箕輪城
別名: なし
所在地: 〒370 - 3105 群馬県高崎市箕郷町西明屋ほか
築城年代: 永正7年(1510)頃、永禄9年(1566)
築城者: 長野成尚、武田信玄、
城地種類:山城 → 平山城
文化財史跡区分:国指定史跡
箕輪城登城!百名城No.16 2010.12.12
週末2日間で茨城県、埼玉県、群馬県のお城(百名城4城)を制覇する
旅に出かけました、4城目のお城はここ " 箕輪城 " へ。
箕輪城概要:
箕輪城の創築については諸説あるが、戦国時代初期に長野氏によって築かれ、のちに
この地は相模の後北条氏、甲斐の武田氏、越後の上杉氏が侵攻を繰り返すところであった。天正18年(1590)徳川家康から箕輪城を与えられた井伊直政が、城を近世城郭に
改築したと伝えられている。
城地は東西約500m、南北約1100mあり、南に沼、西に川がある河岸段丘上の要害で、
梯郭式に曲輪が配置されている。(手元の資料より抜粋)
搦手口より登城
箕輪城跡には6カ所の入り口がありますが、駐車場から一番近い事や城跡の中央に位置している事、本丸に一番近いなどの理由でやはりここ(搦手口)から城内に入ります。
尚、旗の家紋は長野氏の " 檜扇 " だと思われます。
二の丸
帯曲輪横を通りすぎ、大堀切の横に位置する二の丸です。
大堀切の写真をなぜか消してしまったらしく、後悔しています。
百名城スタンプ設置場所
基本的には写真にあるとおり、市役所の奥に入った小部屋の中に職員がいて土日でも
スタンプを押す事が出来ます。
噂では二の丸付近に絵を描いている老人がスタンプを持っている事があるとか
無いとか? (あくまでも噂ですが…。)
石碑
自然石を使用したなかなか立派な石碑です。
本丸
搦手口からの登城なので、早くも本丸に到着です。
お城ビギナーの人達からは「原っぱ」と呼ばれています。
御前曲輪
本丸の北に位置していて詰丸にあたる曲輪です。
この少し北側に自然石を使用した貴重な石垣があります。
御前曲輪井戸
昭和2年(1927)に豪雨のため地盤が沈下したのがきっかけで
発見されました。深さ約20mだそうです。
箕輪城下城
二の丸と木俣の間にある「大堀切の土橋」を見学し、
城をあとにしました。
旧下田邸書院及び庭園
旧下田邸は、箕輪城主長野氏の重臣、下田大善正勝の子孫が落城後この地に土着し、
居をを構えた屋敷跡です。庄屋でもあった下田家は酒造業を営むようになります。
そして、天和3年(1683)安房・勝山藩の陣屋が白川に置かれると同時に代官に任命
され、以後明治維新まで代々その役職を務めました。(手元の資料より引用)
県内では数少ない江戸時代の庭園で、アカマツやヤマモミジなど様々な樹木が植栽され、城郭風に石垣を配した池の中には蓬来島(ほうらいじま)、または亀島と呼ばれる
鳥や水鳥の形をした石があります。
素朴な中にも四季折々の表情をもつこの庭は「青翠園」(せいすいえん)の名で親しまれ、多くの文人墨客が訪れました。
一節によると、「忠臣蔵」で名高い堀部安兵衛が築造したものといわれています。
榛名山
帰路に就く前に「榛名山」を見ておきます。
スタンプ押印
スタンプ設置場所: 箕郷(みさと)支所受付
スタンプの状態: " 普通 " やはり緑スタンプは押すのが難しい。
ご当地B級グルメ
高崎パスタ:
安くてボリューム満点なパスタ料理を町の至る所で楽しめるのが
この高崎パスタです。
こちらで食べました↓
https://tabelog.com/gunma/A1001/A100102/10000083/
箕輪城
見所ポイント: 空堀、石垣、土塁、大堀切、井戸、等。
駐車場:箕輪城跡駐車場(80台程度)
総評:榛名山から派生した尾根を巡る大堀切や本丸跡を巡る空堀は、戦国期としては
最大級の城の面影を今に伝える壮大な遺構である。馬出跡や虎口付近の石垣なども見ておきたい。と、手元の資料に書いてあります、まったくもってその通りです。
箕輪城は落城後、武田・織田・後北条・徳川氏の居城として使われました。
最後の徳川氏時代には「井伊直正」が12万石で箕輪城を拝領しています。
戦国時代を通じて西上野で最大の拠点となった城、箕輪城を週末にでも訪れてみてはいかがでしょうか。