高天神城
別名:鶴舞城(かくぶじょう)、土方城。
城地種類: 山城
築城年代: 不明(16世紀初頭には存在していた?)
築城者: 不明
主な関連施設:大東北公民館(スタンプ設置場所)
文化財史跡区分: 国指定史跡
井楼曲輪の堀切
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表
しました、静岡県からはここ " 高天神城 " と 興国寺城 、諏訪原城、浜松城が
選ばれました。
スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の高天神城
をもって続日本100名城、登城 28城目とします。
高天神城概要:
築城年代に関しては諸説あります、16世紀初頭に今川家臣の福島正成が高天神城の城主になったといわれています。
遠江土方にある鶴翁山(標高132m)に築かれた山城で、遠江における重要な拠点であったことから武田家と徳川家の間でこの高天神城を舞台に幾度となく激しい争奪戦がくり広げられました。
東峰と西峰のそれぞれの曲輪群をもって、一つの城として機能する「一城別郭」の縄張をもち、その要害堅固な城は「難攻不落の名城」と呼ばれていました。
1581年(天正9)兵糧攻めにより餓死寸前だった大将以下城兵は、城外へとうって出る
が玉砕し、その後徳川軍により高天神城は焼き払われその後廃城となりました。
高天神城鳥観図
出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/
こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図はとても見やすいですね。
大東北公民館
場所緯度経度:34.703466, 138.047470 。
こちらの建物で続100名城のスタンプとパンフレットを入手できます。
資料は「高天神城物語」「掛川三城ものがたり」の2種類あるので両方貰いま
しょう。
搦手口
ここ高天神城は大手と搦手から登城する事ができますが、大手側の駐車場は
10台程度しか停められないため、搦手側からの登城をお勧めします。
(搦手側は100台以上停められそう)
搦手側駐車場緯度経度:34.700253, 138.035015
搦手本来の道?
搦手門跡を登っていくと左手にこのような場所があります、現在ある道はとて
も登りやすい後から作った登山道の可能性が高く、本来の搦手口はここから
城内へと入っていったのではないか?と思いました。(確証はありません)
三日月井戸
搦手から井戸曲輪へと行く途中にある井戸となります、湧き出るというより
染み出てくるといった感じです。
井戸曲輪
搦手側から井戸曲輪へと入るとこの場所にでます、右(西)へ行くと西嶺へ、
左(東)へ行くと東嶺へと行く事ができます。
尾白稲荷説明看板
井戸曲輪のかな井戸の近くにこちらの説明看板がありました。
内容について、信じる信じないもあなた次第です…。
かな井戸
「名前の由来は不明だが、湧き出る水が鉄分を多く含んでいるためともいわれる。
武田軍が城攻めの際に井戸の水脈を切ったとも言われ、そのためか現在は水が
でない」と、パンフレットに書かれています。
西の丸跡
階段の上に見える " 高天神社 " は城が廃城となるまで城中守護の神社でした。
290年前に御前曲輪跡から現在の場所に移されました。(パンフから転載)
西の丸眺望
標高が100mちょっとなので、抜群の眺望ではないですが周りを警戒するのに
はまったく支障がありません。
馬場平の北東側堀切
西の丸と馬場平の間にある堀切となります、現在は堀切の中を階段を使用して
西の丸と馬場平を行き来する構造となっています。
(そのため堀切は少し埋められていると思われます)
この辺りでは堀切ではなく、" 切割 " というんですね。
せっかくなので堀切を下から見上げてみます↓
明らかに埋められてますね、本来の姿はこんなものではないはずです!
最近、堀切を見るとやたらとドキドキする、沼にはまってきたか…?
馬場平北の横堀
場所が分かりにくいと思うので、鳥観図に印を付けておきました。
①の場所となります。
馬場平
かつては城の南側を見張るための番屋があったところと、考えられています。
とても見晴らしがよく、遠州灘が一望できる場所となっています。
気持ちいいですね、遠州灘は写真右側の奥に写っています。
甚五郎抜道の看板
なるほど、高天神城落城の際に、ここから抜け出して本国の勝頼に報告した
んですね。
横田甚五郎尹松:(よこたじんごろう ただまつ)
下総の浪人、武田氏の家臣となって鬼美濃の勇名を馳せた原美濃守虎胤。
尹松はその孫にあたる。信玄、勝頼に仕え、天正2年武田家の高天神城領有と共に城番となる。天正9年落城時には、城を脱出し甲州へ帰り、武田家滅亡後には家康に仕えて小牧長久手の戦い、関ヶ原の戦い、大坂の陣などに従軍した。寛永年間御旗本奉行となり、同年12年(1635)7月5日、没する。と、パンフレットに書いてあります。
では早速その抜道を見てみましょう↓
なかなかの抜道っぷりに思わず声がでる「おぉ~!」。
馬がよく嫌がらなかったな?(本当は徒歩だったのかも)
犬戻り猿戻り
別名:「犬戻り猿戻り」とも言われており、その難所っぷりは見ての通りです。
道の両脇は険しい崖となっており、落ちれば大怪我間違いなし。せっかくなのでこの道を行けるところまで行ってみます。
さすがは犬戻り猿戻り、道が細いうえに右側は90度の断崖絶壁となっています。
この辺りはとても危険なので、よい子のみんなは近寄らないでください。
この先で普通の尾根道になったので、ここで引き返し二の丸へ進みます。
二の丸へ
西の丸の北側に位置する二の丸へと進みます。
こちらの細長い曲輪が二の丸となります、二の丸と堂の尾曲輪と井楼曲輪の
西側には横堀が展開する防御構造となっています。
袖曲輪
二の丸の北側に馬場曲輪と袖曲輪が仲良く2つ並んで配置されています。
その先の堀切を見てみましょう↓
堂の尾曲輪・南側堀切
堂の尾曲輪の南側にある堀切となります、位置は鳥観図の③です。
せっかくなので、この堀切を横から見てみます↓
幅約9m、深さが約6mあるとされていますが、深さに関してはもっとあった
んじゃないかと思います。
尚、橋脚跡と考えられる穴が発見されていて、木製の橋が架けられていたと
考えられています。
堂の尾曲輪・北側堀切
堂の尾曲輪と井楼曲輪の間にある堀切となります。
ここも堀底が埋まっている感じです。
鳥瞰図の④。
井楼曲輪側から見た堀切となります、せっかくなのでここも横から見てみます。
ここの堀切は、経年劣化で崩れて埋もれかけています。
とても貴重な遺構なので、修復などを考えてもらいたいですね。
今回はここまで。
其の弐では東峰を中心にレポートしていきたいと思います。
其の弐へつづく。