新田金山城
所在地: 〒 373 - 0027 群馬県太田市金山町 40 - 98 ほか
築城年代: 文明元年(1469年)
築城者: 岩松家純(いわまつ いえずみ)
城地種類:山城
文化財史跡区分: 国指定史跡
金山城登城! 百名城No.17 2010.12.5
週末2日間で山形県、福島県を中心に百名城6城制覇の旅に出かけました。
6城目、最後のお城はここ " 金山城 " へ。
概要:
標高239mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上を造成、曲輪とし、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代の山城です。
特筆されるのは、石垣や石敷きが多用されていることで、従来、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が金山城跡の発掘調査で覆されました。
主な曲輪群は実城・西城・北城(坂中・北曲輪)・八王子山の砦の4箇所ですが、山麓にも、城主や家臣団の館・屋敷があったと考えられ、根小屋(城下)を形成していたと見られます。 (太田市公式HPより引用)
城址入口
事前の下調べで太田駅から徒歩で登ると時間がかかるとの事だったので、
車にて城址入口の駐車場へ。
ここまで車で来れば、本丸までそれ程時間も体力も必要としないので楽です。
西矢倉台下堀切
西矢倉台の西下に造られた防御施設で、西城から実城(本丸)へ向う間の「堀切」となっています。
" 堀切 " の状態がよく分かります、手入れが行き届いている感じです。(感謝)
物見台下虎口
手前の説明看板によると、石垣によって虎口の先が見えないように
工夫されていると書いてあります。
月ノ池
調査の結果、月ノ池も日ノ池と同様に上下二段の石垣に囲まれた
戦国時代の池だった事が判明したらしいです。
この池のすぐ上に「大堀切」があるのですが、写真を撮り忘れました。
大手虎口
通路の先が右カーブになっており、先が見えないようになっています。
物見台下虎口と同じです。(ほんと、色々と工夫されています)
三の丸土塁石垣
関東地方の中世城郭においては、土塁はほぼ土のみでの築城が多くみられますが
ここ金山城では土塁に石垣が多用されているのが特徴です。
日ノ池下石垣
大手虎口通路を進んでくると、正面を塞ぐような形で大きな石垣が鎮座しています。
ここまで来た敵は正面の石垣上と、左右の郭(3方向)から攻撃を受ける形になります。(これ以上は進ませない、とする気迫が伝わってくる感じです)
復元された石垣群
ここの石垣群の大部分は近年に復元、修復作業がなされたものが多いのですが
石垣の下部には古い年代の石垣が残っているみたいです。
その石を見つけ、往時の姿に思いを馳せるのもまた、
城巡りの楽しみのひとつだと思います。
日ノ池
日ノ池は、金山山頂近くにある石垣で整備された池です。
対となる月ノ池や他では類をみない程、高い場所にあることから、
祭祀的な場所であったと考えられています。
こんな高い山頂付近なのに水が湧き出るとは…。
不思議なものです。(そういえば、久留里城もそうでした)
美しく、そして神秘的な池。(素晴らしい!)
金山城鳥瞰図
城跡にこのような看板があると、とても助かります。
とても見やすく縄張りを認識しやすいです。(完成度の高い看板です)
スタンプ押印
スタンプ設置場所: 金山城跡・南曲輪の休憩施設
スタンプの状態: " 最悪 " 管理状態が悪く綺麗に押せません。
群馬県と太田市さん頼みますよ。(ガイダンス施設に置けばいいのに…。)
新田金山城
見所ポイント: 堀切、曲輪、土塁、石垣、物見台下虎口、月の池、日の池。
駐車場: 金山城址専用無料駐車場アリ。(30台程度)
総評: 石垣から石敷きの通路まで、城のほぼ全てが石垣造りであるという、
関東でも希有な山城である。
また、日ノ池・月ノ池といった貯水池と祭祀施設を兼ねていたのではないかと
思われる大きな池も山城ではめずらしい。と、手元の資料に書いてあります。
(まったくもってその通りです)
堀切もしっかりと整備されているので、その形をはっきりと見る事ができます。
また、通路上から見ると石垣の先が見えなくなるように造られている等、随所に色々と工夫がなされていて、とても勉強になります。
月ノ池や日ノ池などの神秘的な感じもロマンを感じさせ、訪れた者を虜にするかのような不思議な魅力がここ新田金山城にはあります。