二本松城
別名: 霞ヶ城、霧ヶ城、白旗城、
所在地:〒 964 - 0904 福島県二本松市郭内3丁目・4丁目
築城年代: 室町時代中期頃
築城者:畠山氏
城地種類:山城 → 平山城
文化財史跡区分: 国指定史跡、県指定重要文化財1件(洗心亭)、市指定文化財3件、
二本松城登城 百名城No.11 2010.12.4
週末2日間で山形県、福島県を中心に百名城6城制覇の旅に出かけました。
2城目はここ " 二本松城 " へ。
二本松城跡は、標高345mの白旗ケ峯を中心として、南・西・北を丘陵で囲まれ、自然の要害地形を利用して作られた中世及び近世の城跡です。
二本松城跡の歴史は、古く畠山満泰が応永21年(1414)この地に居を構えたとされます。天正14年(1586)に伊達政宗が畠山氏を滅ぼして二本松城は伊達の支城となりましたが、豊臣秀吉の奥州仕置以後、二本松は蒲生・上杉の支城として城代が置かれました。その後松下・加藤氏を経て、寛永20年(1643)に丹羽光重が10万石で入封、城内の石垣等の修築を行うとともに城下町整備を行い、以後、二本松藩の居城として明治維新に至りました。
三の丸高石垣
各時代の石積み様式を今に遺す「石垣博物館」二本松城跡。と、資料にあります。
石垣好きにはたまらない城跡です。
高石垣(2)
石垣に看板が…
箕輪門附櫓下の石垣に看板が付けられています、石垣はとても貴重な
文化遺産です、やめて下さいっ!
二本松少年隊群像
戊辰戦争でふるさとを守るために若い命を散らした、二本松少年隊を顕彰する群像。
平成8年(1996年)7月28日建立。
説明看板
肩印を縫い付ける母…切ないです。
箕輪門と附櫓
昭和57年(1982)御殿跡に附櫓、箕輪門が再建されました。
箕輪門概要
丹羽光重は、霞ヶ城の築城にあわせて門の建築も行いました。材料となる樫の木を箕輪村(現在二本松市内)山王寺山の御神木を用い、この門は楼門として完成し「箕輪門」と命名されました。
箕輪門裏、枡形虎口
ここ二本松城の石垣は年代や石の種類、色、積み方、等が場所によって
違うので見ていて飽きがきません。(石垣についてとても勉強になります)
城内へ
この階段を登りきると「るり池」があります。
るり池と洗心亭
洗心亭(二本松市)概要:
洗心亭は二本松城内に設けられた茶室の1つで「墨絵の御茶屋」と呼ばれていました。茶室は数棟あったそうで洗心亭はその内の1つで17世紀中頃に建築されました。
明治30年(1897)に現在地に移築され平成16年(2004)、江戸時代前期の茶室建築の遺構として貴重なことから二本松市指定有形文化財に指定されています。
るり池(2)
るり池は丹羽光重公の造園の姿を今に残しているらしいです。
春や秋の紅葉の季節はとても綺麗なようです。
笠松
昭和51年二本松市指定天然記念物指定
樹齢三百年といわれている老松、「傘松」または「八千代の松」ともいわれます。
ここは昔、霊松二本(鶴松、亀松)があり、この山を二本松山と呼んで、旅人の目標となっていました。
これが、二本松の地名のもとになったという人もいます。
本丸高石垣
ここの高石垣は「江戸後半様式」で修築、復元された模様です。
本丸の石垣は場所によって積み方が違います、各年代の石積様式で
多種多様です。(石垣にかなり精通していないとその違いは分かりづらい)
枡形虎口
本丸入口の枡形虎口です、この部分も「江戸後半様式」
で積まれています。
天守台入口階段
天守は無かったらしいが、もはやそれはどうでもよいと思う程に
見事な高石垣群でした。
本丸跡
二本松城本丸跡からの眺望はとても素晴らしい、この日週末だというのに
本丸と本丸高石垣周辺には自分しかいませんでした。(お城を独り占めです)
とても贅沢な時間を過ごしました。
東櫓台石垣
写真正面の東櫓台石垣は「寛永様式」で石垣が積まれており、
写真左側の石垣は「江戸後半様式」で積まれています。
難しい事を考えずに、高い、キレイ、素晴らしい!
これでいいと思います。
天守台高石垣
写真正面の天守台高石垣ですが、石垣の下の部分は「慶長様式」で、
真ん中から天端までが「江戸後半様式」で積まれています。
(同じ面なのに上下で積み方が違うので面白いです)。
来た道を戻る
来た道を戻り駐車場へ行こうと階段を降り始めました。
この時ふと、ある事に気が付きました、そうですここ二本松城城内は
" 松の木が多い " 城の名前が二本松なだけに…。
スタンプ押印
スタンプ設置場所: 二本松市歴史資料館受付窓口
スタンプの状態: " 良 " 印影くっきり綺麗に押せました。
二本松城
見所ポイント: 本丸、三の丸、石垣、屋敷跡、蔵跡、屋敷跡、等。
駐車場: 二本松城専用無料Pアリ。(数百台駐車可)
総評: 城下町を見下ろす山頂と山麓の随所に残る高石垣が見所。
また本丸の石垣では、蒲生氏時代の野面積と丹羽氏時代の打込接という
異なる石垣の様をみることができる。 と、手元の資料にあります。
まったくその通りです。
しかも同じ面の石垣でさえも上下で積み方が違うなど、とても複雑な復元方法で石垣群が復元されているので、見ていて気が抜けません。(まさに石垣の博物館!)
今回、本丸下にある穴太衆が積んだとされる「穴太積み」の石垣の写真を無くしてしまいアップできませんでした。(ごめんなさい)
新旧色々な時代、積み方の石垣を堪能できるここ二本松城は石垣好きにはたまらない城跡となっています。