津城
別名: 安濃津城(あのつ じょう)
城地種類: 平城
築城年代: 元亀元年~慶長(1570~1608)にかけて。
築城者: 織田信包(おだ のぶかね)
主な関連施設: 高山神社社務所(続100名城スタンプ設置場所)
文化財史跡区分: 県指定史跡
戌亥櫓台
2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表
しました。三重県からは田丸城、多気北畠氏城館、赤木城と 今回訪れた
" 津城 " が選ばれました。続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプ
を押したうえで登城数をカウントしたいと思います、今回行った津城
を登城 14城目とします。
津城概要:
織田信長による伊勢侵攻のために弟の織田信包が安濃川下流に城を築きます、天正8年(1580)に完成したこの城こそが " 津城 " の原型となります。その後文禄3年(1595)に富田知信(とみた とものぶ)が入ります。その子供である富田信高は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで東軍につきますが、西軍の毛利秀元率いる3万の軍勢に城を包囲されます(安濃津城籠城戦)。この時「会津攻め」で上杉氏討伐のために不在の主力をカバーする為に町民がメイン(約8割)の義勇兵約1500~1700名で籠城戦を展開します。3万もの大軍を相手にこの城と共に死力を尽くし、力攻めでの落城を免れます。その後和睦し、開城しましたが東軍が関ヶ原で勝利したため再び津城城主に返り咲きました、その後藤堂高虎が入封し城を大修築し以後幕末まで続きました。
城址公園地図
ここ津城の昔と今を比べた地図となります、現在残っているのは本丸
と北側の濠だけとなっています。
埋門跡
本丸南の天守台横にあるこちらの " 埋門 " (うずみ もん)と呼ばれる
石垣間に開けられた通路は、寛永16年(1639)に新設されたものらしい。
ここで気になるのは " 埋門 " の名前の由来です、なぜ埋門なのか?
これについてはのち程大胆な説を唱えてみます。
石垣の繋ぎ目
慶長13年(1608)に藤堂高虎が入城、約3年かけて城の大改修を行い
ました。本丸を東と北に拡張して高石垣を築き、南側の石垣は石を積み
足してかさ上げしたとされています。
そのかさ上げの痕跡がこちらの写真です、でも注目すべきはここでは
ありません、次の写真で説明します。
最初、このかさ上げ部分を見ていたのですが、しばらく見ていると何か
斜めに線が入っている事に気が付きました。
地震でひび割れたか?と思ったが、こんな風にひび割れるとは思えない。
「これは精巧に繋ぎ合わされた石垣の繋ぎ目だっ!」と心の中で叫びました。
この後、ある人の言葉を思い出し資料を手当たり次第に調べるとある事
に気が付きます、それについてはのち程説明します。
本丸南の有名な繋ぎ目
こちらがパンフレットにも載っている高虎が拡張したとされる本丸南
(月見櫓横)にある石垣の繋ぎ目です、ここは算木積らしくなっている
部分に付け足したので一目瞭然です。
でも、よ~く観察すると少しおかしな感じがします、元からあったと
される石垣は目地が横に通り石の大きさや形が割と揃っているのに対し
付け足したとされる方は乱積で石の大きさや形がバラバラな感じがします。
石垣や犬走りに強いこだわりがありそうな高虎が3年かけた割には何だか…。
細かい事が気になる、自分の悪い癖がでてしまいました。
ここで一旦、本丸内に戻り石垣の上へと上がってみます。
丑寅櫓石垣上へ
ここ津城では階段があるので自由に本丸北側の石垣上に登る事ができます。
へたな安全柵なんか無い本格指向な遺構となっていてマニアも興奮の
高石垣となっています。
実際の高さ以上に高く見えるこの石垣を見よっ!
いかん、テンションが上がってきた!
北多聞櫓高石垣
高虎流の直線的なフォルムを持つこの高石垣は、とても美しくまた、
力強い印象を受けます。
この時点で " 萌・え・死・に " …。
北多聞櫓があったとされている場所から下を見ます。
怖っ!
戌亥櫓台高石垣
こちらが戌亥櫓の高石垣となります、「ここから落ちたらあの犬走り
に直撃だな…」高虎流築城術、恐るべし!
