明石城
別名: 喜春城
所在地: 〒 673 - 0847 兵庫県明石市明石公園1-27
城地種類: 平山城
築城年代: 元和5年(1619)
築城者: 小笠原忠真
2基の三重櫓
4月の下旬、桜が咲く気持ちの良い週末、3連休になったので兵庫県、
岡山県、岐阜県、の名城 7城(100名城)を巡る旅に出る事にしました。
3城目はここ「 明石城 」へ。
明石城概要:
2代将軍徳川秀忠は、譜代大名の小笠原忠真(おがさわら ただざね)を明石藩10万石の大名とし、天下普請による新城の建設を命じました。一国一城令により廃城となった付近の城の用材を用いて、突貫工事で行われた城の建築工事は約1年程の速さで完成しました。本丸には熊本城の天守台に匹敵する程の大きな天守台が築かれましたが、天守が建てられる事はありませんでした。現在は本丸にあったとされる4基の三重櫓のうち2基が修復されながら現存し、その雄姿をとどめています。
巽櫓
現在建っている2基の櫓(巽櫓と坤櫓)は元和5年(1619)の築城当時
の櫓ではないらしく、寛永年間(1624~1644)の火災後に再建された
もので、本丸の南西と南東の隅に並んで建っています。
明治34年(1901)当時現存していた3基の櫓(巽櫓・坤櫓・乾櫓)を
修理する際、乾櫓は解体され部品取りにされてしまいました。状態の
良い木材や瓦は巽櫓・坤櫓の補修材として転用されたとされています。
坤櫓
この坤櫓は巽櫓と対になる櫓で、南正面初重に千鳥破風、二重目に唐
破風を配置し、巽櫓とは順序が逆となり変化を持たせています。
細かいところにまで配慮し、工夫をしてある事に驚かされます。
打込接の高石垣
この明石城は主要部である本丸部分は総石垣造りとなっていて、
積み方としては " 打込接の布積 " で積まれています。
使用されている石も、形や大きさがある程度一定のサイズで加工され
完成度の高さをうかがわせます。
櫓裏
両櫓の外壁は白漆喰総塗籠で施され、内部は各階を一つの部屋として
作られています。坤櫓の方が少し大きく、一階部分が約11×9m、二階
は約9×7.3m、三階が約7×5.2mで、高さ13.3mとなっています。
巽櫓は一階が9×8m、二階は7.2×6.1m、三階が約5.5×4.4mで高さは約
12.6mあります。
天守台石垣
本丸西側からはみ出る様な形で突き出た大きな天守台は、約152坪の
広さを誇ります。五重天守を建てられる規模の天守台でしたが、結局
天守が築かれる事はありませんでした。
明石公園広場から
帰り際に、明石公園広場から再び2基の三重櫓を眺めてみる。
本丸だけでこの広さなので、城全体の大きさは相当なものです。
2019年で築城400年となる明石城では、記念祭に向けて色々と準備を
進めているそうです、今から楽しみで仕方ありません。
この2基の櫓の前にある雑木もキレイにするみたいです。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:明石公園サービスセンター受付窓口
スタンプのデザイン:ここしかないでしょっ!の印影です。
(かなりカッコ良いデザイン)
明石城
見所ポイント: 巽櫓、坤櫓、本丸、二の丸、天守台、高石垣、堀、土塁、等。
駐車場: 協会駐車場(366台駐車可・有料)県営駐車場(134台・有料)
総評: 明石城は西国諸藩への備えとして、徳川2代将軍秀忠が築城資金を拠出(銀1000貫)して築城されました。普請奉行を派遣したりするなど、明石城築城を全面的に支援し、約1年という速さで工事は完了し、築城されました。その事からも、いかにこの地が地政学的、軍事的に重要であったかという事が伝わってきました。この広大な土地に展開される巨城としての縄張構成は見事で、現在残っている本丸部分だけでもその威容を見てとる事ができます。そして長さが数百メートルある石垣上に鎮座する2基の三重櫓が見る者を圧倒します。「天下普請で築かれた巨城」へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。