みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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武蔵 日尾城登城!秘境感漂う秩父郡の山城~

武蔵日尾城

別名: 無し

所在地: 〒368 - 0015 埼玉県秩父郡小鹿野町日尾

城地種類: 山城

築城年代: 不明

築城者: 不明

主な関連施設秩父霊場31番札所・観音院(駐車場)

文化財史跡区分: 県選定重要遺跡

牛首峠の岸壁

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比企城館跡群の菅谷館・杉山城・松山城小倉城を攻略したあとに、花園城

も攻略しました、そこから30km程の所にある " 日尾城 " がとても面白いという

ので行ってきました。(2021.1.2.登城)

日尾城概要:

築城年代は不明ですが、ここ日尾城は文明10年(1478年)に太田道灌に攻められて鉢形城を追われた長尾景春が一時的に籠もったとも伝えられています。伝承によれば、1569年(永禄12年)に武田氏の武将、山県昌景に攻められた際、諏訪部定勝が泥酔していたため、奥方が代わりに陣頭指揮をとり撃退したと云われています、その後1590年(天正18年)の「小田原征伐」で北条氏滅亡とともに廃城となりました。

日尾城・南側ルート

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秩父霊場31番札所の観音院駐車場(36.041016,138.951718)に車を停め、駐車

場の端にあるこちらの木橋から日尾城を目指しました。

 

沢沿いの景色

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ここ日尾城へは東側と南側の2つのルートがあるのですが、今回は(南側)

のルートをとりました。

理由は「秘境感溢れる景色で、非日常を楽しめるから」です。

 

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駐車場から沢沿いを登っていくのですが、このように大きな岩盤がそこら中に

点在しており、なかなかの景観となっています。

 

案内看板

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駐車場から10分程登るとこちらの案内標識が現れます。

とりあえず「牛首峠」、これを目指します。

 

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この辺りの岩盤っぷりも凄いですね!

この時自分は昔テレビでやっていた「川口浩探検隊」の事を思い出しました。

猿人・バーゴン " とか出てきたらどーしよーか?

 

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ここは本当に埼玉県なんだろうか…?

 

牛首峠付近

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駐車場から30分位で牛首峠に到着します、地形の構造上城跡への直登はでき

そうにありません、つまり尾根筋さえ抑えてしっかりと守れば難攻不落という

わけです。

 

牛首峠の岸壁

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こちらが牛首峠の岸壁です、中央部分が切通しみたいになっていて、通路兼

堀切として機能していたのでしょうか。

 

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岸壁を北西からみた写真がこちら、この割目はある程度人の手が入っていると

思われます。

ここで城跡へ行く前に、西側にある出郭へ向かいます↓

 

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牛首峠の西端には岩盤堀切があり、その手前に削平された郭らしきものがあり

ます、そこに張り出し部分があるのですがそれがこの写真となります。

正面を落ちると下まで滑落する事間違いなし!

 

西端出郭の堀切

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深さといい、角度といい、素晴らしい堀切です。(自然の物に手を加えたか)

これ以上前へ出ると落ちてしまいます。

これで出郭付近の散策は終了、牛首峠の岸壁調査へと向かいます↓

岸壁の西端部分

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牛首峠にある岸壁の西端となります、この部分が見ての通り低くなっているので

、ここから岸壁の上へ登る事が出来ます。

では早速登ってみましょう↓

 

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この岸壁は幅が約1.2m~1.3m程度あり、綺麗にその幅で東西に細長く展開し

ています。(とても自然に出来たものとは思えない…)

 

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岸壁の中央部分がこちら、下から見上げた時は「飛び越えられるかも?」と

思ったのですが、間近で見ると「こりゃ無理だ!」となります。

 

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この割目上部から下を見てみる、意外と高くて足がすくむ。

 

岸壁上からの景色

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岸壁の割目上部から北を向いて撮った写真がこちら↑

木が無ければ見事な眺望が広がっていた事でしょう。

来た道(岸壁上部)を戻り、割目の脇から城跡を目指します↓

 

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岸壁の割目の脇に階段があり、そこから岸壁の脇を通って(狭いですっ!)

