鮫ヶ尾城
別名: 宮内古城
城地種類: 山城
築城年代: 不明
築城者: 不明
主な関連施設: 斐太歴史の里総合案内所、斐太歴史民俗資料館
文化財史跡区分: 国指定史跡
堀切6
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表
しました。新潟県からは高田城・村上城・鮫ヶ尾城が選ばれました。
続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を
カウントしたいと思います、鮫ヶ尾城を登城 5城目とします。
鮫ヶ尾城概要:
天正6年(1578)に上杉謙信が死去すると、養子である景勝と景虎による後継者争いである御館の乱が勃発した。はじめは優勢であった景虎方だが、次第に追い詰められ、翌天正7年(1579)3月に鮫ヶ尾城へ逃れ、数日の攻防の後に城内で自刃したと伝えられる。その自刃した場所は鮫ヶ尾城の本丸部分(頂上付近)で、上杉景虎が妻子とともに自刃して果てたと伝えられている。と、手元の資料に書いてあります、悲しい話です。
本丸跡
ここは標高185mで見晴が良く、北陸新幹線が縦断する高田平野を一望
する事ができます。
説明看板
御館の乱以降再利用される事が無かったからこそ、これだけの遺構が
残っているんですね。
子供作の看板
小学生ぐらいの子供が作成したと思われる看板を発見!良い事が書いて
あります。こちらの看板を作成した子供は今頃、立派な好青年になって
地域に貢献しているのではないでしょうか。
本丸からの眺望(1)
ここ本丸は周りが開けているので風がとても心地よい。
本丸からの眺望(2)
幟(のぼり)が真新しく綺麗で、しかもデザインがカッコ良いので
思わず一枚、景色と共に切り取りました。
米蔵跡
現在も米蔵跡から「御館の乱」の時に焼けた米『焼き米』が出土します。
文化財指定されている為、持ち出しは禁止となっています。
本丸下腰曲輪
米蔵から先(北側)は草が生い茂っており、進む事がままならず。
やむなくこの腰曲輪から二の丸、三の丸へ進みます。
二の丸
本丸の南側直下にある曲輪です、発掘調査で建物跡や焼けた陶磁器など
が確認されました。
二の丸看板
投石用の礫石(つぶて石)が集積されていました。と、あります。
敵に向かって " 石 " を投げる時代だったんですね。
三の丸
二の丸跡を見学したのちに、すぐ隣下にあるここ三の丸跡へきました。
ここでは発掘調査の際に、炭化した「 おにぎり 」が出土しました。
井戸
場所的にはかなり山頂に近い所にあるのにも関わらず、今でも水が
湧き出ているみたいです。
南登城路(大手口)
登城路にそって土塁(城塁)が築かれている感じです。
大堀切1からの竪堀
大堀切1はとても長く尾根切りをしてあります、そしてそのまま斜面を
竪堀として下って行きます。俗にいう「堀切からの~竪堀っ!」って
やつです。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:4月~11月・斐太歴史の里総合案内所
12月~3月・神の宮温泉かわら亭
スタンプの状態:" 良 " 新しいのでとても状態が良く、綺麗に押せます。
そしてデザインもカッコ良い。
ご当地グルメ
高田城編で食べたソースかつ丼が美味しかったので、同じ店で定食を
食べる事にしました。定食「上越のごっつぉ」というメニューです。
因みに「ごっつぉ」とは御馳走の事です。
こちらで食べました↓ Ctrlキーを押しながらクリックするとジャンプしません。
https://tabelog.com/niigata/A1503/A150301/15000321/
鮫ヶ尾城
見所ポイント: 本丸、二の丸、三の丸、大堀切、竪堀、切岸、虎口、井戸、カタクリ
駐車場: 斐太歴史の里総合案内所(15台程度)無料
総評:曲輪配置や大堀切、山麓から山頂に至る当時の城道などは、16世紀後半の上杉氏領国における山城遺構の特徴を示す。北陸新幹線を見下ろす平野部への眺望が楽しめる。と、手元の資料に書いてあります、まさにその通りで遺構の保存状態は良好です。
近くにある春日山城では、正直あまり遺構は見受けられませんでしたがここ鮫ヶ尾城においては堀切が多数残っており、竪堀や切岸も保存状態良く残っています。曲輪群も実に多数残っており、御館の乱の後ほぼ廃城扱いとなり使用されなかった為、各種それぞれの遺構が良好な状態で現在まで残っています。上杉謙信が生きた頃の戦国の山城を堪能したい方は週末にでも訪れてはいかがでしょうか。