安土城
別名: ナシ
城地種類: 山城
築城年代: 天正4年(1576)
築城者: 織田信長
安土城天主(信長の館)
平日ではあるが仕事が3日ほど休みになったので岐阜県、愛知県、
滋賀県、福井県の名城 8城(100名城)を巡る旅に出る事にしました。
5城目はここ「 安土城 」へ。
安土城概要:
織田信長は「天下布武」の夢を実現する一歩として、また自らの威光を世に知らしめる為に安土城を築城した。琵琶湖湖畔の標高約198mの安土山に天正4年(1576)から7年の歳月をかけて築城した。金、朱、黒などに彩られた五重七階の豪壮な天主や総石垣の普請、麓に計画的に設けられた城下町などは以後の城づくりに計り知れない影響を与えた。と、手元の資料に書いてあります。
大手道石段
この少し手前に " 料金所 " があり、¥500 を支払い入城します。
それにしても見事な総石垣造の大手道です。
石段の高さや幅がまちまちなのでとても登りずらく、疲れます。
伝秀吉邸跡
説明看板によると、かつてここに配下武将であった秀吉の屋敷があった
とされているのですが、どうやら確証はないみたいです。
石垣
何処の石垣だったか詳細は覚えていませんが、とにかく良い味出してます。
昭和の復元工事で至る所の石垣を修復したと聞いています、ここもそう
なのでしょうか?
天主台礎石
地上六階地下一階建の天主があった天主台の礎石。
この礎石の上に土台を渡し、地階の部分割りに合わせて必要な個所に
柱を立てていたそうです。
天主台からの眺望
天主台からみた景色です、この高さからでもかなり見晴しが良いので
往時、天主最上階からの景色はさぞ素晴らしかったんだろうと思います。
天主台を後にして中腹あたりまで下ります。
摠見寺三重塔
この三重塔は三間三重の塔で、屋根は本 瓦葺きです。
棟柱に「享徳三年(1454年)建立、天文二十四年(1555年)修理」の墨書きがあります。
甲賀の長寿寺(現在の甲賀市石部町)から移築したものとされています。
七曲り
通称 " 七曲り " と呼ばれている石段です、なぜここはこんな風に折れ曲
っているのでしょうか?
(この部分は傾斜がきついために直線的にできなかったのか?)
このまま下山し、もう一つの目的地である「 信長の館 」へ向かいます。
信長の館、天主復元
建物内部に入ると早速、金、朱、群青と実に煌びやかで豪華絢爛な建物
が目に入る、これは万博用に作られたもので安土城天主の5階~6階部分
を実物大で復元(設計図等は無いので想像で復元)した建物です。
天主5階部分
こちらは天主5階部分の内部です、記録によるとこの五階部分は周囲に
廻縁が巡り、部屋の中には4本の支点柱が立っていたとされています。
尚、内部にある絵は釈迦が説法している様子が、そして天井には天女
が描かれています。
天主6階内部
最上階となる六階部分の内部です、確かフラッシュ撮影はNGであった
と思います。(センサーが誤作動するとか)なのでそのまま撮りました。
この六階内部の壁には、中国の偉大な君主である三皇五帝や著名な聖人
である商山四皓(しょうざん しこう)の画題がとられていました。
この最上階(六階)のみ正方形の平面となります。
因みに安土城天主の高さは天主台石垣上部から、最上階の棟木まで約
33mあり現存する天守と比較すると姫路城天守とほぼ同じ位であったと
されています。なので当時としては相当なもので人々を驚愕させたと
思います。
工事現場のジオラマ
こちらのジオラマは当時の築城の様子を再現したものです。
信長は普請奉行として丹羽長秀を任命し、大急ぎで工事にあたらせた
と言われています。ここでふとある事に気が付きました、このジオラマ
にもある " 巨岩 " ですが確か城跡には見当たらなかったはずです。
でも、この巨岩の話( 蛇石 )は聞いた事があり、何でも運ぶのにとても
難儀したとか。これ程の大きな岩は何処へいってしまったのでしょうか?
謎は深まります、まさに戦国ミステリーといったところです。
スタンプ押印
スタンプの状態:" 良 " まあまあ綺麗に押すことができます。
安土城
見所ポイント:天主台、石垣、三重塔、石段、屋敷跡、等
駐車場:多目的広場駐車場(100台以上)入山者専用駐車場(20台位)共に無料
総評: 復元整備された大手道や家臣団屋敷跡を経て、天主台へと安土山中をたどれば、いやが上にも「 幻の城 」 への思いは強くなる。石垣の積み方が場所によって様々に異なることもみておきたい。と、手元の資料に書いてあります。まったくその通りです。
天下取りがすぐ目の前にまで来ていた織田信長、しかし天正10年(1582)6月2日、
家臣の明智光秀の謀反によって自刃。完成からわずか3年で炎に包まれ灰燼と化してしまいます、大勢の労働者達が朝から晩まで必死になってつくり上げた皆の血と汗と涙の結晶ともいうべき安土城に放火するとは! " うつけ " なのは信長などではなく、安土城に火を付けた輩です。誰もが思うであろうこの気持ち「往時、そびえ立つ安土城を見てみたい」今となっては叶わぬ夢ですが、いつの日かこの安土城が木造で忠実に再現され、皆の前にその雄姿を披露する日が来ることを切に願ってやみません。
これだけ人を惹きつける城跡、「 安土城 」に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。