この櫓台石垣は完全な直線ではなく、少し勾配がついています。
この戌亥櫓台にはベンチが設置してあるので、この景色を座りながら
眺める事ができます。(当日は10/8、最高に気持ちいい風が吹いました)
現在、この戌亥櫓と丑寅櫓、そして二つの櫓を結ぶ多聞櫓の復元計画
が検討されているらしく、今後がとても楽しみで仕方ありません。
もはや何も、言うに及ばず…。
この時、「僕達を撮ってよっ!」と石垣の石が話しかけてきた気がし
ました。(感動と興奮で少々疲れていたみたいです…)
石垣の上はこの様な感じになっており、
気持ち良く散策する事ができます。
西鉄門跡
西の丸から本丸へと入る所にあった、西鉄門跡となります。
現在では門跡としての遺構は残っておらず、こちらの石垣があるばかり。
詳細はこちらの看板を見て下さい。
かなり厳重にして強固な防御施設だったみたいです。
藤堂高虎公銅像
白もち三つの逸話
高虎が若かりし頃、主君の元を飛び出し放浪していました。三河の国へと差し掛かった時、道端で " 餅屋 " を発見!あまりの空腹にたまらず無銭飲食をしてしまいます。正直に白状し、店主に謝ると何と店主は許したうえに餅を三つ高虎に持たせ、「御代は出世してからでいいよ」と高虎を許します。
のちに出世して大名となった高虎は藤堂家の旗印を「白もち三つ」としました。この逸話は文献資料には正式に明記されていませんが、藤堂藩家老の中川さんの日記に記されているそうです。この話、信じる信じないもあなた次第です。
天守台北東側
見る方角によって様々な積み方が見られるここ津城の天守台石垣ですが、
ここは下側が野面積で積まれており、その荒々しさがとても良い味を
出しています。そして上部ですが、横に目地が通った粗めのまさかの
切込接でしょうか。(1662年の大地震で崩れた時の修復?)
天守台南東側
先程の場所から少し南東へといった所にある小天守の石垣隅部です。
かなり精緻に積まれた切込接の算木積、すだれ化粧まで施してあり
かなり新しい年代に補修されたものと思われます。
この様に津城の天守台は見る方角によって様々な積み方を見る事が
できます。
転用石
転用石や刻印もあわせて探しましたが、あまり見つけられませんでした。
高山神社
藤堂高虎を祀る神社で津市発展の礎を築かれた開祖として「高山居士」
のおくり名に由来するそうです。
スタンプ設置場所
こちらの神社社務所に続日本100名城のスタンプが置いてあります。
試し押ししてから綺麗にスタンプを押しましょう。
スタンプ押印
スタンプの状態: " 良 " 屋内管理で状態はとても良い。
スタンプの印影: 実在しなかった場所と櫓が印影となります。
やっちまった感がハンパない。
ご当地グルメ
津餃子概要:
直径15センチの皮を使った大きな揚げぎょうざで、 小学校給食から
生まれた津市が誇るご当地グルメ。
感想:
でかい揚げぎょうざでした。
埋門と繋ぎ目の石垣の謎
「これは精巧に繋ぎ合わされた石垣の繋ぎ目だっ!」と心の中で叫びました。
この後、ある人の言葉を思い出し資料を手当たり次第に調べるとある事
に気が付きます、それについてはのち程説明します。と、
前半で話したこちらについて説明します、埋門を写真に撮っていると
地元の人と思われる人がゴミ拾いをしていたので近づき、声をかけました。
自分:「おはようございます、ちょっと聞きたいんですけどこの埋門は
何で埋門と言うのですか?」
お爺さん「あぁ~、確かむかしに埋門という門が何処かにあってな………………」
自分:「埋門?ここにあるでしょっ!」と、心の中で叫びます。
自分:「有難う御座いました」とその場を離れました。
その後家に戻りブログを書きはじめました、ある資料を見たときにあれっ!
と思いました。それは「天正期津城古図」という、1590年位の時の津城
の縄張図をみたときです。(織田信包から富田一白が在城していた頃)
つまり高虎が本格的に大改修する前には本丸南側に二の丸という濠に
浮いているような曲輪があり、そこと本丸南が橋で繋がっている図が載って
いるではありませんかっ!つまりその頃の津城には本丸南のあの繋ぎ目
辺りに門があったのではないでしょうか?その後、高虎が3年かけて城を
大改修する際に橋と二の丸、その先の三の丸を撤去しその門を埋めたから
かつてそこにあった門の事を " 埋門 " と呼んだのではないか?とそう思い
ました。あのお爺さんはボケてなんかいないっ!もっとちゃんと話を聞く
んだったと今になって後悔しています。今ある埋門跡は寛永16年(1639)
に新設された連絡通路でおそらく名前は昔あった門で埋められてしまった
" 埋門 "からとったのではないでしょうか。と、いうわけで以上、個人的な
「埋門と繋ぎ目の関係説」でした、ご清聴ありがとうございました。
津城
見所ポイント:本丸、西の丸、丑寅櫓台石垣、戌亥櫓台石垣、天守台石垣、繋ぎ目、等
駐車場:城址公園専用駐車場(なぜか有料)
総評:慶長13年(1608)に入城した藤堂高虎によって大改修を受けた津城は本丸を幅の広い濠で囲まれた浮城のような本丸を中心とした輪郭式で構成されていました。その本丸は高石垣で囲い、しかも北側には二基の三重櫓がそびえ、それぞれの櫓を多聞櫓が繋いでいるなど、とても強固な守りを有する城でした。現在ではこの本丸と北側の濠しか残っていませんが、櫓台や直線的フォルムの高石垣など高虎築城術を垣間見る事ができる遺構が残っており、とても見所があります。今回、増築の際の繋ぎ目以外にも高さをかさ増しした後や、謎の繋ぎ目(本当の埋門跡?)も見る事ができとても有意義な時間を過ごすことができました。こんな素晴らしい石垣達を見に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。