川越城
別名:初雁城
所在地: 〒 350 - 0053 埼玉県川越市郭町2 - 13 - 1
築城年代: 長禄元年(1457)、慶安4年(1651)
築城者: 太田道真、道灌、松平信綱
城地種類: 平城
文化財史跡区分: 県指定史跡
川越城登城! 百名城No.19 2017.9.10
2010年に行った時、工事中で写真が3枚しか撮れず、ブログの記事が書けない為
2017年に再び登城する事にしました。(川越館跡の次にここへ来ました)
天文6年(1537)、城は上杉氏から小田原北条氏に移りました。そしてこの城を上杉氏が奪還しようとして、天文15年(1546)に8万の軍勢で、わずか3千の城兵が守る川越城を包囲します。
しかし北条は8千の援軍を川越城へ送り、さらに巧妙な計略をもって8万の軍勢を打ち破りました。これが史上に名高い「 河越野戦 」として伝えられています。
本丸御殿
7年前は修復工事中で入ることが出来なかった、" 川越城 本丸御殿 "。
7年の時を経て、「 いざっ、参らん! 」。
縄張り図
川越城概要:
川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が長禄元年(1457)に家臣の太田道真・道灌に命じて築城させたものである。当時、持朝は古河公方足利成氏と北武蔵の覇権をめぐって攻防を繰り返しており、築城はこれに備えたものであった。
築城当初は本丸、その北側の二の丸、その西側の三の丸、本丸西の八幡曲輪部分だけであったと思われる。築城に際して太田父子は、本丸東側に三芳野天神をまつり、
城内鎮護の宮とした。
童話にある「通りゃんせ」の天神様とは、この川越城内三芳野天神のことである。
と、手元の資料に書いてあります。
使い番詰所
ここは13畳半の部屋で、伝令や使者の待機する部屋だったみたいです。
番抜き・老体詰所
こちらは12畳の部屋で、本来それなりの役職等に就いていた人達が
待機する部屋らしいです。
会社でいえば部長だった人が定年し、
嘱託として働いているような感じだと思います。
物頭詰所
こちらは12畳の部屋で、現在の軍隊でいうと中隊長クラスの人が待機する
部屋だったみたいです。
枯山水
本丸御殿の中に、この様な立派な庭があります。
葵の瓦
修復工事の際に取り外されたとても貴重な瓦です。
葵の紋がとても映えて見えます、模様の中にハートが見てとれるあたり
この瓦をデザインした職人さんは、" 美的センスと遊び心 " を持っているみたいです。
御殿の長廊下
資料によると、場所によって板張りの材質が違うと書いてありますが、素人が見ても
その違いはあまり分かりません。
この本丸御殿の廊下で、ドラマ『JIN-仁-』の撮影が行われたそうです。
中庭
やや小ぶりな感じの中庭です。
家老詰所横の縁側
家老詰所の横にある " 縁側 " です、この時フッと頭の中にある光景が浮かびました。
子供の頃によく遊んだ実家の縁側の光景です。(とても懐かしい感じがしました)。
家老詰所
家老詰所の中へ入ると、リアルな人形がお出迎えします。(一瞬ビックリしました)
何やら五角形の図形を見ながら会議をしている模様です。
何でも品川台場の築城に関して、家老たちで話し合いをしている構図のようです。
松が描かれた杉戸
藩の御用絵師 " 船津蘭山 " (ふなつ らんざん)が描いたもので、往時は廊下の間仕切りに使用されていたみたいです。
大広間
位置的には玄関のすぐ近くにある大広間、36畳の広さがあります。
ここは来客が城主のお出ましまで待機した部屋と考えられています。
市立博物館
川越城本丸御殿を後にし、すぐ近くにある川越市立博物館へ行きました。
川越城模型
現在は本丸御殿と富士見櫓台跡ぐらいしか、これといった遺構は
ありませんが、往時はこんなにも巨大でしっかりとした城だった事に
驚きと感激を感じてしまいました。
スタンプ押印
スタンプ設置場所: 川越城本丸御殿受付窓口(受付のオバちゃんが隠し持っています)
スタンプの状態: " 優良 " 受付のオバちゃんが虎の子のように大切に隠し持って…
いや、大切に保管してくれている御かげでとても綺麗に押す事ができます。
受付窓口のオバ…、訂正、お姉さん、ありがとうございます!
ご当地B級グルメではなかった瞬間!
後で分かったのですが、ホワイト餃子は川越市のご当地グルメでは
ないようでした。(事前の下調べはしっかりとしなければ、反省です)。
ホワイト餃子
千葉県に本社がある会社のチェーン店が提供する餃子の事です。
特徴としてはニンニクが入っていないので昼間から食べる事ができます。
写真は「ホワイト餃子定食」です。
川越城
見所ポイント: 本丸御殿、家老詰所、富士見櫓台跡、中の門堀、土塁、等。
駐車場: 本丸御殿の横に観光無料駐車場アリ、正面にも神社の駐車場アリ。
総評: 本丸御殿は数少ない現存する御殿の遺構として貴重である。
本丸御殿の玄関は銅瓦葺の大唐破風屋根をそなえ、御殿内部には広間など6部屋が残る
また本丸跡には家老詰所も移築復元されている。
と、手元の資料に書いてあります、まったくその通りだと思います。
二の丸御殿は二条城と掛川城にしか残っていません。
川越城本丸御殿のすぐ近くに川越市立博物館があります、その中に幕末期の絵図に基づいて制作された復元模型があり、往時の川越城をみる事ができます。
実によく出来ている模型で、各曲輪の塁線は複雑に湾曲、屈曲していて、見事な土塁で築城された川越城の要塞ぶりが見てとれます。
是非、本丸御殿と市立博物館をセットで見学する事をおススメします。尚、忘れがちですが富士見櫓台跡も見て下さい。(自分は富士見櫓台跡を見るのを忘れました)。