北東へと進みます。

 

岸壁上部・東側から

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せっかくなので、東側からも岸壁上部へ登って割目まで来ました。

やはり飛び越えるのは無理そうです…。

 

曲輪へ到着

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岸壁から北東へ進んで行くとこちらの郭跡へと着きます、ここは高低差を利用

して3段の段郭があります。

 

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こちら↑が真ん中の郭(上から2段目の郭)となります、基本的に尾根上に造ら

れた日尾城においては、この3段の郭はかなり広い郭となります。

 

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そしてこちらが3段の郭の上から1段目の郭となります、恐らくこの日尾城に

おいて兵の宿舎や建物等があったのではないかと思われます。

 

東端の帯郭

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土地の有効利用で、このような場所にも郭を配置しています。

この向かい側(南西)には東出郭と呼ばれる郭があるので見に行きます↓

 

東出郭

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こちらの郭は南端に位置していて、先程の3段の段郭の次に広い郭となってい

ます。

 

主郭と思われる郭

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城域において1番高い場所にあり、背後(北側)を深い堀切で守られているこの

郭が主郭だと思われます。

 

下城

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以上で日尾城の散策は終了、登城口~牛首峠~城跡ととても見応えがあり、

楽しめました。

武蔵日尾城

見所ポイント南側ルートの景観牛首峠の岸壁、堀切、郭、出郭等。

駐車場秩父霊場31番札所の観音院駐車場(36.041016,138.951718)。

総評:1569年(永禄12年)に武田軍に攻められたが、見事に撃退したと伝わるここ日尾城ですが、実際に訪れてみてその意味がよくわかりました。城域の周りは険しい斜面と岸壁で囲まれ、城へと行く道はとても狭く、1列にならないと進軍できない程の山道なので大軍を効率的に展開できません。なので人が通れる部分だけ防御すれば屈強な武田軍が相手でも撃退できたのだと思いました。こんな秘境感に満ち溢れ、非日常を楽しめる山城、" 武蔵日尾城 "  へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武蔵花園城登城!圧巻の岩盤堀切&岩盤竪堀を求めて~

武蔵花園城

別名: 無し

所在地: 〒369 - 1205 埼玉県大里郡寄居町末野城山

城地種類: 山城

築城年代平安時代後期頃か

築城者: 藤田氏

主な関連施設諏訪神社(登城口)

文化財史跡区分: 県選定重要遺跡

東から1条目の大堀切

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比企城館跡群の菅谷館・杉山城・松山城小倉城を攻略したあとに、これら

4つの城に引けを取らない山城(花園城)があるというので行ってきました。

2020.12.5.登城。

花園城概要:

築城年代は定かではありませんが、藤田氏代々の居城であったと云われています。藤田氏は関東管領山内上杉氏重臣でしたが北条氏邦を養子に迎えて本拠を移してからは支城として使われたようです。荒川の北側に位置し、東西の尾根筋に展開する堅固な山城は、秩父谷への街道を抑える重要な城でしたが、1590年(天正18年)の「小田原征伐」の際に廃城になりました。

諏訪神社

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城跡の南側にあるこちらの神社脇(向かって右)から登ります。

神社緯度経度:36.121082, 139.173763 。

注意事項トレッキングシューズと縄張図は必ず持参して下さい。

(整備された道無し、案内看板無し)

竪堀を登る

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諏訪神社の右脇から山へと続く細い道(まるで獣道)を進んで行くとこちらの

竪堀にぶつかります、この竪堀を登って城内へと入っていくのですが、竪堀

からアプローチする山城は今回が初めてとなります。(貴重な体験)

竪堀東側にある石積群

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先程の竪堀をある程度登って行くと竪堀が1条から2条へと変わる(2重竪堀)

部分があるのですが、この東側に獣道みたいな道があり、その周辺は平らに

削平された郭のようなものが点在して石積が散見されます。

 

堀切3のクランク部分

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東から3条目の堀切で、堀切から横堀となりそのまま竪堀として南へと下って

いきます。(東と西を完全に堀で遮断する構造です)

堀切3(東から3条目の大堀切)

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こちらが南側からみた堀切3です↑   そして北側から見た堀切3です↑

 

枡形虎口

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 このような枡形虎口がいくつも見受けられ、南側から北側への移動を制限する

防御遺構として執拗に配置されています。

 

