一乗谷城
別名: 無し
所在地: 〒 910 - 2153 福井県福井市城戸ノ内町ほか
城地種類: 山城
築城年代: 15世紀後半
築城者: 朝倉孝景
唐門
4月の春麗らかな日、平日ではあるが仕事が3日ほど休みになったので
岐阜県、愛知県、滋賀県、福井県の名城 8城(100名城)を巡る旅に出
る事にしました。7城目はここ「 一乗谷城 」へ。
一乗谷城概要:
一乗谷城は、戦国大名朝倉氏の館だけでなく城下町と4つの山城を含む縄張りを指す。その歴史は文明3年(1471)、朝倉孝景が越前守護斯波氏を破って一乗谷川沿いの天然の要害を拠点としたことに始まる。そして一乗谷には2つの城戸(門)にはさまれた約1,7kmの細長い城下町が、全国に先駆けて形成された。一乗谷は、応仁の乱を逃れてきた京都の文化人達などにより越前の中心地として栄えたが、天正元年(1573)、織田信長の軍勢により放たれた火によって灰燼に帰した。しかし現在、武家屋敷や街並みが復元され、当時の様子をうかがい知る事ができる。と、手元の資料に書いてあります。
とても分かり易い説明分です。
駐車場
ここまでの走行距離は、ゆうに500kmは超えています。
復元街並
発掘調査に基づいて、城下町の武家屋敷や町屋などが復元されています。
屋根に石を乗せています、風で屋根が飛ばないようにしているのか?
そう言えば自分が小学生の頃、近所の同級生の家の屋根が台風の強風
により、屋根が飛んで行った事がありました。
友人曰く、「バリバリッ!と音がしたと思った次の瞬間、天井が急に
明るくなった(屋根が飛んで行った)」と言っていたのを思い出した。
こちらの復元街並みは実に良くできています、外観はもとより家の中
も当時の生活様式を再現してあるので、とても勉強になります。
そういえば、2011年頃にソフトバンクの携帯電話のCMでこちらの
一乗谷城周辺が使用されていたのを思い出しました。
建物内部
戦国時代なので、もっと壁とかが隙間だらけだと思っていたら以外と
しっかりとしています。
復元武家屋敷
私の記憶が確かならば、こちらの左側の門を構えている敷地内にある
のは復元された武家屋敷のはずです。(写真を撮り忘れました)
敷地内には主殿、トイレ、蔵、納屋、井戸などが復元されています。
一乗谷城周辺の遺跡は全国的にも規模がとても大きいので、移動がとて
も大変です、なので一乗谷朝倉氏遺跡資料館でレンタサイクルを利用
する事をお勧めします。
四方を山に囲まれているので、自然が多くとても癒されます。
因みに手前の石垣は近年に積まれた復元の石垣です。
朝倉館跡(唐門側)
朝倉館跡正面に見える唐門は「松雲院」の門で、門の位置は正門(西門)
であったと推定されています。
唐門の上部に朝倉氏の家紋がありました。
「 三つ盛木瓜 」と呼ばれています。
朝倉氏館跡
発掘調査の後に礎石を並べて、建物の柱の位置関係を平面表示させて
います。それにしても広い、さすがは越前を治めていた大名なだけの
ことはあります。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:「復元街並」入口(南・北)
スタンプの状態:" 悪 " 状態もですが、押し方にも問題が…。
一乗谷城
見所ポイント: 本丸、二、三の丸、千畳敷、堀切、竪堀、唐門、湯殿跡庭園、城戸跡等
駐車場: 復元街並無料P(数カ所アリ)
総評:一部復元された武家屋敷や街並みといった城下町の街並みや城戸跡を巡れば、戦国時代の城下町にタイムスリップしたようである。と、手元の資料に書いてあります。
まったくその通りです、ここ一乗谷朝倉氏遺跡は全国的にみても、とてもその規模が大きい為、復元された街並みを歩いているとその広大な街並みから本当にその時代に居るかのような錯覚に陥ります。城下町部分には復元武家屋敷、湯殿跡庭園、中の御殿跡、上城戸跡、下城戸跡、諏訪館跡庭園、朝倉館跡、詰城跡(山城)には千畳敷、堀切、畝状竪堀群等の遺構がよく残っていて、とても見所の多い史跡となっています。こんな見所多数の魅力的な城下町、そして山城の一乗谷城へ週末あたり訪れてはいかがでしょう
か。