丸岡城
別名: 霞ヶ城
所在地: 〒 910 - 0231 福井県坂井市丸岡町霞1 - 59
城地種類: 平山城
築城年代: 天正4年(1576)
築城者: 柴田勝豊
主な関連施設: 丸岡歴史民俗資料館
天守
4月の春麗らかな日、平日ではあるが仕事が3日ほど休みになったので
岐阜県、愛知県、滋賀県、福井県の名城 8城(100名城)を巡る旅に出
る事にしました。8城目(最後)のお城はここ「 丸岡城 」へ。
丸岡城概要:
丸岡城は天正4年(1576)、柴田勝家の甥・勝豊が築いたとされ、天守は現存する最古のものであると言われていました。(天守の一部を解体し年代測定をしたところ江戸期の物と判明)小高い丘に位置し、五角形の内堀に囲まれた中に、本丸や二の丸があった。天守の屋根瓦は笏谷石製(しゃくだに いし)で、天守に石瓦を使用した現存例はここだけである。創建以来火災にあう事は無かったが、昭和23年(1948)の福井地震によって倒壊、可能な限り倒壊前の建材を活用して再建された。と、手元の資料に書いてあります、今日に至るまで色々とあったんですね。
駐車場から
駐車場に車を停めると、早速天守が目に入りました。
お~、これがあの現存12天守の一つに数えられる「丸岡城」かぁ~ と、
しばし見入ってしまう。
看板
ここである事に気が付く、それは城の " 縄張り" がよくわからない、
そうです水堀も無ければ曲輪も門も無いのです。
残っているのはあの現存天守ぐらいで、それ以外は皆破却されたり
埋められたりで、ほとんど遺構は残っていません。
いざ登城
現在の天守は礎石建物となっていますが、当初は掘立柱建物で、地下
に埋まる部分を根巻材と漆喰によって固めていたそうです。屋根瓦は
笏谷石製の石瓦を使用。通常の瓦では、寒暖差によって割れてしまう
ためこの様な仕様になっているそうです。
天守
現在は写真左側の石段から直接天守内部へと入りますが、かつてはこの
入口の手前に付櫓があり、その付櫓からの入り口であったみたいです。
写真右下部分の張り出した窓は「 出格子窓 」といい、石落としと同じ
機能を持ち合わせていて、左右に横矢を掛ける事ができたそうです。
天守内部(梁)
福井大地震によって天守は崩壊、国は天守を解体し倉庫に保管しました。
その後、保管していた木材等を再利用し、新規の材料と組合せて天守を
再建しました。
最上階から
こちら丸岡城天守は1979年に公開された角川映画、「 戦国自衛隊 」の
ロケで使用されました。内容は自衛隊員が演習中に戦国時代にタイム
スリップし、暴れまわるという内容だったと思います。
天守台石垣
こちらの野面積天守台は、福井大地震の際に大きく崩壊してしまいました。
なので現在の石垣は、大地震後に積みなおされた石垣です。
この天守台石垣には伝説があります。
初代城主柴田勝豊が丸岡城築城の際、天守の石垣が何度も崩れるので人柱を入れること
になりました。シングルマザーで貧しい生活をしていた「お静」は、子を侍に取り立て
てもらうことを条件に人柱となりました。
その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江へ転勤することとなり結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。(あの世でお静さんが怒ります)
それから、田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、
人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。(悲しく切ないお話です)
この話、信じる信じないもあなた次第です。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:一筆啓上茶屋(霧ヶ城公園内)
スタンプの状態: " 悪 " スタンプの状態も悪いが、押し方も悪い。
(強く長く押すとこうなります)
丸岡城
駐車場:丸岡城専用駐車場アリ、140台駐車可。
総評:二重三階の望楼型天守と野面積の天守台石垣が残るだけであるが、天守の各階の外壁の様子や出窓、破風など古風な姿を細部までじっくりと見ておきたい。と、手元の資料に書いてあります、確かにその通りでございます。
柴田勝家の甥・勝豊によって築かれたここ丸岡城は、当時の水堀や曲輪等は現在、まったくといっていい程、何も残っていません。それでも本丸にある現存天守は度重なる災害にもめげず、現在までその雄姿を残し続けています。こじんまりとした望楼型天守はとても趣きがあり、大地震で崩壊した後によくぞここまで直したものだと感心させられます。こちらの天守、実はとても見所が多くて石垣の天端部分にある「腰屋根」や、外に張り出した「出格子窓」、寒暖差等による割れを防ぐ「石瓦」、ちょっと不自然な所に設けられた「狭間」等、飽きることなく何時間でも見ていられます。こんな素敵な現存12天守の一つ、丸岡城へ週末あたり訪れてはいかがでしょうか。