がある方は、三の丸やその周辺の城下などを散策してみるのも良いと思います、こんな本田忠勝が愛したであろう大多喜城と城下町へ、週末あたり訪れてはいかがでしょうか。