獅子吼城
別名: 江草城、江草小屋。
城地種類: 山城
築城年代: 不明?。
築城者: 江草氏?。(北条氏が改修?)
主な関連施設: 無し。
文化財史跡区分: 市指定史跡。
案内看板
新府城、若神子城の次はここ " 獅子吼城 " へやって来ました。
近年、いつものルートが立入禁止になったとの情報を得て、確認すべく
再々登城する事にしました。
獅子吼城概要:
築城年代については不明で、西暦1400頃には江草氏がこの城を使用していた資料が出てきています。
家督を相続した武田信玄は甲州佐久街道を抑える交通の要所、狼煙の中継地点として、拡張&整備をし獅子吼城としたと伝えられています。
1582年(天正10年)本能寺の変で信長が討たれたのち、旧武田領を巡って北条氏と徳川氏が争った天正壬午の乱では、北条軍が獅子吼城を占拠しましたが、服部半蔵率いる伊賀組と小尾衆などの夜襲によって落城し、その後廃城となり現在に至ります。
今までのルート
県道23号線「増冨ラジウムライン」から塩川を渡ると突き当りに
「 獅子吼城と大ケヤキ」の標識がでてきます、そこを右折(左折でも行けます)
し暫く行くと根古屋神社の大ケヤキがあり、その先が今まで通る事が
できた登城口です。
近年まではここから数々の遺構を確認しながら主郭まで行けたので
すが、現在ではご覧の通り。
この城西側からのルートがこれまたしんどい!急斜面のうえに大きな
岩がゴロゴロ、倒木もありでそれなりの靴を履いていかないと登れません。
根古屋神社
車で来られる方はこちらの根古屋神社を目指して下さい、この神社の
向かいに獅子吼城専用(併用?)駐車場があります。(10台程度駐車可)
駐車場緯度経度:35.819983, 138.463148
大ケヤキ
せっかくなので城へ向かう前に、こちらの大ケヤキを見学する。
大きさ的にはかなりの太さなのだが、けっこう腐食している感じ。
根古屋神社の大ケヤキ:
神社の境内に、本殿と舞台を挟む形で両脇に大きなケヤキがある。
向かって右手が「畑木」、左手が「田木」と呼ばれ、いずれも樹高 20 m、
目通り幹囲 10 mを超える巨木である。
芽吹きの早さによって、その年の作柄を占う習わしがあった
(畑木が早いと畑作が、田木が早いと田が豊作となる)。
(Wikipedia)より引用。
新しい登城口
今までの登城路とは比べ物にならない程の急斜面で、しかも足場が悪い
こちらのルート。(スニーカーでは登らないで下さい)
登城口緯度経度:35.818059, 138.462614
急斜面の悪路
新登城口から主郭まで、ご覧の通りの悪路が続きます。
尚、所どころにピンクリボンが木に括りつけてあるので、それを目印
に登って下さい。
山頂の主郭付近となります、このピンクリボンの先が主郭となります。
こちらの主郭から南西方向に若神子城、北に大渡の烽火台を見る事が
できます。
説明看板があったので見てみましょう↓
看板が汚れていて読みにくい…。
主郭
主郭はこの城で一番広く、測定はしていないがだいたい20m×30mの
広さの楕円形をしています。
主郭北東の段郭
写真では分かりにくいですが、郭が段々に3段ほど連なっています。
違う角度から見てみましょう↓
帯郭が3つ連なっている縄張構造ですね。
これまた分かりにくいですが、各曲輪は石積によって囲まれており、
甲斐の山城には珍しく、多数の石積を見る事ができます。
石積
現在ではかなり崩れてしまっているため、おそらく往時の姿をとどめて
はいません。
なので、それなりに頭の中でイメージしながら散策する必要があります。
幸いにもこの山は石だらけなので、材料となる石の調達には苦労しな
かったんだろうなと簡単に想像がつく。
竪堀
縄張図では、城の北東に位置する竪堀と表記してありました。
元々は沢だった部分に手を入れて竪堀としたのかな?と、感じました。
軌道ログ
根古屋神社の駐車場~新登城口~主郭~段郭~と進み、ここで立入禁止
区域がどうなっているか確認すべく城を南東(旧登城口)へと下りました。
肝心の私有地で立入禁止の部分ですが、看板やロープ等は何もなく、
気が付いたら旧登城口へと出てしまいました。(注意が必要です)
下城
駐車場まで歩いてもどり、車に乗り込もうとすると何かが鳴いた!
ふと、振り返るとそこには真っ白な猫が一匹。
獅子吼城の猫城主に別れを告げ次の目的地へと向かいました。
スタンプは…
ありません。
御城印ありません。
獅子吼城
見所ポイント:主郭、帯郭、石積、眺望、竪堀、新登城口の悪路、その他。
駐車場:城の西側、根古屋神社の向かいに10台程度(無料)。
駐車場緯度経度:35.818059, 138.462614
総評: 甲州佐久街道と信州峠を抑える交通の要所、狼煙の中継地点として重要な拠点であったであろうここ獅子吼城。
天正壬午の乱の後に廃城となり現在に至りますが、その城跡としての姿は風化してはいるものの、かろうじて石積や竪堀、曲輪跡がのこり往時の姿を現在に伝えています。
甲斐の山城には珍しい、石積が多用されているここ獅子吼城に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。