堀切2(東から2条目の堀切)の竪堀

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先程の段郭にある枡形虎口を少し南下して、堀切2へと向かう竪堀を登ります。

 

堀切2(東から2条目)のクランク部分

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こちらの堀切2のクランク部分も、堀切3のクランクと同様に、堀切から横堀と

なりそこから竪堀として南側斜面を下っていきます。

(東西を徹底的に遮断しようとしていますね)

 

堀切2(東から2条目)

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本郭のある西側方面はやはり高さがありますね。

 

東郭

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左側の写真が堀切2の東に位置する東郭となり、右側の写真がその東郭から見た

堀切1となります。(この堀切1は見所ですよ)

 

堀切1の南側を見る

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堀切1(東から1条目)から南側の斜面を見てみると、そのまま竪堀として斜面

を下って行っているのが見て取れます、この竪堀を少し下ってみます↓

 

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竪堀をある程度下ってから、堀切方面(北)を見た写真がこちら↑

落葉などの堆積物があって、この深さの岩盤竪堀!これでは横移動できません。

個人的には、この「岩盤大堀切1とそこから下る岩盤大竪堀」がこの城一番の

見所萌えポイントだと思います。

 

堀切1北側

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堀切1の北側は斜面が急な傾斜度となっているせいか、堀切から竪堀へと続きま

せん。(土砂が崩れてしまったのか?)

この後、堀切1から東へと進み散策しましたが、遺構は見当たりませんでした。

 

堀切1を東側から

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実に見事な岩盤大堀切ですね、落葉で分かりにくいですが岩盤を切り崩して

造られています。(物凄い時間と労力がかかっていると思われます)

これで城の東側の散策は終了、西側の本郭へと進んで行きます↓

 

本郭横(東側)の堀切

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写真左が本郭から見た堀切4となり、右側の写真が堀切4を北側から見た写真

となります。(どちらも高い方が本郭側となります)

 

堀切4からの横堀

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本郭の東を堀切4が守り、本郭の南側半分をこの横堀が守る構造となっていま

す。ここで本郭へと進んで行きます↓

 

花園城本郭跡

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左の写真が城址碑で、右の写真が本郭の段差となります。

おそらくこの一段高いほうが城主などのスペースだったのでは?

 

堀切5

 

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こちらも岩盤で出来ています、堀切の北側から撮った写真となります。

左側の高いほうが本郭です。(しかし凄いな、まるで岩盤祭りだな)

 

堀切5の折れ部分

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主郭の西側にある堀切5は、そのまま本郭を囲むように横堀となり、主郭の虎口

にぶつかると今度はそのまま竪堀として下ります。(その竪堀部分がこちら↓)

 

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ただ、竪堀は短くて数十メートルで今度は西側へと曲がり横堀となります。

 

下城

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これで花園城の散策は終了、先程の堀切5からの竪堀~横堀の十数メートル下

(南側)に二重竪堀があり、そのまま南下して近代に改変されたであろう段々

畑(現在は未使用)へと下りていったのですが、これが失敗でした。

地図上では竪堀の末端から段々畑を約200m位進めば民家があり、その前が

道路になっているのですが、その段々畑が熊笹の群生地になっており藪漕ぎ

が出来ない程の凄い藪でした。(面倒でも最初に登った竪堀を下りましょう!)

 

花園城ログ

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花園城の南西部分は現在、強烈な藪化が進んでいるので進入路と退路は同じ道

を使う事を強くおススメします。

(段々畑の藪を強行突破したので服が傷み、顔に擦り傷ができました)

武蔵花園城

見所ポイント:本郭以下各郭群、岩盤堀切岩盤竪堀、クランク状の折れ、石積等。

駐車場:基本的にありません。

総評:荒川の北岸に東西に細長く築かれた山城で、秩父街道を抑える絶好の位置にこの花園城は築かれていて、戦国期においてはとても重要な場所であったと予想されます。

藤田氏代々の居城という事で、おそらく長い年月をかけてコツコツとダイナミックにして複雑な縄張構成の山城にしていったのではないでしょうか。その見事なまでの岩盤堀切と竪堀群はとても見所があり、訪れた者に感動と満足感を与えるものとなっています。こんな見所満載の山城、武蔵花園城に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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