赤穂城
別名: 加里屋城、苅屋城、
城地種類: 平城(海城)
築城年代: 1466年位
築城者:岡光広
関連施設:赤穂市立歴史博物館、
文化財史跡区分:国指定史跡、国指定名勝(本丸庭園・二の丸庭園)
本丸門
4月の下旬、桜が咲く気持ちの良い週末、3連休になったので兵庫県、
岡山県、岐阜県、の名城 7城(100名城)を巡る旅に出る事にしました。
4城目はここ「 赤穂城 」へ。
赤穂城概要:
1466年~1483年頃、岡光広がこの地に加里屋城を築城します。その後、1600年(慶長5年) 姫路藩主・池田輝政の弟・長政が大鷹城を赤穂郡加里屋に築城します。そして1645年(正保2年)池田 輝興が、発狂により改易され(正保赤穂事件)同年、浅野長直が5万3,000石で入封し現在の形である赤穂城を築城しました。築城にあたっては甲州流軍学が取り入れられ、折れを多用した特徴的な縄張が完成しました。天守台はありますが、幕府の許可が下りなかったため築かれる事はありませんでした。
本丸内堀
本丸は内堀と石垣でぐるりと囲まれているので、それに沿って一周して
みる事にします。石垣は打込接で積まれています、石垣上部の色が違う
のはおそらく修復された痕跡だと思われます。
本丸南櫓台
石の色からいって大部分が、修復によって積み直されたもののようです。
西仕切門
二の丸を南北に二分する城壁で、低い石垣の上に土塀が巡らされてい
たそうです。平成22年(2009)に復元されました。(説明看板から)
城内には沢山の桜の木が植えられているので、桜の季節になるととても
綺麗に咲き誇ります。
本丸大手枡形門
枡形の石垣に高麗門と櫓門の2門から構成されていました。
幕末期に戦場とならなかった為、ほとんど無傷の状態で明治を迎えまし
たが、その後しばらくして門や石垣は取り壊されてしまいました。
1996年に古写真をもとに復元されました。
本丸庭園
先程の本丸櫓門の下でスタンプを押し、本丸内部へと入ります。
本丸内も桜の木が植えられていて、とても綺麗です。
市民の憩いの場となっている事でしょう。
天守台
本丸南東端にある天守台です、石垣はかなり整った感じの「打込接布積」
で隅石は「算木積」となっています。築城当初から天守は上げられませ
んでしたが、高さ9mある高石垣は必見です。
下城
名残惜しいが時間なので下城する事に。
帰りがてらに先程の櫓台へ、それにしても綺麗に上手く修復、復元し
たものです。
写真を撮り忘れましたが、「息継ぎ井戸」というものが城の北側にあり
ます、位置的には妙慶寺の近くにある交差点の近くです。
江戸城中での刃傷事件の第一報を知らせる使いの者が、ここで一息つい
てから城内の大石邸の門を叩いたと言われている井戸です。
時間に余裕がある方は訪れてみて下さい。
次のお城へ移動するため、城をあとします。
着々と復元・整備が進んでいて、とても嬉しく思いました。
上空から見ると
こんな感じです、上空から見ると本丸の形が星形陵墓を崩したような
形の特徴ある縄張構成がよく分かります。いざという時は、両端部から
十字砲火を食らわすつもりだったのでしょうか?
スタンプ押印
スタンプ設置場所:本丸櫓門下、赤穂市立歴史博物館
スタンプのデザイン:ここしかないでしょ!の本丸門です。(作りが荒い?)
赤穂城
見所ポイント: 本丸、二の丸、天守台、石垣、濠、本丸門、息継ぎ井戸、等
駐車場:赤穂市立歴史博物館(90台位)大石神社駐車場
総評: 「海城」と称されるこの赤穂城ですが、現在では海は埋め立てられ、その容姿を見る事はできません。しかしながら船着き場等の復元作業など色々と手が加えられ、コツコツとかつての赤穂城がよみがえりつつあります、嬉しいかぎりです。
近世城郭として拡張・整備されたこの赤穂城は、築城にあたり甲州流軍学と山鹿流軍学を取り入れ、折れを伴った本丸石垣の縄張構成はとても特徴的なものとなっています。
特に本丸南東部分は、まさに星形陵墓の形そのもので、函館の五稜郭や長野県の龍岡城を彷彿とさせる造りとなっています。あの両端部から十字砲火(クロスファイア)を、ぶちかますつもりだったのでしょうか?もはや妄想が止まりません。こんな魅力たっぷりにして心癒される城址公園、赤穂城へ出掛けてみてはいかがでしょうか。